見出し画像

couldの過去の一回限りの出来事について

いつも楽しく見せて貰っているアメリカ人のジョシュ君のインスタですが
https://www.instagram.com/reel/C72gfZ2PAXW/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==

ドラクエ3の副題は『そして伝説へ』
ジョシュ君→「伝説へ・・・何?」

松崎しげる愛のメモリーの歌詞
『この胸のときめきを、貴女に』
ジョシュ君→「あなたに・・・、何だよっ!?」

と憤慨しています笑
日本人にはなんの違和感も感じないこの文章も、外国人には非常に奇異に聞こえるそうな。
不思議ですね。
ちなみに、この投稿されたインスタのタイトルは「私がどうしても分からぬ日本語現象」です。日本人からすると、わからないことがわからないのですが(^^;

それで、ふと思ったのが
couldは『過去の一回限りの出来事に使えない』というナゾの原則の理由もコレではないでしょうか

× I could catch the last train yesterday.
私は昨日終電に乗れる状態であった。
(完遂の「乗る事が出来た=乗った」のではないことに注意/詳細はココクリック)

この文はcouldの『過去の一回限りの出来事』に該当し、英語だと成立出来ません。その理由はどの文法書にも明確に記載されていませが、おそらくそれは、この英文だけだと、先のインスタのジョシュ君や、なかやまきんにくんの様に「昨日は、終電に間に合ったのか間に合わなかったのか、結局どっちなんだいっ!?」と言うことに成ってしまい、会話や文章の途中となって、不完全だから成り立たないのでしょう(日本語だと「昨日終電に間に合う状態であった=昨日終電に乗ろうと思えば乗れたよ」は、何の問題ないのに‥)。

実際に
⚪︎ I could catch the last train yesterday, but in fact I didn't catch it for some reason.
と結論があると、過去の一回限りの出来事も成立できるようになるから、間違い無さそうです。

上文は久野暲/高見健一[著]謎解きの英文法 助動詞のp135-156の引用ですが、日本語と英語を同一視すると、日本語では成り立つのに、英語では成り立たないと言う考えに至らないので、なかなか本書を理解出来なかったのですが、ジョシュ君のおかげで、すべて腑に落ちる様になりました。
結局、我々日本語は一人称視点で独り言、感想言語だから成り立ち。英語は相手に正確に伝えるという状況説明言語だから成立できないのでしょう。

つまり、couldが『過去の一回限りの出来事に使えない』というナゾの現象になるのは

1.couldを完遂の出来たと誤認すること
2.日本語と英語を同一視すること

この二点によって発生する思われる。

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集