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完了形の用法はまやかしだ!! ー 日本語英語教育に物申す ー

貞子と完了形」の続きです。
大仰なタイトルですが、読み物として楽しんで頂ければ幸いです。
※下線はリンクですので、クリックしていただければ、解説記事に飛びます。&ここでいう「日本語英語」とは、現学校教育で教えている英語(文法)を指しています。

なぜ、完了形はこんなにも難しいのか?
英語は、物理学や哲学のように、習得に自分の能力は依存しない。なぜなら、ネイティブは、子供だって自由に使いこなせているからです。
ではなぜ?・・・、何かがおかしい・・・。
そう、自分に問題が無いとすれば、その間を橋渡しをする日本語英語に問題があるのでは?と言うことにならないでしょうか。

今回、全く新しい視点で完了形の用法を解説し、そこから日本語英語に潜むワナについても明らかにしてみました
自問自答していますので、口語調ですがご容赦ください。
最初に完了形の結論二つ述べます。

完了形の本質は言外に言いたいこと
完了形の用法は機能では無く分類


順に説明いたします。

本題に入る前に、頭の片隅にでも置いておいて貰いたいことがあります。それは、現在形、過去形を時間で分けるのではなく、以下の意味で分けてもらいたいのです。

ーーーーーーーーーー
present form(現在形の原語)
話者に関係がある、関与できる世界

past form
(過去形の原語)
話者に関係がない、関与できない世界
ーーーーーーーーーー

このようにする根拠は、古・中英語で独立した動詞変化として存在していた「仮定法」が、現代英語で時制のズレとして吸収消失、この事により、過去形past formは、時制の違いだけでなくなったからです。吸収された分、意味が変わった(増えた)のです。
単純過去形は、時間的に完全に話者のいる今と完全に切れて関与出来ません(昨日という過去の時間にいる彼女は今日の私に声を掛けることは出来ません)。同じように、現実不可も妄想も関与できません(妄想彼女が現実の私に声を掛けることは出来ません)。関与できない事で両者を一括りにし、一緒にしたという事です。
両者は、理由は違いますが、影響できない、関与できないと言う意味について同じです。
※詳細は「英語の原語構造におけるパラダイムシフト」と「過去形の多義性と三単現のsがある理由」にてご参考下さい。



さて、本題です。
以下、T.D.ミントン著「ここがおかしい日本人の英文法」9章、11章から引用。
「現在完了形」は、その名が示す通り、過去に起こった事柄が、現在と極めて強いつながりを持つ時に使われます。※「→」はわたしの見解です。

→とあり、その例として。
ーーーーーー
I’ve had lunch.
例えば、「昼食はもう食べてしまったので(折角ですが、あなたの昼食の誘いには応じられません)」とか「昼食はもう済ませたので(今は時間があります)」など
ーーーーーー
→()内は発言していませんが、言外に言いたいこと。つまり、現在ときわめて強いつながりを持つこと。

また、別の例として。
ーーーーーー
mother: Don’t forget to clean your teeth!
son: I’ve already cleaned them.(So I don’t need to do it now.)

A: When are you going to Sapporo?
B: I’ve already been.(So I have no intention of going there now.)
ーーーーーー
→()内が実際には発言していないが、言外に言いたいこと=現在ときわめて強いつながりを持つこと、とあります。過去に起きたことを今に繋げ、現在形のhaveで持っています



一方
河上道生著「英語参考書の誤りとその原因をつく」改訂増補版p376〜p398
この書物でのこの部分の論点は幾つかありますが、述べられていることから言えることは以下の通りです。

完了形(完了進行形)の「完了」、「継続」、「経験」は動詞、文脈によってまちまち。

「結果」の代表であるhave goneでさえも「継続」や「経験」の用法が用いられることがあるというのです(→p387参照)。

もう、ムチャクチャです。目眩がしてきます。
こんな支離滅裂な文法をどうやって理解し、使っていけばいいのでしょうか?
途方に暮れてしまいます。

しかも
John has been painting the door.
に至っては、ネイティブの言語学者によってでさえ、ペンキが塗り終わっているか終わっていないかが意見が違うのです。

まったく、一体これはなんなんでしょうか!??

Why American people!!!?
厚切りジェイソンじゃなくてもキレたくなります!!
そもそも、「完了している」ことと「継続している」は意味的に真逆のこと。それが、動詞や文脈、場合によっては聞き手によってでもマチマチと言うのは、あまりにもおかしいじゃありませんか。伝えたいことがコロコロ変わるなんて、意思伝達の言語としての機能が成りたたないです。そんなことが文法用法としてあっていいでしょうか?いやない!機能が一定しないどころか、真逆になるなんて!それじゃ、機能の用を成さないじゃないか!!

しかし、どんな状況でも変わらないことがあるとすれば、それは前述の

「発話時以前に起こった事柄が、発話時の『今』に関係する」

と言う点。
この『発話時以前に起こった事柄をネタにして言外に言いたいことがある』が、完了形が言い表す本質ではないでしょうか?「完了」、「継続」、「経験」の用法ではなく。
つまり、完了形をネイティブが使うのは、「完了」、「継続」、「経験」を言い表したいのではなく、過去の出来事が今と繋がっている、影響ある、関与する事を表現したいからだ。という事です。
ということは、用法を表現したくて、完了形を使うのではなく、過去が現在に一切影響関与できない(という英語の構造)から、今現在に関与させるために、現在形のhaveで持つのであり、その表現方法の結果を分類すると、3つの「完了」、「継続」、「経験」に分けられる、と言う事になるのです。仮定法と同じく、原因と結果の関係が逆なのです。※仮定法についての詳細は「仮定法のゆうれい5」にて

完了形には
「完了」、「継続」、「経験」の機能があるのではない
それは過去の出来事を今に繋げる表現の分類にすぎない。


下図のように、『発話時以前に起こった事柄をネタにして、言外に言いたいことがあることを、一本の物差し時間スケールで分類すると、そのネタはーーー発話時に終わった「完了」の時と、発話時でも続いている「継続」の時、発話時から離れた「経験」場合の三種類に分類できる』と言うだけのことでしょう。機能ではなく。
下図の3種類のネタを元に話を展開するのだから、結果はその用いたネタになる。
このように考えると、どんな場合も「言外に言いたいことが有る」ことの存在が変わらず、一方、用法が文脈と動詞によって、コロコロ変わると言うナゾの現象の説明がつきます。

例えると、「大リーグで活躍する大谷翔平選手のバッティングが凄すぎる」。だから〜何々、ということが言いたいことの本質なのに、彼のバッティングプレーについて、ホームラン(ヒット)の時もある、取られてアウトの時も、三振の時もあると、ただ分析した。というようなものです。大谷選手の凄いバッティングが、その三種類に分類できたのは当たり前ですし、バッティングの結果が、状況によってコロコロ変わるのは当然の結果なのです。結果を分類してもそこに本質はない。

旧態の時間スケールによる分類

ただし!
この考えは、一番最初の『頭の片隅に置いておいて貰いたい事』で示したように、過去が現在と繋がっていない。完全に切れて影響できない。と言う前提がないと成立できません。

さらにdisってしまうと
日本語英語は、"present form", "past form"を「現在形」、「過去形」と時間の差しか示さない日本語の「現在」、「過去」にあてた。
だから、過去と現在が繋がっている上図のような『時間物差しスケール』を用いることになった。
しかし、このようにしてしまうと、過去と現在は切れていないので、過去を現在に繋げる必要性が無くなってしまった。
つまり、完了形の存在意義、完了形の意味がなくなってしまった。
その結果、表現による結果を、分類することになり、それに「用法」と言う機能を持たせざるを得なくなってしまった
と言う事です。だから、日本語英語は、完了形=用法となり、こだわることになったのです。

そういえば、ネイティブが書いた英文法を三冊(T.D.ミントン著「ここがおかしい日本人の英語」、マーク・ピーターセン著「日本人の英語」、ポール・マクベイ/大西泰斗共著「ハートで感じる英文法」)ほど読みましたが、完了形の用法について言及はほぼ皆無でした。はたして、本当にネイティブ英文法には、日本語英文法と同じように完了形の用法の重要性を教えているのでしょうか?
そもそも、完了形の英語はperfect formですが、perfectにナゼ『完了』と言う言葉を日本語英語はあてたのでしょう。それは、present, pastを現在、過去にあてたために、その日本語の呪縛から逃れられなかったからではないでしょうか?


時間物差しスケールを用いることのもう一つの重大な問題

先の、問題の『時間物差しスケール』を用いると、完了形の本質が見出せない。
だけでなく、結果的に、過去形と完了形の違いがなくなってしまった。
しかも、現在完了形は『現在形』なのに、意味的に過去と言う、矛盾した現象まで発生してしまったのです。
だから、完了形は分かったようでわからない、勉強すればする程、訳がわからなくなると言う現象が起きるのです。
※この図の詳細は、前記事「貞子と完了形」にて。

一応従来の時間スケールにバッテン印。そうではなくて↓


時間を含め世界を話者と関係があるか否か、関与できるか否か、影響できるか否かに分けた世界


ネイティブは
過去形と現在完了形の違いについて以下のように述べてます(T.D.ミントン氏同書p45-46)。

No one knows what happened to the explorer after he set out for the North Pole.
No one knows what has happened to the explorer since he set out for the North Pole.

「探検家が北極に向かって出発した後、どうなったかは誰も知らない」
日本文は同じでも、それに対する2つの英文は、非常に異なる意味を聞き手に伝えています。前者は、もうすべてが終わってしまって、探検家のことは忘れ去られ、もはや誰もその探検家を発見しようとか、どうなったか突き止めようなどとは思わない状態を表しています。一方、後者は、現在完了形が現在との明確なつながりを与え、状況は変化する可能性があることを伝えています。つまり、今後、探検家が発見されたり、あるいはどうなったかを私たちが知る可能性が残されていることがわかります。
引用終わり。

これは、Past form(過去形)が、今我々がいるPresent form(現在形)に、まったく影響出来ない、関与できない、関係がない事柄である。過去形はテレビや映画を見ているのと同じ。
と考えるとすんなり理解できます。例文後者の完了形は、言外に言いたいことを、ミントン氏は示唆するだけで明言していませんが、その探検家がどうなっているのかわからない。だから、今、大規模な捜査隊を組織したとか、生存の可能性を見つけたとか、探検家を発見した。もしくは、残念ながら亡くなったことが判明したとかがあり、そういう事で、今現在と関係する、影響する、現在と極めて強い繋がりが有ることを表現したいから、切れて繋がりの無い過去を今にhaveした表現を用いたと言うことなのです。
現在完了形は、過去形ではないのです。現在形です。ちなみに、過去完了形は過去形です。

このように
『時間物差しスケール』を用いると過去形と完了形の違いが生じず、だから、違いを生じさせるために「経験」、「完了」、「継続」のという分類を、機能用法にせざるを得なくなった。時間物差しスケールは日本語英語の完了形(および現在形と過去形)を混乱させる元凶なのです。
もっと根本的なことを言うと、日本語英語が、"Present form", "Past form"を「現在形」と「過去形」という時間の差しか無い日本語をあてたがために、日本語文法の「現在形」と「過去形」と同一視する事になってしまい、時間物差しスケールを用いることになってしまったと言うことです。※ちなみに、時間の差で分けなければ、英語最難関である仮定法も簡単に解決します。詳細は「仮定法はまやかしだ!!」シリーズにて。仮定法過去が過去形なのに日本語の「現在形」に訳すのは同じ病理です。

つまり、完了形が困難になる理由は

1."Present", "Past from"を日本語文法の現在形と過去形同一視してしまったこと
2.完了形の本質を「経験」、「完了」、「継続」に求めたこと
3.時間物差しスケールを用いたこと

この三点が原因です。

完了形の真意は言外に言いたい事。だからこそ記していない。


ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!

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