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冠詞と名詞 ー総括ー
「冠詞と名詞」シリーズの今までの総括です。各参考書から検討してみます。
In April, I introduced the coach of my tennis club to an ex-wife of my brother, and by june the two were already married.
(4月に、私のテニス・クラブのコーチを、弟の離婚した元妻に紹介したら、6月には二人はもう結婚していた)
the coach of my tennis club
コーチを私のテニスクラブで特定。コーチ=私のテニスクラブ。つまりはコーチは一人しかいない。a coachならそのうちの一人。
an ex-wife of my brother
元妻を私の弟でカテゴライズ。つまり、弟は少なくとも二回離婚していて、コーチと再婚した女性は、弟の元妻達の一人。
The astronomer(天文学者) chose to look at the planets which are relatively near the Earth.
the planetsだけだと、なぜtheで特定しているのかがわからない。which以降が、その理由。
つまり、太陽系というカテゴリーの中で比較的近い惑星群
The electron microscopes which are made in Japan are quite accurate.
電子顕微鏡というカテゴリーの中で、例えば、1990年代に製造された古いタイプ。壊れて使えない電子顕微鏡群。学術道具らしからぬピンク色の可愛い電子顕微鏡etc・・・。そのなかで特定する理由が、「日本で作られた」と言うこと。つまり、電子顕微鏡を製造国でカテゴリーする中で、日本製の電子顕微鏡、sがついているのでその全てが、ということ。
That is the laboratory at which I hope to be hired next spring.
研究所というカテゴリーの中で、theで特定する理由、1980年代に建てられたとか、ノーベル賞受賞者を輩出した研究所とか、いろいろありますが、atが来たから、コレで「場所」で特定したとわかる。
He is the physicist with whom I would most like to do research.
同じく、withが来たので特定した理由が「一緒」と言うことがわかる。
Japanese arranged marriage(お見合い) has recently became(a/the) subject of wide interest in the United States.
a subject
アメリカで興味深い話題というカテゴリーの中の一つとして、日本のお見合い結婚がなった。
the subject
あらゆる話題というカテゴリーの中で、その話題がアメリカで興味深い話題ということ。いまアメリカで興味深い話題が日本のお見合いになった。アメリカで興味深い話題=日本の見合い。aはそのうちの一つ。
マーク・ピーターセン著「日本人の英語」p25
「一度、名詞が” a “のカテゴリーに入れられたら、あるグループの一つに過ぎない存在となる。一度、” the “のカテゴリーに入れられたら、ある唯一の、特定のアイデンティティーを持っている存在となる」とあります。
以上は、同著の、私の勝手な解釈です。
A person who kills another person is called a murderer.
a person
色々な人がいる中で、人を殺める人を殺人者‥ではなく、人を、「他人を殺める人」というくくりでカテゴライズ。その中での一人。そのカテゴリーの中の人、誰をピックアップしても、それはmurderer殺人者と呼ばれるという事。つまりは総称。
I have absolutely no need of a cell phone that can take photographs.
a cell phone
携帯は色々ある中で(20年以上前はカメラ付き携帯は特殊だった)、写真を撮れる携帯にカテゴライズした、その中での一つ。ようは総称。the cell phoneの場合は、カメラ付き携帯は世界でこの一台。
Someone was telling me the other day about (a/the) Japanese proverb that has something to do with nails sticking up.
「出る杭は打たれる」というような、杭に関する日本のことわざが、ひとつしか無い事を知っている人であれば” the “
一方、「出る杭」に関することわざが、幾つかあると思っている人は、そのカテゴリーの内一つだから” a “を用いることになる。
A Shinya Yamanaka is waiting for you in the lobby.
「山中伸弥」という人がロビーでお待ちです。
受付の人は、山中さんが誰かわからないから、山中さんというカテゴライズした人の内の一人と言うこと。
以下の日本語と英語文との比較。
カテゴリー認知をしない日本語、日本人にとっては、日本文の異常は見当たらない=英文の○×の理由がわからない。
カテゴリー認知をするとその理由が理解できる。ということは、英語は常にカテゴリー、カテゴライズしている証左であると考えます。
「(日本教育について)この問題の原因は、ティーンエイジャーに試験のための詰め込み勉強を強いる教育制度にある」
×This problem can be attributed to the education system that forces teenagers to cram for exams.
日本の教育システムについて述べたこの英文は、教育システムというカテゴリーの中で、詰め込み教育と限定しているので×。これでは、詰め込み教育はこの世にたったひとつしか無い、という事になります。
日本語として何の問題も無いこの日本語文は、日本人が自動的に、この教育システムを身近な問題と認識するからです。
英語の場合、常にカテゴリー、カテゴライズするので、この世の各種教育システム(たとえば、高齢者さん向け。教科書を用いない青空教室教育システム。生徒同士が教え合う教育システムetc・・・)という教育システムカテゴリーの中で「詰め込み教育」という教育システムに限定特定している。その詰め込み教育は日本の教育システムだけでは無い。詰め込み教育=日本の教育システム。と言うわけではないので、×。
a education systemにすれば、教育システムを「詰め込み教育」にカテゴライズしたその中の一つ。と言うことになるので○
「ステーキの美味しいレストランを教えてください」
×Can you recommend the good restaurant that serves steak?
日本人はどうしても、一人称認知のためか、自動的に身近なレストランという認知で、カテゴリー認知はしないので、なぜ、ダメなのか理解し難い。
一方、この英文では、ステーキを出す美味しいレストランはこの世に一店しか無い意味になるし、ステーキを出す店=良いレストランではないので×。
a good restaurantにすれば、ステーキを提供する良いレストランというカテゴライズした中の一店だから○。
「これは受け入れなければならない事実である」
×This is the fact that we must accept.
日本人には、やっぱり、どうしてもこの日本文は、自動的に身近な問題(事実)となるが、英語では常にカテゴリー認知をするので、この文だけであると、受け入れなければならない不快な事実は、この世で、このひとつしか無くなる。そんなわけはないので×
a factにすれば、受け入れなくては成らない事実というカテゴリーの中でのひとつの、受け入れられない事実になるので○。
「渋谷は若者が好んで集まる場所だ」
×Shibuya is the place where young people like to gather.
同じく、英語では常にカテゴリー認知をするので、この英文は×。場所というカテゴリーで、若者が好んで集まる場所は、この世に渋谷しか無いわけではない(日本語では常に身近なと言う認知になるので、そう言う意味には取らない)。a placeにすれば、若者が好んで集まる場所とカテゴライズした場所の中の一つとなるから○
「この考えを支持している多くの日本人は、政府の決定を歓迎するだろう」
○The many Japanese people who are in favor of this idea will be pleased by the government's decision.
日本人には何の変哲もない文章ですが、カテゴリー認知する英語では、このアイデアを支持している日本人全員が、政府の決定を歓迎すると言う意味。TheがないMany Japanese peopleだと、このアイデアを支持する関係なく、全日本人が、政府の決定を歓迎するわけではない(が、その多くの日本人は歓迎する)という意味になる。つまり、全日本人を視野に入れると、この考えを支持する日本人の数はTheがあってもなくても変わらないし、政府の決定を歓迎する日本人の数も変わらない、が視点が違う。
「棄権した三人の委員は、後に辞任に追い込まれた」
○The three members of the committee who abstained(棄権する) were later forced to resign.
同じく、棄権したのは三人だけであり、その三人全員が辞任に追い込まれた。一方、Theがなければ、委員は少なくとも四人以上いたことになり、そのうち棄権した三人が辞任に追い込まれたという意味になります。
「海岸に打ち上げられた何百頭という鯨を救う事は不可能だった」
○It was impossible to save the hundreds of whales that were washed up on the beach.
何百頭もの鯨が打ち上げられ、一頭も救うことができなかった。theが無ければ、それ以外(具体的な頭数は書いていないので表現し難いですが、その何百頭以上の数の鯨が打ち上げられ、そのうちのその何百頭がダメだった)の打ち上げられた鯨は助けられたと言うことを示唆しています。
Wouldn't it be nice to live a world that placed less value on money?
お金にこれほどまでに価値を置かない世界に住めたら、素敵だと思いませんか?
Can you imagine a United States that didn't allow people to own guns?
人々に銃の所持を認めないアメリカを想像することができますか?
話し手も聞き手も、当然、worldやUSAが一つしかない事を知っている。という前提で" a "でカテゴライズした世界や米国を述べている。つまり、想像です。
以上は、T.D.ミントン著「ここがおかしい日本人の英文法III」、デイビッド・セイン著「ネイティブはこう使う!マンガでわかる冠詞」から引用した私の勝手な解釈です。
モノをカテゴリー認知すると、日本語との違いが明確になり、いろいろなことが判って視野が広がりますね。
結局
英語は世界を俯瞰でみて、自分をも登場させる舞台を見るように世界を認知している。
だから、その舞台には、昨日という過去は存在しない(想像や妄想も)。だから過去は、現在と全く繋がっておらず、一切、関与しない世界なのです。だから、その過去を関与させるために、現在形のhaveで持つのです。それが完了形。
日本語は一人称視点で、身近なモノ認知、目の前のモノ認知。しかし、英語はそのような俯瞰認知だから、モノは風景の一部、背景の一部なのです。だから、どれを指しているのか?という日本語にはないカテゴリー認知や冠詞があるのです。だから、カテゴリー認知する為にモノの最小単位と言う概念が必要になり、それから外れたモノは数える単位がないから不可算名詞と言うのです。
この、日本語と英語との世界認知の根源的な違いから、種々の日本語と英語の違いが発生するのに、その認知の違いの記載が、学校教育や英語参考書には、まずありません。これは、ほんとうに不思議なことです。
わたしは、熊谷高幸著『「自分カメラ」の日本語 「観客カメラ」の英語』や、濱田英人著「英文法の正体」、松本隆著『なぜ、英語では「虹は出ない」のか?』等で知り、目から鱗が落ちるとは、まさにこの事でした。
これまで英語について連々とnoteしてきました。
わたしは英語とは何の責任もない立場なので、自由に、大胆に発想を飛躍させる事が出来ました。
また、職業柄、結果(病気)という現象から、常に原因を探るため、原因ー結果の関係が判らないと、非常に気になる、収まりが悪いというか、不安、しっくりこないというか、納得がいかない。なぜなら、たとえば、ケイレン発作があった場合、原因が頭にあってテンカンなのか、中耳炎から起因するのか、それとも極度の脱水から、はたまた腎不全による尿毒症によるものなのかetc・・・それが判らなければ、治療が出来ないからです。尿毒症による発作なのに、中耳炎の治療をしても全く無意味で絶対治らない。だから、(本来、語学は散発的かもしれませんが)、理由があってそのような現象になるように、筋が通るように、強引に理屈付けをしてしまいました。が、これは、私にとって本当に刺激的な面白い体験でした。漠然と頭の中にあるイメージ概念を、なんとか言語化したり、図を書いたりして頭から出すと、途端に色々なことが繋がって(まさに点と点が繋がる感覚)ハッキリ見えるようになるなんて驚きだったからです。
誰かが考えたことを理解してそれをなぞる、よりも自分で、ああでもないこうでもないと考えて筋を見つける方が、真の考えることでありますし、ある英語のインフルエンサーが言っていましたが、理解の仕方は全員違う。まったくその通りだと思いました。
さらに、わたしは、患者さんにその病態プロセスをわかりやすく説明しなければならないことで、強引に例えたり、シンプルにし過ぎた事もあったかもしれません。が、逆にそれが面白い見方、見解に成ったのではないでしょうか。
ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!!