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仮定法のユウレイ2

「仮定法のユウレイ」の続きです。仮定法について、最初に結論を言います。

仮定法はただの分類

なんだか、突拍子もなく、「何言ってんだこの人」、と笑ってしまいますが、話として気楽にお読み頂き、結論までお付き合い頂ければ、幸甚です。
きっと、あれほど悩ましていた仮定法がスッキリ解決、雲散霧消するのではないかと思います。少々長いので、三つ四つに分けようと思いましたが、あえて分けませんでした。仮定法のみならず完了形や助動詞過去の問題などが、同時に一気に解決するからです(わたしには暗い帷が上がり朝日満たされ室内の様子がはっきりわかったように感じたからです)。


さて、「仮定法は分類」とは?
いったい、どういうことなのか、早速、見ていきましょう。

河上道生著「英語参考書の誤りとその原因をつく」p432−441
本書は「仮定法過去がすべて現在の事実と反対の仮定を表すとの誤解がある」とし
日本の参考書や入試問題を取り上げ、ネイティブの文法書を根拠にして、それを指摘しています。
関正生著 真・英文法大全p167でも「仮定法は妄想・反事実・非現実なので、「ありえないこと」に使うのが基本ですが、中には「あり得そうな内容」も有ります」とあります。

つまり

仮定法は現実可能なことから現実不可能なことまでを含む

ということです。

そうなんです。
この事実から、仮定法は

現実可能なことと妄想と分けるものではない。

と言う事が言えるのではないでしょうか?
実際、現実可能なことも含むわけですから
・・・となると・・・

これは・・・、これでは、仮定の取り扱いは、日本語と同じでしょう?分けてないのですから。(日本語の「もし」は、実現可能の条件から全くの空想をもすべて網羅し、分けていない)


??いったい、これはどういうことなんでしょうか??


不可解な混乱を解決するために
ちょっと、結果とそこから生じる問題を整理してみましょう。

現実可能、不可で直説法(中学校で習うif)と仮定法(高校で習うif)を分ける。
確かに、直説法は現実可能な条件で、仮定法は現実不可能な仮定であります。
しかし、その不可の仮定法ですら、現実可能から妄想の現実不可能まであるのですから、そもそも、分ける必要性がないのでは??

「文脈によってその意味が生じる?それじゃ、それこそ、日本語の「もし」と何ら変わらないじゃないか」

仮定法は現実可能不可で分けられていないなら、「仮定法」という文法用語さえなければ、ifの取り扱いは日本語の「もし」と同じことになってしまいます。

「それじゃ、いったい、なぜ分けてるんだ??」

突き詰めると
仮定法の文法的存在意義が無くなってしまう。
そう、英語のif文は、直説法と仮定法取っ払って、日本語の「もし文」と同じように一括りになってしまうのです。言い換えると、日本語に仮定法がないのは、日本語の「もし」が現実可能な条件から空想までも含むからですが、じゃあ、英語だって同じなんだから、直説法、仮定法と、わざわざ分ける必要は無いんじゃないか?と言う事です。


ここでちょっと、日本語英語の眼鏡を外して見てみて下さい。

直説法if過去と仮定法if過去

どこに違いがありますでしょうか?全く同じですよね(beは除く)
続く

助動詞過去文と仮定法帰結節の助動詞過去文

どこに違いがありますか?全く同じです。


とりあえず、仮定法&直説法の違いは現実性の有無で無い。と、いったん置いておきましょう。
「それではそれは、いったい、何処か、どこで見分けるんだ??」
と、視点を変えてみます。
すると、仮定法と直説法の違いは「時制の違い」一点に収束します。
ということは、大胆に言ってしまえば、仮定法が仮定法になるのは、仮定法の公式文だからではないと言うことになります。

一方、
日本語は、時制は自由に飛べますが、英語は、現在形で語る中で突然過去形は現れない、時制は突然ズレないと言う原則。

「時制がズレても構わないじゃ無いか。訳す日本語は自由なんだから」

「いや違う!確かに、日本語は現在形で語る中で過去形が突然出てきても成立出来る」
しかし、その時の意味は、過去の出来事だから、意味が違ってきてしまいます。つまり、日本語と同一視して、仮定法過去をそのまま訳してしまうと、現在のことを言っているのに過去形になってしまい意味が違ってくるのです。

「ということはつまり、仮定法という言葉は、時制の矛盾を指摘する、意識するためだけに存在する『認知』と言うことに成りやしないか?現実可能、不可で分ける『機能』で存在しているのではなく」
実際、現実可能な仮定法もあるわけですから。


「いや違う!確かに、仮定法はネイティブ文法にある」
しかし、それは英語が「お前の頭の中の話か?」それとも「現実の話か?」と、自分に影響あるなしを重要視している言語だから、そのように分けて区別しているのでは?文法的な機能ではなく。
言い換えると、仮定法があるから、その仮定法の機能によって、そのような文法的な意味になるのではなく、結果的に、ただ単に、文法的な意味現象をそう分類しているだけなのでは?
そう、完了形と同じように、原因と結果の関係ではない!のではないでしょうか。

ーーーーーーーーーーー
もう一度繰り返します。
直説法if過去と仮定法if過去
どこに違いがありますでしょうか?全く同じです。
続く
助動詞過去文と仮定法過去帰結節文
どこに違いがありますか?全く同じです。
ーーーーーーーーーーー

となると、ひょっとして・・・(以下の強い疑義があります)
present, past formは、話者に影響が有るか否かが根源の真意なのに、日本語英語が「現在形」、「過去形」と訳し、時間の差しか意味しない日本語文法の「現在形」、「過去形」と同一視してしまったがために、past formで表現する仮定法を現在形の意味に訳すという大矛盾が生じてしまい、だから、日本人は、日本語英語は、仮定法という、ネイティブ文法で消えてしまった(動詞変化として無くなったという意味で)文法用語を、引っ張り出したのでは??それは言いすぎだ!としたら、仮定法を重要視したと言っても良いでしょう。そうやって、ただの分類を、機能にして、辻褄を合わせたのではあるまいか?完了形と同じように
「‥‥‥やはり、そうなんではないでしょうか。だって、仮定法を機能するだけの単語や動詞変化は無いじゃありませんか(そういえば完了形だって、完了形を機能するだけの単語や動詞変化はありません)」


つまり
「仮定法の問題は、日本語英語だけに存在する、日本語英語に踊らされていた一人芝居だったということになりやしないか?」
と言うことです。
もしそうだとするならば、仮定法の困難さは、現実には存在しなかったユウレイだったということになり、言い換えると、日本語英語が時間を絶対軸にしてしまったために、生じてしまった。という、恐ろしい結論に行き着いてしまうのです。

結論
仮定法には、完了形と同じように、そこに機能はなく、ただの分類だった。


ちょっと、発想が飛躍しすぎましたでしょうか?
たまには、こういう、振り切った見解もいいじゃありませんか笑


ここで、仮定法を振り返って整理、総括してみましょう。
past formの原意はpresent formにいる話者に影響できない、関係ないという意味。
どういう理由で影響できないか?

時間的な理由で(過ぎ去った過去だからで)
話者の頭の中の理由で(空想だからで)

だから
仮定法は、話者がそれをどう思っているか(話者の心的態度によって)によって、present formで語る中でワザと過去形で表すのです。
たった、それだけの単純な理由と単純な方法なのです。
いや、前述の結論によると原因と結果が違いますね。そのように『時制をズラして表現することを仮定法と分類する』のです。何故ズラすのか?それは、話者が影響しない関係ないと思っているから。前述したように、それがpast formの定義だからです。past formを「過去形」と時間で訳す日本語英語では、ココに矛盾が生じてきてしまうのです。
こう考えると、実現可能性度合いを『あたしやぼくに影響できるかどうか』という、極めてシンプルな原則に則することになり、だから、英語最難関である仮定法を、ネイティブの幼稚園や小学生が使いこなせていると言う不思議な現象の理由になるのではないでしょうか?
だから、完了形の用法が文脈によってコロコロ変わって一定しないのと同じように、仮定法の実現可能性の度合いも、一定していない。機能ではなく、表現の分類だから。機能が一定しないのなら、機能としての用を成さないでしょう。
 ※ 古、中英語での仮定法が、現代英語にて、助動詞過去になりすまし潜んでいる事を、「英語にひそむザラブ星人」と「過去形の多義性と三単現のSがある理由」で証明してみせましたが、助動詞過去の問題も同じなんです。
話者が、話題にしている事柄が、話者と影響できない、関係が無いと思っているから、現在形で語っている中で、助動詞を、助動詞過去形にワザと時制をずらして表現し、可能性の度合い、確信度にするのです。仮定法公式文のセットとして、帰結節で同じものが現れますが、当たり前ですが、同じものです。別物ではありません。日本語英語だと公式文として教えているので、まるで別物のように思えてしまい、混乱する大いなる一因になっています。くどいですが、もう一度言わせて下さい。仮定法公式文としてセットになるから、この時の助動詞過去も仮定法になって、仮定法の機能を発現するのではありません。その表現を仮定法と分類するからなのです。

現在完了形も、past formが話者に影響できない、関係ないからこそ、present formにいる話者に関係させるために存在する表現なのです(だから現在形でhaveするのです)。

以上のように、過去形なのに現在形の意味になる矛盾を無くすためには、

present, past formを時間ではなく、話者に影響があるか否かで分けるしかない。

と思うのですが如何でしょう?
そうすれば仮定法だけで無く、先の、もう一つの英語の難関である、完了形も無理なくスムーズに理解できるのです助動詞完了形も)。

以上述べたことが、もしも「真」であるならば、他の英語文法用語(受動態や進行形も)もあり得る。
いや、きっとそうであろう。
つまり、be+過去分詞、 be+現在分詞で、今まで日本語英語で習った機能や作用があるのでは無く、その表現を、ネイティブ英語は"Passive"、"Progressive"と分類しているだけなのでは?原因と結果の関係はそこには無い(あれ?よく考えると、仮定法や完了形と同じように、受動態や進行形も、その意味を表す専用の単語や専用の動詞変化はありませんね)。
日本語は漢字の組み合わせで、その構成する漢字一つが持つ、意味とは別の意味に出来る「熟語」があります。日本人には、この、バックグラウンドがあるために、英単語は漢字ではないのに、その組み合わせで、「熟語」と同じように意味を持たせ(=機能を持たせ)てしまい、ネイティブの幼稚園や小学生でも自由に使いこなせる英語を、複雑怪奇、奇々怪々にしてしまったのではあるまいか→詳細は「言霊と英語」「貞子と完了形」で考察しました。

P.S
過去の自分の仮定法の記事を読み返したら、気張りすぎて空回りしていて、書いた自分でさえも??という、よくわからない箇所が・・・笑。
そこで、その思考を辿るために、その時、読んでいた参考書を読み返してみると、全く別の、面白い見解が生まれ、今回整理して、再アップしました。
外山滋比古著「思考の整理学」で示されているように、「思考を寝かせて醗酵させる」ということは、本当に大切なんだと痛感ました。

ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!!


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