俺様は猫である 第8話【本をたくさん読む】
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次の日。
定時で仕事が終わった私は、今朝ノーブルから言われた指令を遂行するために駅前の商業施設へ向かっていた。
人通りの多いこの道は、私と同じような仕事帰りのサラリーマンやOL、大笑いしながら並んで歩く高校生、ベビーカーを押したお母さんなどいろんな人が交差する場所でもある。
その表情は様々で、私は人ごみに行くと「きっとみんないろんな思いを抱えて毎日を過ごしているんだろうな」なんて思ってしまう。
ふと振られた日のことを思い出すけど、こういうところに来ると、パシッと自分の頬を叩きたくなった。
それにしても……。
例えば私の周りを含め、仕事に関して言えば、ほとんどの人がお金のために、生活をするために働いている人が多い。
なぜその仕事に就いているのか?と聞かれれば、「何となく」と答える人だって多いだろう。
それは私も同じだった。
だけど、私はそんな人生から脱却したい。
もう「何となく」と答える人生から、抜け出したいのだ。
思い返せば、進学先として選んだ大学も「名前にブランド力がある」という理由で選び、そこでこれを学びたいという明確な理由もないまま、ただ4年間を単なる人生のモラトリアム期だと思い、ろくに勉強もせず遊んで過ごしただけだった。
就職した会社だって同じような理由で選び、たまたま内定がもらえたから決めたに過ぎない。
こうして私は今までにただ「何となく」という人生の選択をしてきたからこそ、今のこの状態があるのだと思う。
だからこそ、これからはもっと自分の「やりたい!」に足を踏み出して、もっと人生を楽しめるようになりたいな。
**********
あ、あったあった。
私が足を踏み入れたのは、この辺りで一番売り場面積の広い大型書店だった。今日のノーブルからの指令というのは、「本を読む」ということだったので、ここへ来たという訳だ。
「どんな本を読めばいいのか」と聞いてみたところ、「興味のある本なら何でもいい」という答えだったので、とりあえず品数の多いこの本屋で探すことにした。
普段はファッション雑誌のコーナーに立ち寄ることが多くて、他の売り場をゆっくりと見ることもない。
こうして足を運んでみると、いろいろと気になるタイトルの本が多くて、面白い。
あ、これも読んでみたいな。
なんて、本のタイトルを眺めていたら、あっという間に時間が過ぎていった。
結局1つに絞りきれず、4冊の本を手に私はノーブルの待つ部屋へと帰ることにした。
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「見て、4冊も買ってきちゃった!」
ノーブルの顔を見るなり、本屋のレジ袋を見せびらかす。
自慢じゃないが、漫画でもない本を一気に4冊も買うことなんて初めてだ。
「本屋って結構面白いんだね。ファッション誌の立ち読みか資格試験の参考書買う時くらいしか行くことなかったけど、文芸書とかビジネス書で読みたいなって思った本がたくさんあったよ」
私がそう言うと、ノーブルは呆れ顔でレジ袋から出した4冊の本に目を向けた。
「最近活字離れが進んでるって話だが、お前もその筆頭だったって訳だ」
「……面目ない」
「まあ、いいんじゃないか。今からたくさん読めばいいさ」
「そうだね!まだまだ読んでみたい本もあったし、また本屋に行ってみるよ」
そう言ってへらりと笑うしかなかった。
「でもさ、本を読むのと幸せになるのってどういう関係があるの?」
「関係大有りだ。そもそも、最初の本選びにこそ幸せに繋がるヒントがあるんだぜ?」
「え?本選びに?!」
「本を選ぶ時っていうのは、当たり前だが自分が興味のあるものにしか目が向かないだろ?つまり、その選んだ本の中に自分が好きって思うものやワクワクすることが潜んでいるかもしれないってことだ」
そう言われて手元にある4冊の本に目を向ける。一人暮らし向けのインテリア本、今度映画化される小説、旅のコラム集、そして気配りやマナーについて書いてあるビジネス書だ。
見事にジャンルもサイズもばらばら。
「なるほど。確かに私、映画とか旅行が好きだし、オシャレなインテリアも興味あるんだよね。マナー本は完全に今の仕事のこと考えて選んだけど」
「まぁ、とにかく本は読みまくれ。この世にはいくら時間があっても、読み終わらない程の本があるんだ。その中には人生を変えるヒントもたくさん詰まってる。思考を変えるにも読書は有効だし、読書ほど安価で費用対効果の高い自己投資なんてないぜ?」
「読書は自己投資、か……。そんなの考えたこともなかったよ。でもさ、ビジネス書とか自己啓発本なら分かるけど、小説が人生で役に立ったりするの?フィクションの話だけど」
私がそういうと、ノーブルはキッとこちらに目を向けてきた。
「お前、小説の素晴らしさってもんを全然分かってねぇな!小説にだって、ハッとさせられるような台詞や言い回しが山ほどある。自己啓発本だけが自己啓発されるものって訳じゃない。小説だからって、バカにするんじゃねぇぞ」
「ハイ、すみません……」
珍しくやけに熱のこもった論弁で驚いた。
もしかしたらノーブルは無類の小説好きなのかもしれないな、という仮説が頭に浮かぶ。
「とにかく、本には書いた人間の英知が詰まってるんだ。そこから学べるものは多い。試しに1週間、毎日本を読むようにしてみろよ。それだけでお前に変化が現れるはずだぜ」
そこまで言われると読まない訳にはいかない。
ノーブルが言うように、まずは1週間。
出来る限り時間を作って読書の時間に充てよう。
私は買ってきた4冊の本に手を伸ばす。この4冊が、私の人生を変えるかもしれない。
そう思うだけで、何だかワクワクした気持ちが湧いてきて本を開くのが楽しみになった。
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読書を始めて3日が経った。
私の身にはすでに、ノーブルがいうように変化が現れていた。
まず、思いのほか読書にのめり込んでいる自分を見つけた。
好きなジャンルの本ということもあって、読み出すとページをめくる手が止まらなくなり、ついつい時間も忘れて読みふけってしまう。
読書がこんなにもおもしろいと知らなかった私は、何て勿体ない時間を過ごしてきたんだ!とさえ思うようになった。
1冊を読み終えると、関連した別の本も読みたくなって、昨日も仕事帰りに5冊購入して帰宅した次第だ。
「所詮はフィクション」と思っていた小説の中にも、登場人物の何気ない一言にハッと驚く人生訓が散りばめられていたし、読み終えた時の胸に走る爽快感や感動を味わえば、それだけで幸せな気持ちに浸れた。
学生時代は時間もたっぷりあったのに、講義やレポートを書くために読む本が多かった。
「やらされて読む本」が多かったから気が進まなかったけど、こうして自ら手に取って選んだ本を読むということがこれだけ面白いとは。
ちなみに、読むのは漫画でもいいってことだから、次は漫画を大人買いしてみようかな。
ほら、スラムダンクの“諦めたらそこで試合終了だよ”なんか、名言中の名言だしね。
漫画からも学べることがたくさんあるかもしれない。
こんな感じで、私の日課に本屋通いが加わり、日常に読書の時間が増えていった。
まだ大きな変化があるわけじゃないけど、少なくとも毎日が楽しい。
失恋してからメソメソ泣いていた日々からまだ少ししか経っていないのに、人生って何があるか分からないものだ。