「それ聞くか?」な驚きと「尋ねてもらってよかった」な安心感、そして「どこまで突っ走るのか?」への好奇心
東京外大「Management and Culture in Japan」クラスの第7週となる今日は、第102回目となる外語祭の2日前にあたる。と同時に、このクラスの中間レポート(というよりエッセイ)の提出締切日でもある。
というわけで、クラス終了後に外国人留学生からレポートに関する質問があった。が、それはこちらの想定とは大きくかけ離れた内容だった。
規定のワード数はあくまで目安であって、ちょっと少ないとか、ちょっと多いとかは気にする必要はない。大事なのは議論の流れがしっかりとつくられているかどうかです。
ってことを先週言ったよね、という言葉を呑み込み、この前と同じことを繰り返す。
しかし何よりおどろいたのは、「AIを使って書き足すのはレポート(というよりエッセイだけど)としてOKなのか?」という問いが成立しているところ。
だから「ダメに決まってるだろ(しかも今日は〆切り当日だぞ)」という言葉を呑み込むのがすごく大変だった。
とはいえ、ここでちゃんと尋ねてくれてよかった、とも。
それというのも、以前、こちらに確認することなく全面的にAIで書いたレポートが提出されたことがあって、その内容が壮絶にウソっぱちだったから。
その(日本文化論の)クラスで取り上げていたのは、1980年代の日本の(地域&仕事仲間の間での)飲み会を考察した文化人類学の論文。
仕事がらみの飲み会には、単に親睦を深めるだけでなく、ふだんオモテには出てこない情報を入手したり、通常は簡単にコンタクトできないエライ人に直談判できたり、大いに飲み、大いに歌うという「スキル」を披露してコミュニティ内の信望を集めたりと、社会生活&仕事環境をうまいこと構築するうえでのさまざまな機能がある。
だから、酒を飲むことを医者から禁じられていても、トマトジュースのボトルを手に飲み会に参加し、「酔っぱらった」感を出しながらお開きになるまで居残るメンバーがいる。
みたいなことが書かれていたが、提出されたレポートには「飲酒の健康被害を考えると、飲み会への参加を強要することは望ましくない」みたいな趣旨で引用(?)されていた。
クラスで取り上げたテキストをAIに読み込ませてレポートを作成しても、ここまで的を外した回答ができあがる(つまり、そのときのレポート課題はAIを使っても簡単には答えを出せないものだった)ことが明らかになったのはいいけど、もちろんその答案は(怒りをこめて)不可の評価とした。
そういうわけで、事前に尋ねてくれたおかげで、(自分で書いたところがあったとしても)AI部分の間違いで一発不可の評価を受ける可能性を未然に防いでくれたことはありがたい。
個人的には、こちらのクラスのレポートでもAIがどこまでウソっぱちなレポートを仕上げる可能性があるのかを確かめてみたい気もするけど。