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アジェンダ・シアター 〜 「儀式」化する会議のメリットとデメリット
この記事を読んで、「アジェンダ・シアター」という面白い言葉を知った(記事を書いた筆者らの造語だけど)。
アジェンダ・シアターとは、「詳細なアジェンダを用意すれば会議を改善できると思われがち」なことを背景に、「あたかも効果的な会議であるかのように演出するアジェンダの作成に、多くの従業員が時間と労力を費やし、会議の進め方を改善しようとしていない」状況のこと。
アジェンダ・シアターの力の源泉は何か?
これ、ようするに会議が「儀式」化しているということだ。では、どうすればこうした弊害をなくすことができるのか?
答えはシンプル。
会議を開くにあたって、「プロセスではなく成果を中心に据える」。つまり、「明確に言語化された目標を少なくとも一つ設定し、その目標に向かって」進むようにする。その結果、「会議の目標が明確化される」し、「達成したい成果を自分で理解できれば、それを指針として、会議の計画や運営に当たることができる」ようになる。
じつはこうした弊害は会議にかぎった話じゃない。
それが何であれ、ある行動が、その行動そのもの以外の(象徴的な)意味を持つようになると、「儀式」化する方向に進むからだ。
神社で、手を洗い、口をゆすぎ、本殿まで歩いて二礼二拝一礼する、という行動が、「俗世のケガレを落とし、聖なる/清なる中心に向かい、聖なる存在と向き合う」という意味を持つように。
そんなこんなで、詳細なアジェンダが「あたかも効果的な会議であるかのように演出する」力を持つことになり、ここに多くの「時間と労力」が費やされることになり、しかし、かならずしも望んだ成果が得られるとはかぎらない、ということになる。
「儀式」化のメリットとデメリット
アジェンダに沿って会議を進めるという「行動」は、単に出席者がいろんな言葉を発しているにすぎない。
ところが、あたかもそうした行動が、語られている現場の(多くの場合、ものすごくゴタゴタした)問題や課題をスッキリと明らかにし、解決の道すじを探し出しているかのような錯覚を与える。
そんなこんなで、この行動が「儀式」としての力を持つことになる。
とはいえ、行動が「儀式」化するのは、かならずしも悪いことばかりじゃない。
ある種の行動から、「チームや組織のメンバー全員が一体となって、困難な課題に立ち向かい、これを克服する」といった意味が生まれてくれば、これはチーム・組織にとって望ましい「儀式」として機能するからだ。
やっかいなのは、メンバーが気づかないうちにこうした「儀式」化が進展し、知らずしらず「儀式」のルールにとらわれてしまっている状況が生まれる可能性があること。
だから大事なのは、会議で話し合われる中身ではなく、会議を取り進めていくプロセスが、いつの間にかそうした作用を持ちうることを自覚すること。そして、会議にかぎらず、いろんな仕事の進め方の中に、「儀式」化の危険性があることに気づくことだと思う。
「アジェンダ・シアター」にかぎらず、仕事の取り組みのそこここで、知らないうちに「なんとかシアター」化が進んでいるかもしれないのだから。