「とりあえず何かする」を支援するためのコンピテンシー評価
前回の記事でこんなことを書きました。
新たな価値を生み出すには何をすればいいかというと、「話は簡単。何していいのか分からないなら、まずは何をすればいいのかのヒントを探せばいい」
「何していいか分からないときには、できることを「何かやる」ことで、皆目見当がつかない状況を脱する(きっかけを得る)」ことが肝心なのだ。
本当のことをいうと、じつはちょっと(かなり?)話を盛ってました。話はそこまで簡単じゃない。
なぜかというと、「新たな価値を生み出す」という目標を達成すべく、とりあえずはできそうなことをいろいろやってみた。が、その年度内にヒントを見つけることができなかった、なんてこともあるから。
すると、この間の評価は「成果なし」になる。いろいろがんばった努力はすべて水の泡。だったらそんな取り組みなんてやる意味ないじゃん、てなことになりますよね。
だから、そうならないための策を講じないといけない。
いろんな取り組みが結果的に(つまり、目標管理の評価期間内に)実を結ばなかったとして、それまでのプロセスでの努力がしっかりと評価されなければ、つぎからは努力そのものを行わなくなる可能性がある。
だから、そうした視点からの評価が必要になる。それがコンピテンシー評価です
というわけで、新たな価値を生み出すために何をしていいのか分からないなら、まずは何をすればいいかのヒントを探せばいい(ヒントを探すプロセスでの努力が、コンピテンシー評価でしっかりと評価されるのであれば)。
というのが正解。
コンピテンシーって何?
では、コンピテンシー評価のコンピテンシーって何なのでしょうか?
コンピテンシーは、「成果に結びつく行動特性」のように説明されることもありますが、この説明で「あ、そういうことね!」とピンとくる人、あんまり多くないですよね。
なので、コンピテンシーは、「与えられた役割をまっとうするために必要な考え方と行動(のすべて)」のように考えると、分かりやすくなると思います。
たとえば、ある製品に関する知識が豊富で、その製品の操作も上手な人がいる。で、この人に「お客様対応窓口」の仕事をまかせたとしたら、上手くいくのか? いかないのか?
答えは、「どちらともいえない」ですよね。
製品知識や操作スキルはお客様対応に必要だけど、それだけで「お客様対応窓口」の役割をまっとうできるかというと、かならずしもそうとは言えない。
何よりも、いろんな人と良好な関係が築ける力を持っていないといけないし、「ぜんぜん動かないじゃないか! 金返せ!」とけんか腰でスゴんでくる人にも柔軟に対応できるメンタル&スキルも必要になる。
お客様に対応するにあたっては、社内各所としっかりと連絡を取り合える人脈がなきゃいけないかもしれない。
と、こんな具合に、「与えられた役割をまっとうするために必要な能力」を挙げていくと、いわゆる学力や資格、業務経験だけではない、さまざまな「能力」が浮かび上がってきます。
クレーマーにうまく対応する「能力」には、単に何をどうするという「行動」としての能力だけでなく、相手の言っていること(の本質)を理解する力や、なかなか厳しい状況にヘコたれない力など、物事のとらえ方や状況との向き合い方といった態度までを含む「考え方」が含まれています。
「与えれた役割をまっとうするために必要な能力」を、そうした大きな枠組みでとらえたものが、コンピテンシーなんですね。
なぜ、コンピテンシーが必要なのか?
そもそもコンピテンシーという考え方はどんな経緯で生まれてきたのかを知れば、コンピテンシーに対する理解がさらに深まります。
1970年代、有名大学を優秀な成績で卒業した人を外交官(外務情報職員)に採用したが、任地でぜんぜん成果が出ない、ということがあった。
その理由はどこにあるのかと調べてみると
ということが分かった。
というわけで、「もし伝統的な適性テストの結果が職務上の業績を予見できないとすれば、何がそれを予見するのか、という問い」に答える必要が出てきたわけです。
それまでは、学校の成績や資格試験、適性検査の結果がよければ、「与えられた役割をまっとうするために必要な能力」があるものだと考えてきたけど、どうやらそうじゃないらしい。だから、それに代わる評価基準がなければ、じっさいの仕事力を測ることはできないことが明らかになったんですね。
学力とは関係ない思考や行動のつながりを探る
そこで、任地で大きな成果を上げている人に対して、以下のような質問を投げかけ、どんな答え(仕事の取り組みの中で何を考え、行動しているのか)が返ってくるかを調べてみた。
その結果、「異文化対応の対人関係感受性」「ほかの人たちに前向きの期待を抱く」「政治的ネットワークをすばやく学ぶ」「アイディアをどんどん生み出す」といった「学力とは一切関わりのないスキルの数々が、卓説した外務情報職員の思考や行動のなかに頻繁に示されている」ことが明らかになりました。
「与えれた役割をまっとうするために必要な能力」には、学力試験や資格試験では測れないスキルや能力(「身のこなし」に近い思考と行動との組合せ)が含まれている。
だから、これから誰かに仕事をまかせるにあたって、上手くいくか? いかないか? を判断するためには、そうした幅広い視点からとらえたスキルや能力(=コンピテンシー)を評価する必要がある。
まだ任地で仕事をした経験はなくても、「与えられた役割をまっとうする」際に求められる考え方や行動が、これまでの経験の中で必要になった状況はあるかもしれない。
そのとき、何を考え、どこに目を向け、どんな行動を取ったのかを詳しく聞いていけば(こうしたインタビューのことを「行動結果面接」といいます)、これからの仕事で成果を上げるための能力を持っているかどうかをたしかめることができるはず。
ということなんですね。
コンピテンシーとは「意図を伴う行動」である
こんな風にコンピテンシーをとらえると、それは単なる「行動」の特性ではなく、その前の段階で、行動を生み出すことになる「考え方」と深く結びついていることが分かります。
さらに、行動の結果をどのように解釈するかという事後的な「考え方」にもつながっていて、そこからさらに行動が引き起こされる、というつながりを明確にすることが大事なんですね。
スペンサー&スペンサーが述べているように、
だから、「歩き回ることによるマネジメント」の行動特性として「オフィスを歩き回る」だけに目を向けても意味がない。
そんなこんなを考えあわせると、人を採用するときだけでなく、目標管理で「新たな価値を生み出す」ことを目標にしている場合にも、コンピテンシー評価が必要になる理由が浮かび上がってきます。
「目標管理に役立てるデザイン思考!?」に書いたように、「何していいか分からないときには、できることを「何かやる」といっても「漫然と現場に足を運び、あたりを見回し、上の空で担当者の話に耳を傾けても、ヒントが見つかるわけ」はありません。
「しっかりと観察し、相手がやっている仕事がどんなもので、どういうこと考えながら仕事に取り組み、なぜデータが必要だと相手が考えているのかをしっかりと把握できるように意識を」向けていく、つまり、行動に意図が伴っている必要があるわけです。
「新たな価値を生み出す」目標管理にコンピテンシー評価が必要な理由
意図に下支えされた行動をうながすためには、これを評価する側も、「何かやっている」部下の行動に先立つのはどんな思考なのか、その思考からどのような行動が生まれ、そこからどのような成果が生まれる可能性があるのか、といった点について、しっかりと評価を行う必要があります。
つまり、評価期間内に成果が生まれたかどうかではなく、最終的に成果を生み出せるような形で思考と行動をつなげて仕事に取り組んでいるのかどうかを評価しかなければならない。
成果とは切り離す形で、途中経過での行動をコンピテンシー(の発揮)として評価することによって、「何していいか分からない」状態を脱し、とりあえずの第一歩を踏み出し、これを継続したり、ときに必要な変更や修正をつづけながら、粘りづよく取り組む姿勢を育んでいくことができるんですね。
と、まあ、そんなわけなので、前回の記事でかなり盛って話したことを、いっさい盛らずに書くと、こんな感じになります。
(「だいぶ盛らないと&短くしないとインパクトが出ないな」って思うでしょう?)