「なのに」ではなく、「だからこそ」で動くチームをつくる 〜 組織文化としての心理的安全性
ここ数年、「心理的安全性」という言葉を耳にすることが多くなる一方で、「心理的安全性は大事だけど、それは『仲好しこよし』ということではない」という声も聞こえてくるようにもなりました。
「仲好しこよし」ではない心理的安全性とはどういうものなのか?
それは、安全性にかかわる「心理」というよりも、むしろ「組織文化」と呼ばれるものに近いのではないか。そんな風に感じたのは、2人の若い看護師の方が語るエピソードを聞いたときのことでした。
仲好しになるきっかけは?
2人の話を聞いたのは、4月から半年あまりの新人研修期間の取り組みを振りかえり、これからにどうつないでいくのかを考える集合研修を終え、帰り支度をしていたときのこと。
入職3年目で、その年にはじめて新人のメンター役を担当した看護師の方と、その看護師を後方で支援する役割の先輩の2人が、こんなことを言ってきました。
「仲良くなるきっかけは何だったんですか?」と尋ねてみると、「いや、とくにきっかけはありません。何となく話をするようになったんだと思います」という返事。
「なのに」ではなく、「だからこそ」話し合うこと
それを聞いて、「そんなわけはないだろう」と思いました。
その時期は、新しい病棟を建設するにあたって病棟再編が進められていて、病棟をまたいだ人事異動が数多く行われていました。
だから、自分のチームから戦力を奪われることを嘆く師長もいれば、とつぜんの異動に納得できない人、新しくやってきた、仕事に慣れないメンバーに自分の時間を取られて憤る人もいて、いろんな職場で人間関係がギスギスしてきたという話を聞いていたからです。
そう尋ねたところ、2人から返ってきた答えはものすごく意外なものでした。
職場がギスギスしてきた状況「なのに」ちゃんと話し合うのではなく、職場がギスギスしてきた「からこそ」話し合う。
それを「当然」のこと、「当たり前」のこととして受け止めている2人に驚いて、「それってすごくないですか?」と尋ねても、「え、何が?」みたいな顔をするだけ。こちらが驚いている理由がまったく分からない様子の2人にさらに驚きました。
組織文化としての心理的安全性
2人の話にあらわれている考え方や行動には、チーム内で心理的安全性が確保されていることがよく示されています。
たとえ職場の人間関係がギスギスしていたとしても、しっかりと話し合い、問題や課題を明らかし、新たなアイデアを生み出そうとするプロセスで、誰かを怒らせたり、自分のことがネガティブに受け取られたり、自分が責められたりすることはない。
そうした確信に立脚しないかぎり、「職場がギスギスしてきたから、ちゃんと話し合わないといけない」という考え方は生まれてくるはずがありません。
しかし、それと同時にこのエピソードが物語っているもう1つの重要なことは、他のメンバーに対して意見や疑問を自由に述べても安全だ、つまり「対人関係のリスクを取っても大丈夫であるという信念」を抱いているというよりも、むしろそうした対人関係の安全性やリスクについての考えがまったく「頭に浮かんでこない」状態をメンバーが共有しているということです。
また、「ギスギスしてきたから、ちゃんと話し合わないといけない」という言葉には、しっかり話し合うという行動を取らなかった場合のリスクはとても強く感じられていることが示されています。
つまり、ここにあらわれている心理的安全性とは、「心理的」なものというよりは、何かを意識的に考える前に行動することが「当たり前」であり、そうしないことが不安に思えるような考え方や行動のパターン、つまり組織文化と呼ばれるものに近いように感じられます。
エイミー・エドモンドソンは、1999年に発表した論文の中で、場の安全性の度合いが異なると対人関係のリスクに対していだく暗黙の信念(tacit belief)が変わってくると述べています。こうした点からも、心理的安全性の考え方が文化に重なり合うことが示されているように思います。
大事なのは、チームメンバーに対する安心感を抱くことではなく、ありのままの気持ちや考えを言い合わないでいることが不安に思える「感覚」を共有すること。フォーカスは、いわゆる「心理的」な安全性の先にある具体的な「行動」に向けられていることがキモなのだと思います。
すでに知っていること、経験したことと心理的安全性をつなぎ合わせる
じつはこの2人の看護師の方の話を聞いたのは、心理的安全性という言葉が語られるようになる何年も前のこと。だからこの病院では心理的安全性を高めるための取り組みというものは何一つやっていませんでした。
しかし、新人看護職員を育てるために、メンター役の看護師だけでなく、そのサポート役の先輩看護師、さらに直接的には育成にかかわっていない病棟全体の看護師が、新人育成という目標に向けて互いに対話を深めるためのさまざまな取り組みを何年にもわたってつづけていました。
その結果、いま「心理的安全性」という言葉で語られている状況そのものが生まれている。
「カタカナのビジネス用語から生まれる『新しいもの幻想』を乗り越える」の記事でも触れていたように、新しい言葉が登場すると「(ほぼ)同じことなのに、違う言葉で表現されると、まったく別物に感じられる問題」が起きる可能性があります。
これは(カタカナではありませんが)心理的安全性という新しい言葉についても同じことがいえるでしょう。
目新しい言葉で何かが表現されると、その言葉であらわされていることが「これまでにやってこなかったことや、これまでには存在していなかった状態」のように思えてしまい、「(ほぼ)同じことを知っていたり、経験していたり」、あるいは今まさに取り組んでいたりすることとは別の何かをやらないと実現しない状況のように考えてしまう。
「なのに」ではなく、「だからこそ」話し合うことを「当たり前」にする文化をつくる。それはさまざまな組織でこれまでに行ってきた、そして今まさに推進している数多くの取り組みの土台にある考え方であり、実践だと思います。
「仲好しこよし」ではない心理的安全性をつくるということは、これまでにやってこなかったことを新たにはじめるのではなく、むしろすでに知っていること、経験してきたことを、新たな視点からとらえ直し、より豊かなものにすることで、望ましい組織の状態を「当たり前」なものにする文化をチームにしっかりと根づかせることなのだと思います。