
偶然に身をゆだねれば、もれなく学び直しがついてくる
「DX推進のためのリスキリング」ということなら話は簡単。でも、「先の見えない時代に対応するための学び直し」となると、ちょっと厄介だ。
学び直すべきスキルって何なのかを考えなければいけないから。
先の見えない時代の話だから、そもそも学び直すべきスキルが何なのかが分からない。モヤモヤする。だから最初の一歩を踏み出せない、ということになりがち。
そういうときは、あまり深く考えない。偶然に身をゆだねて、とりあえずの一歩を踏み出せばいいと思う。シンプルなルールは、「毎年、1コか2コは、それまでやったことのないことをやる」だ。
まずはエイヤッと飛び込む
経験のないことには二の足を踏んでしまいがちだけど、そこをグッとこらえて、エイヤッと飛び込んでみると、思いもしなかったところにたどり着くことがある。
組織開発手法 AIのオープン・セミナーをやっていたころの話。セミナーに参加された広島の看護大学の先生からこんな依頼があった。
大学で看護師向けにこのセミナーを開催してほしい
「か、看護師さん向けですか? 私がですか?」と最初は思った。でも、結局は「毎年、1コか2コは、それまでにやったことのないことをやる」リストに加えることにした。広島にも行ってみたかったし。
セミナーは数年にわたって継続開催されることになり、看護師のみなさんに伝えるためには、何を省き、何を加える必要があるのかについての勘所がだんだんと分かってきた。
すると、さらなる難題が舞い込んできた。
飛び込んだ先に待ち受けるもの
看護管理者向けにポジティブ・アプローチを実践的に解説した本の一部を執筆してほしい
もちろんここでも「か、管理者向けですか? 私がですか?」と思ったけど、これもリストに加えることに。話がボンヤリしがちなポジティブ・アプローチについて、自分なりに考えを整理するいいきっかけだと思ったから。
この本が好評を博したこともあって、さらに「この延長線上で単著を書いてみないか?」という話が持ち上がる。
さすがにそれはムリでしょう。いやぜったいムリ!
そう思ったけど、いろんな関係者へのインタビューを通じてポジティブ・アプローチのマネジメントの実態を明らかにしたいとも思ったので、これもリストへ(エイヤッ!)。
と、まぁ、こんな具合に、気がついたら看護分野のマネジメントに関して、当初は想像もしていなかったところまで航海を進めることになった(遠い目...)。
偶然という伴走者
「偶然に身をゆだねる」というと、何もしないで「わらしべ長者」的な幸運が舞い込むようなイメージがある。
しかし、じっさいはその正反対だ。
なにしろ経験がないから、いろんなことを知らないし、分かっていない。だから「エイヤッ!」の後は、アタフタするし、モヤモヤするし、ジタバタすることになる。ところが不思議なもので、そうこうするうちに、だんだんとそれなりに勝手がつかめてくる。
サッカーで、シャカリキになって走れば追いつくところにミッドフィールダーがパスを出すように、「偶然に身をゆだねる」と、がんばれば追いつくところに目標を立ててくれる人があらわれる。
「看護管理」という雑誌の連載としてはじまった「組織変革の航海術」では、毎月、原稿の締切間際は心の中で担当編集者に何本も五寸釘を打ちこんでいた。でも、後から考えると、すばらしいコーチだったことがよく分かる。
その信頼を裏切るわけにはいかないというモチベーションがなければ、月替わりのジタバタをとことん深めることはできなかったし、しっかり伴走してくれるパートナーがいなければ、長い航海を乗り切ることはできなかったから。
「偶然に身をゆだねる」とは、ストレッチゴールのガチャを回すようなものだと思う。
「いつも通り」の外で感じる違和感が学び直しをうながす
「それまでやったことのないことをやる」というシンプルなルールは、「いつも通り」の境界線の外に出ることを意味する。
自分にとっての「当たり前」が通じないモヤモヤやイライラのまっただ中に投げ込まれ、それまでには見えなかったものを見て、感じなかったことを感じて、やらなかったことをやる必要が生まれる。
最初の違和感を乗り越え、それがだんだんと新たな「当たり前」になると、こんどはそれまでの「当たり前」に違和感をおぼえるようになる。こうして考え方や行動の幅が広がっていく。
いま流行りの「越境学習」だ。
学び直しは掘り出し物を楽しむように
「偶然に身をゆだねる」ことから生まれる「越境学習」。それは金井寿宏が説く「ドリフト」という身のこなしとピッタリ重なっている。
キャリアがドリフトするとは、クラゲのように生きることだ。... 「吹き寄せられて漂うもの」という表現に、前向きなものを感じるのは難しい。
...
しかし ... 人工物と自然を並べると、自然のほうがさらに力強いようにも思える。「ケセラセラ」という気持ちで生きているひとのほうが、ガリ勉のまま大人になったひとよりも柔軟ですばらしいと思うときには、ドリフトの自然なパワーを見ているのだ。
...
自然には自然の力があるし、流されることがもっている意外な力というものもある。無理をしない、相手や環境の流れに身を任せることから生まれる、推進力が確かにありそうだ。
...
いいものに出会い、偶然を生かす(掘り出し物 = serendipity を楽しむ)には、むしろすべてをデザインしきらないほうがいい。ドリフトしてもいいというより、節目以外にはドリフトすべきだといってもいい。... キャリアの経路のなかには、そのような「よき偶然」や「思わぬ掘り出しもの(セレンディピティ)」がいっぱいある。
偶然に身をゆだねれば、もれなく学び直しがついてくる。でも、もれなくついてくる学び直しを生かすも殺すも、その後の自分の行動次第。
まずは深く考えずに、シンプルなルールで「先の見えない時代に対応するための学び直し」に一歩を踏み出す。そこから先は、アタフタし、モヤモヤし、ジタバタしながらも、その一歩をつぎにつなげられるような「ドリフト」を心がける。
そこで出会うことになる掘り出し物としての学び直しを楽しむこと。それが「先の見えない時代に対応する」ために必要なのだと思う。