第213回 氷川風土記「鷹匠と鷹と大宮」
6月8~9日に行われた「氷川神ほたる鑑賞会」では、境内で鷹匠が鷹と触れ合える機会を提供しておりました。
以前、氷川参道の天満神社付近で、日本最小のタカである「ツミ(雀鷹)」が撮影されたことがあります。
平成ひろばまで降りてくることもあるそうです。
また、御本殿裏の神社の森ではオオタカが営巣しています。
武蔵一宮氷川神社が鎮座する大宮は鷹とのご縁があります。
12月に行う特殊神事「大湯祭」に関わりがある氷川内記(当時の神主家の一つ)が、紀州鷹場内での殺生を理由に延宝7年(1679)に神職を解かれ、上青木(川口市)に追放された記録が残っています。
江戸時代、将軍は鷹狩りを好み、江戸を中心に5里(約20km)を公儀鷹場とし、後にはその外側10里以内(約40km)を御三家の鷹場に設定していました。
徳川御三家の一つ・紀伊徳川家の鷹場は、武州足立郡のうち、指扇・大宮・木崎・南部・平方・植田谷・小室・赤山・岩槻・与野・桶川・浦和・大谷にわたる地域にあり、「生類憐みの令」による中止期間を除いて幕末まで続きました。
当時、現地で鷹場管理を担う「鳥見役」という仕事がありました。
紀伊家鷹場は慶安年間(1648~52)になると、星野権兵衛(浦和宿)・松本孫右衛門(大宮宿)・八木橋七兵衛(深作村)・会田平左衛門(大門宿)などといった有力農民が公儀鳥見に代わって紀伊家鳥見に任じられ、苗字帯刀の許可と扶持を与えられました。
紀伊家鷹場の鳥見は藩の家臣からではなく、鷹場内の地域の有力農民が抜擢されたのです。
最終的には星野・八木橋・会田・蓮見・松本・北沢・林・小沢の8名が鳥見役として務めました。
そのような紀州鷹場。
紀伊徳川家では「大宮鷹場」と呼び、鳥見役も「大宮御鳥見」と称されていました。
大宮という名称が当時も浸透していたことが伺えます。
最後に話をツミに戻しましょう。
ツミは本種のメスに付けられた名前で、オスはエッサイ(悦哉)と呼んでいたそうです(引用/『サントリーの愛鳥活動』)。
オスとメスで体格が異なる上に狙う小鳥の大きさも異なります。
名前が異なるということは、区別する必要があったから。
鷹狩が盛んであった時代の名残と言われています。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕
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