~第104回 ~「スサノオノミコトと祓いの心」
令和4年3月19日、3月末で閉館した市民会館おおみや(さいたま市大宮区下町3)のお別れイベント「ありがとう市民会館おおみやお別れ会」が開催されました。
そこでは氷川神社の歴史や年中行事をお話しする講演会も行われました。
春も進み、だんだん暖かくなってくると、夏に向けて様々な準備が行われます。
その一つが、年中行事として全国各地で行われる「夏越(なごし)の大祓」。
夏越の大祓で欠かせないものが、穢れを払い疫病退散を祈る「茅の輪くぐり神事」です。
神橋に設置された大きな輪を、一度は見たことがあるのではないでしょうか。
なぜ茅の輪なのか。
実はこれ、氷川神社の御祭神・スサノオノミコトの神話「蘇民将来」に基づいております。 その神話は『備後国風土記』逸文にあります。 『昔、北の海に坐しし武塔の神、南の海の神の女子をよばひに出でまししに、日暮れぬ。彼の所に将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚く貧窮しく、弟の将来は富饒みて、屋倉一百ありき。爰に、武塔の神、宿処を借りたまふに、惜みて借さず、兄の蘇民将来、借し奉りき。即ち、粟柄を以ちて座と為し、粟飯等を以ちて饗へ奉りき。爰に畢へて出でませる後に、年を経て、八柱のみ子を率て還り来て詔りたまひしく、「我、将来に報答為む。汝が子孫其の家にありや」と問ひたまひき。蘇民将来、答へて申ししく、「己が女子と斯の婦と侍ふ」と申しき。即ち詔りたまひしく、「茅の輪を以ちて、腰の上に着けしめよ」とのりたまひき。詔の随に着けしむるに、即夜に蘇民の女子一人を置きて、皆悉にころしほろぼしてき。即ち、詔りたまひしく、「吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔りたまひき。』 現代語訳で要約すると、旅途中の武塔神(スサノオノミコト)が旅先で兄弟に宿を頼んだ時、弟の巨旦将来は宿を貸さず、兄の蘇民将来は宿を貸し、ご飯のおもてなしもしました。
その蘇民に対し、スサノオノミコトは後日「その親切に応えたい」として、蘇民の家族に対し茅の輪を作って腰の上に着けるよう指示し、「後の世に疫病があった時には、蘇民将来の子孫だと云い、茅の輪を腰に着けた者だけは疫病から逃げることができよう」とおっしゃいました。 現在では、茅の輪は神社境内に設置されるようになり、多くの方々が疫病退散を祈れるようになりました。
それだけスサノオノミコトへの祈りの心が全国各地に広がっていったことでもあるのです。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕