~第226回~「蛍と武蔵一宮氷川神社②蛍の献上」
前回に続き蛍のお話です。
近代日本では庭園に無数の蛍を放す行為が趣ある趣味とされており、それに伴い華族や政界への蛍の贈呈などが盛んでした。
また、それ以前にも天皇家や宮家へ蛍を献上する事がよく行われていました。
例えば地方へ行幸する明治天皇に対して現地の住民が蛍を献上した事例もあり、陛下の御所への蛍の放虫に関する新聞記事は明治11 年まで遡れます。
このような、蛍自生地域から天皇陛下や宮家への蛍の献上が本格化するのは明治 20 年代と思われ、新聞記事でその事例を探すと、明治35年6月5日付の東京朝日新聞の大宮の蛍献上記事が最も古いものでした。
ただ、記事になったのが明治35年の献上だっただけで、『大宮市史』を見ると明治 26 年から天皇陛下や各宮家への蛍の献上が行われています。
その後の新聞記事を探してみますと、例えば明治45年6月5日付読売新聞には武蔵一宮氷川神社の宮司が見沼の蛍2籠を天皇皇后両陛下に献上したとの記事があります。
また大正5年にも同じく宮司らが陛下や各宮家に見沼の蛍3000匹を献上したという記事があり、以後大正年間は毎年のようにそういった記事が見られます。
大宮の蛍は毎年、天皇陛下や各宮家と大宮とを繋ぐ役目も担っていたのです。
近代の大宮、そして武蔵一宮氷川神社の歴史を語る上で、蛍は外すことが出来ない存在です。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕
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