~第61回 ~「大祓の話」
日本各地の神社では六月になると大祓が行われます。
夏越(なごし)の祓とも言われるこの行事では、罪穢れを払い疫病退散を祈ります。
ここで行われるのが「茅の輪くぐり神事」です。
この神事は、氷川神社の御祭神・スサノオノミコトの神話に基づいております。
『備後国風土記』逸文に
『備後の国の風土記に曰はく、疫隅の国社。昔、北海に坐しし武塔の神、南海の神の女子をよばひに出でまししに、日暮れぬ。彼の所に将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚く貧窮しく、弟の将来は富饒みて、屋倉一百ありき。爰に武塔の神、宿処を借りたまふに、惜みて借さず、兄の蘇民将来、借し奉りき。即ち、粟柄を以て座と為し、粟飯等を以て饗へ奉りき。爰に畢へて出でませる後に、年を経て、八柱の子を率て還り来て詔りたまひしく、「我、将来に報答為む。汝が子孫其の家にありや」と問ひたまひき。蘇民将来、答へて申ししく、「己が女子と斯の婦と侍ふ」と申しき。即ち詔りたまひしく、「茅の輪を以ちて、腰の上に着けしめよ」とのりたまひき。詔の随に着けしむるに、即夜に蘇民の女子一人を置きて、皆悉にころしほろぼしてき。即ち、詔りたまひしく、「吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔りたまひき。』
とあります。以下のような内容です。
北の海に住んでいた武塔の神が、南の海の神の娘に求婚をするために出かけ、途中で日が暮れてしまいました。
そこでその地で暮らす将来という二人の兄弟に「泊めてほしい」とお願いをしたところ、豊かな弟・巨旦将来は宿を貸さず。
一方、貧しい兄・蘇民将来は宿を貸し、粟柄で席を作り、粟飯などの御馳走でもてなしました。
その後、何年が過ぎ、武塔の神は八人の子供を連れて再訪。
蘇民に「昔の親切に応えたい。お前の子供や家族は?」とお尋ねになりました。
蘇民が「私には娘と妻がおります」と答えると、「では茅の輪を作って腰の上に着けなさい」とおっしゃいました。
蘇民は言われた通り、茅の輪を作って腰に着けさせました。
そしてその夜、蘇民の娘ひとりを残し悉く死んでしまったのです。
そして武塔の神は「私はスサノオノミコトである。後の世に疫病があった時には、蘇民将来の子孫だと云い、茅の輪を腰に着けた者だけは疫病から逃げることができよう」とおっしゃいました。
現在では腰につけていた茅の輪は鳥居に設置されるようになりました。
「疫病が消えてほしい」という私たち日本人の祈りを、大切に神様にお届けいたします。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕