~第228回~「菱と蓮と水の話」
現代には様々なお菓子がありますが、奈良時代や平安時代は果物などを意味することが多く、『延喜式』巻三十三・大膳下にみる諸国の貢進菓子には地方ごとの特産物ともいうべき農産物が掲載されています。
その頃の武蔵国は何を中央政権に貢進していたかがわかる木簡が、奈良・平城京左京三条二坊にあった長屋王(天武天皇の孫)邸宅跡から出土しています。
この木簡の表裏には以下の文字が記されております。
(表)「武蔵国策覃郡宅□(子?)駅菱子一斗五升」
(裏)「霊亀三年十月」
つまり、霊亀3年(717)10月に武蔵国策覃(埼玉)郡の宅子駅(現在の群馬県前橋市にあった上野国府と、現在の東京都府中市にあった武蔵国府を結ぶ東山道武蔵路「入間道」の埼玉郡内の駅と思われる)に奉仕していた人々から、長屋王の邸宅に運ばれた一斗五升の菱子(菱の実)に付けられていた荷札です。
この木簡は池など水辺に育つ菱の、その実が食べられていたことを示す歴史的資料です。
この他、埼玉郡の隣の足立郡からは蓮の実が送られていたことを示す木簡も平城京から出土しています。
武蔵国は古来、荒川・利根川という二大河川の水の恩恵を受けている地域です。
武蔵一宮氷川神社の「蛇の池」も見沼に流れていた湧水で、現在も清水が神池に注いでいます。
また、12月の大湯祭で神前にお供えするお餅は菱餅です。
大湯祭は、見沼並びに周辺地区に古より伝わる作物等を調理してお供えしておりますので、当初は見沼の清水で育った菱を供えていた可能性があります。
いつの時代から菱がなくなり形だけが残り菱餅となったのかもしれません。
水が豊かであったからこその貢進物、それが菱であり蓮でした。
未来に語り継いでいきたい食物の歴史です。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕
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