追悼!デビッド・リンチとは何者だったのだろうか?/一日一微発見491
アレック・ソスの写真展を見た日は、デビッド・リンチの死を知った日だった。それはもちろん何の関係もないのだが、奇妙な気持ちになった。
リンチの『イレイザーヘッド』や『エレファントマン』は大学生の頃に見ていたが、やはり鮮烈だったのは1987年の『ブルーベルベット』のカラーの世界であり、それは同時にアメリカの日常風景と狂気の露出だった。ソスのサイコパソロジカルな風景へのアプローチとリンチの思考回路は、いまだにどこかで接続していると思われたのかもしれない。
僕はリンチの映画が公開されるごとに見てきた正しいマニアである。レヴューも書いてきた。彼が映画制作の時にTM瞑想法を使ってストーリーテリングするその手法にもリスペクトしてきた。
ゴダール、キューブリック、ティム・バートン、ガス・ヴァンサントらと並んでリンチは作品が好きだという以上に、その「やり口」は僕に大きな影響を与えたと思う。
90年代は僕にとっては、写真をパートナーとしてこの世界からいかに逃避するか(エスケイプするか)という日々だった。それを後押しするものは映画だった。ジャームッシュやヴェンダースの映画があてどなく外への逃避をいざなうものだったのに対して、リンチはメビウスの輪のように外に向かえば向かうほどの内に、内に向かえばむかうほど外へとつながるループを教えた。それを別のことばで言うなら個と世界のワープだった。
1990年代の初め、俺はリンチの『ツインピークス』にはまっていて、ついには『エスクァイア日本版』で「ピークス・マニア」と題した特集号を企画・編集、取材した。
そのツインピークスの旅は1992年2月15日に始まった。成田発16時のユナイティッドで、サンフランシスコ経由でシアトルへ。だが、僕は飛行機恐怖症で、眠れない。
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