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「アート思考」とオンラインのコーチングのこと/一日一微発見210
「アート思考」について世の中で、話題になって久しいが、騒ぎの割には内容のない話が多いように思われる。
それは「アート思考」とはアーティストの頭の中や実践において行われている、という基本的で、個別的、かつ複雑なものを、荒っぽく扱った物言いが絶えないからだろう。
それに、もちろんコンテンポラリーアートとセザンヌの頃の「アート思考」は時代のインフラが違うのだから当然異なっている。
しかし、共有しているものもあるわけで、単にセザンヌの頃の絵画についての思考を「もう古いよ」と、断罪したって意味もない。
「アート思考」が今、どのようにアップデートしているかを、個別にあたりながらリサーチし、生きたアドヴァイスとして処方できるかが、問われるだろう。
そのキーワードは「価値形態」「価値生成」という話になる。
僕はアート作品を製作したり研究したりしている受講生の講座と演習を行っているが、必ず「価値」の話から始める。
そして続いては「才能」についてであり、そして「戦略」の話になる。
アート作品をつくる「アート思考」は、もっぱら先達のアーティスト(師匠)の背中を見たり盗んだりして身につけるものだなんて、誰ももはや思うまい。
かといって今頃グリンバーグの「理論」を万能の処方として理解すれば「傑作」が生まれるなんて誰も思うまい。
万能な「イズム」信仰の時代よさようなら。
僕たちは、先生も生徒も混沌の海に放り出された迷子にして漂流民なのだからね。
世の中の「アート思考」の本は、それを知れば大丈夫、みたいなことを匂わせるが、ツボを掴んで意識化するには、ちと修行がいる。場数を踏まなきゃならない。
今や大昔だが、革命家の毛沢東は「泳ぎながら、泳ぎを覚える」とうまいことを言ったもんだ。
借り物じゃだめ。
最終はなんでもそうだが、独自のメソドロジーあるのみ、である。
アートの道は楽しくて苦しい、苦しくて、でも楽しい。
そうこなくっちゃいけない。
話は大きなところから始まったが、春になると新しいプログラムの開始だし、なおかつコロナ禍での2年目で、オンラインでの授業やコーチングをアップデートしなければならないので、なおのこと僕にとっては「アート思考」を再考する季節に当たっている。
僕は美大の通学の学生、そして社会人向けの通信大学院、それに加えて私塾としてのスーパースクールもずっと継続してやっている。
やり出したら投げ出さないタイプである。
でも最初オンラインサロンとしてスーパースクールをやった時は、どんなプログラムが刺さるか試行錯誤だった。
対面の授業はキャリアがあるが、オンラインはそうはいかない。
コロナ禍によりリモートが常態になり、オンラインで互いに共有できる実感が生まれてきたのは嬉しかった。
いま力をいれているのは、AとEを組み合わせた社会人向けのオンラインプログラムだ。「A&E」と言う。
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