編集の「仕事」と「メディア」/僕たちは編集しながら生きている 3
※このマガジンは、後藤繁雄が1996年から続けている「スーパースクール」のスクーリングの内容をもとに、2004年に初版出版された「僕たちは編集しながら生きている」の文章を加筆修正し、2010年に出版した「僕たちは編集しながら生きている・増補新版」の文章をそのまま掲載しています。年代やプロジェクト、事例はその当時のままとなり、現在は行われていないものもあります。
※別ページでの解説、「注釈欄」はこのマガジンでは省略します
※このマガジンに使われているスクーリングの内容をアップデイトした形で、現在も「スーパースクール」は、DMMオンラインサロンを利用した東京スクーリングと、浜松スクーリングを開催しています。詳細は、後藤繁雄のHPをご覧ください。
01 もし、あなたが何かを伝えたいとするならば
今までも言ってきたように、編集というのは、コトバとヴィジュアルを「組み合わせ」て、より「価値」の高い情報へ加工していくための技術。
あるいは、その作品なり、情報なりを人々が手にしたときに、どちらの方角に関心を持たせるのかという「ナビゲーション」の技術でもあるんですね。
と同時に、編集は、地球や生活や想像力とも関係して、自分がどのようにハッピーに生きてゆくか、サヴァイヴァルしてゆくのかということと結びつく重要な技術にもなっているんだと思います。
そのことを受けて、今日は「伝える」ということについての話。もしあなたが「何かを伝えたい」とするならば、どうすればよいか? という話をします。
まず、あなたが何かを伝えたいときには、「メッセージ」や「情報」があるわけです。でも、そのメッセージをどういうカタチ、意味は微妙に変わってしまう。
コトバを使って文章で書くのか、電話でしゃべるのか、会って目を見ながらしゃべるのか。それとも、コトバを使わずいきなり抱き合うのか。
また、文章を書くにしても、喋れるにしても、やさしいコトバ使いをするのか、あらたまるのか。「自分らしさ」を感じさせるには、どんな文体を使えればよいのか。白い紙の上にペンを走らせるのか、それともテクスチャーのある和紙の上に筆で書くのか。
とにかく、どのような選択をするかで伝えたいと思っている気持ち、気分、衝動はまるで違って伝わるわけです。
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