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ガーデニングと心『庭仕事の真髄』を読む ② ジークムント・フロイトについて/一日一微発見347

あまりにもあたり前な言い回しなのだが、人間が「生」に気づくのは、「自分が生きているんだ」と実感する時だ。

「ああ、生きている、生きていてよかった」

どんな美しい花であれ、飢えた人間や戦争の前では無力だろう。
しかし、その無力を、人間と 隔絶した植物やモノたちが、人間が生きていてよかったという感情を与えることは何というパラドックスだろうか。

それはアートの存在理由とも大きく関係するに違いない。

アートは今やトリッキーな「頭脳戦」であり、また同時に、自己と他者をめぐる複雑な「心理戦」になっている。それはいずれにせよ「人を解き放つ」モノというよりも、逆に人間の「業」や「思考の檻」の中に閉じこめようとするモノになってしまったと思うのだ。

シュルレアリズムはジークムント・フロイトの「深層」の精神分析学の成果なくしては出現できなかったろう。
そして全く真逆に見える「表層」だけのポップアートもまた、精神分析学の「転倒」によって価値を生成したのではなかったか。

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