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347/366 没入感を大事にする
こんばんは。
今日も書いていこうと思います。
今年一年を振り返ってみて、正直自分では納得がいく一年ではなかったというのが結論になってしまう。
というのも、今年一年の目標を『知動』を目標にしていた。
知って動く、多くのことを学び、それを必ず一つの行動に起こす。
年間の読書を100冊に目標を設定して、そうすると100個のアクションを実行に移せるようになる、そういう想いで考えていた。
ちゃんとした計測はまだだが約50冊ほど、目標の半分にも満たなかった。
それよりも自分が納得がいかなかったのは、本を読んで決めたアクションが実行されていないものや覚えていなかったものも多かったことだ。
ただ読んでいるだけ、ただ決めただけだった。
一年通して一体何をやっていたんだと悔しくなった。
ただ、それでも覚えているものもいくつかあった。
その覚えていることと覚えていないことの違いを考えてみると
それは『没入感』だった。
如何にその本や動画、シュチュエーションにとめり込めているのか。
そう思うと、今年一年通して没入して集中できていたことのほうが少なかったように感じる。
いつもなにか上の空で、他のことにも気持ちが散見されていた、そんな気がする。
その理由を思い返すと、今年一番最初に集中を手放すということをやっていたことだった。
自分は集中することが苦手。だったらいっそうのこと集中せず、様々なことに多動でいよう、そう決めてやってみていた。
だからこそ、仕事をしながら、他のこともやりつつ、本もいろいろな本をまた読みしていた。
結果、没入が少ないことで自分の納得のいかない結果に至った。
改めて自分はマルチタスク的な脳みその使い方が苦手で、シングルタスク型ののめり込んでしまったほうが絶対いいと実感した。
のめり込んでのめり込んで感情移入して、心に刻み込むくらい没入する。
でもそれくらい自分ごとにしていかなければ学びなんて得られやしない。
自分に刻み込まれている感覚や想いは確かに没入して感情をあわらにできた出来事やストーリー、本などに起因している。
今年一年の悔しさを来年につなげていく。
没入、真意を自分に刻む一年にしていこう。
決めたらやる。張り切っていこう