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26日後に新刊を出す植本一子(2024/11/5)

その日の日記、その日のうちに、というスタンスでやっているのだけれど、あまりに疲れていて書けなかった前日分を撮影前に終わらせるべく、朝からコメダ珈琲の鶏舎のようなボックス席に座り、モーニングを食べながら日記を書く。一時期は意識的に遠ざけていたnoteだけれど、不思議と捗るので、これはなんなんだろう……と思っていた。そもそも日記を書き始めたのもブログが始まりだったということもあり、このスタンス(書いてすぐ出す)に馴染みがある。書いている時に文字数がカウントされて達成感を感じやすい、行間や文字サイズが程よくいつも原稿を書くテキストエディットより書きやすい、などなど。市街地ギャオさんは、最近日記を書いているからか、依頼されたエッセイもすんなり書けた、と言っていた。私は小説を書かないからわからないけれど、小説とエッセイでは全然違う頭の使い方をしているのでは、と想像する。ギャオさんは今月号の新潮にエッセイが載るらしいからチェックしなくては。

30分ほどかけて勢いよく書き終り、急いでスタジオへ。今日は月一の月刊花すけの撮影。4年ほどこの撮影を天然スタジオで続けていたけれど、リニューアルすべく、来月の撮影からは家でのロケに切り替えることになったので、今日で一旦ここでの撮影は終了。いつも通りおしゃべりしながらじろけんが手を動かして花を作り、私がそれを撮っていく、という作業をしていると、ふいに見たスマホのニュースで楳図かずおが死んだことを知る。じろけんがしばしショックを受け「手元が狂う……」と言いながら、そこからの花のアレンジはすべて楳図先生のための供花のようになっていた。たまたま赤い花を多めに用意していたらしい。

昔、andymoriの3人を雑誌で撮るタイミングがあり、場所が吉祥寺に設定された。その日どうしても子どものシッターを頼めず(急な依頼だったのかもしれない)、やむなく撮影に連れていき、まだ小さかったどちらかの子を抱っこしながら(ということは12年以上は昔のこと)、撮影前にどこで撮ろうかとロケハンをしていた。吉祥寺の裏道のような場所だったのだけど、うろうろしていると、向こうから赤と白のボーダーを着た先生が歩いてくる。うわっ!楳図かずおだ!と内心思いながらもすれ違い、でもいてもたってもいられず「楳図先生!」と叫んだ。遠くで振り返ってくれた先生に向かって、大きな声で「グワシ!」と手を挙げると、先生はもちろん同じようにグワシを返してくれたのだった。

その後合流したandymoriのメンバーにさっきのことを興奮気味に話したけれど、みなさんポカンとされていたのが忘れられない。その写真はめちゃくちゃよく撮れた。



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