見出し画像

33日後に新刊を出す植本一子(2024/10/29)

半日撮影。終わって現場をすぐに出れば池袋の映画に間に合ったけれど、しっかり撮影したあとに気持ちを切り替えて4時間の長編大作を観る気になれず、そのまま納品作業をしてから帰った。屋内にいたから結構な雨が降っていることに気づかず、パソコンの入ったリュックをゴミ袋で包み、自転車に乗って濡れながら走る。フランスの血が流れてる(大嘘よ?)からちょっとの雨なら傘はささない私でもめげる雨量。

デザイナーさんから初稿のPDFが届き、今夜プリントアウトして明日校正さんのところに持っていく。校正さんは今ちょうど時間がぽかっと空いているそうで、うまくいけば早く戻せるかも、とのこと。戻ってくるまで私にできることはそんなにないな。しいていうなら表紙に入れる文字要素を考えることと、コメントをもらいたい人に依頼することと、価格を決めることと、書店さんにぼちぼち営業することと、通販ページを用意すること、くらいか。あるな、結構ある。本当にこれを出版するべきかどうか、ということまで考えそうになるけれど、もう書いてしまったのだから、できてしまったのだからしょうがない。出版社から出る本のように編集さんが並走してくれるわけでもなく、全部自分で進めていく、ひたすら不安で孤独な作業。しーばに通しで読んでもらったのも、一瞬ハイタッチしたような感覚で、基本はひとり。時々さびしい。

風呂に入りながら村上春樹のエッセイを読む。学校について書かれているところで、感覚としてはほとんど私と一緒じゃん、と嬉しくなる。一緒じゃん、とそんなふうに思う人がこの世にごまんといるのだろうけれど、読んだ瞬間は一対一なのだ。自分と同じことを考えている人がいる、自分は一人じゃなかった、と感じられること。これが本を読む効能のひとつ。『かなわない』があんなに読まれたのも、そう思ってくれる人がいたからかもしれない。だから私は、できるだけ自分の気持ちを正直に書こうと思っている。

実家から玄米と野菜が届いたので、お礼のLINEをお母さんに送る。いまだにLINEを送るくらいしかできなくて、こんな自分は親不孝なのだろうか、と考えたりもする。もっと自分が大人になって、できることがいろいろあるのでは、とか。というのも、周りがだんだんと「親孝行」らしき行動に出る話を聞く機会が増えたからだ。こちらの年齢も年齢なら、向こうだっていい歳。いつ何があるかなんてわからない。周りと比べて、いつまでも親と距離をとる自分に、なんともいえない居心地の悪さがあったのだけれど、まあこうやって遠く離れた土地で自立して生きているだけでも、親孝行になっているかもしれないな、と。私のことで思い煩うことがないのは、彼らにとって幸せなのでは。これが今の私たちの適切な距離感、と思うようになった。もちろんこの先、状況はお互いに変わるだろうけれど。

そういえばお父さんは図書館で借りてきた村上春樹をよく読んでいた。流行り物好きな性格だから不思議ではなかったけれど、どんな感想を持っているのか、いつか聞きたい。

いいなと思ったら応援しよう!

植本一子
いただいたサポートは我が家の血となり肉となり、生活費となります。