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39日後に新刊を出す植本一子(2024/10/23)

寝坊。高校生の娘がひとりで朝食の用意をし、食べている音で目が覚める。ご飯は炊けているし、冷凍食品の偉大な力を借りて、5分で娘の弁当が完成。お茶を作る時間はなかったので、水筒に水。ブリタの水。ただの水を水筒に入れるたびに、同じように用意して職場へ持って行った石田さんの姿を思い出す。当時ナルゲンの青色のボトルを新宿で見つけてきて、これなら頑丈でいい、と石田さんに使ってもらっていたけれど、石川直樹がナルゲンを山でピーボトルとして使っているとどこかで読んで、それ以来ナルゲンとピーが自分の中で繋がってしまい、何かのタイミングで処分してしまった。ボロボロになってもいたのだけれど、形見として取っておけばよかったなと時々思う。亡くなる以前に処分したような気もするけれど。

昨日は高校生の娘とライブ。今日は中学生の娘の合唱コンクール。区の立派な施設で一年に一度行われるもので、私は毎年楽しみにしているのだ。ミツの家も近く、今年は娘の出番を見るために仕事の合間を縫って来てくれた。自分の中学生の時の合唱コンクールは、歌うのが嫌で、毎年ピアノに立候補して伴奏していたけれど、今考えるとピアノの方がプレッシャーがあるな、と思う。それ以上に歌うことへの拒否感を何かしらで植え付けられている。音楽の先生の機嫌が悪い時に、見せしめのように急に始まった一人ずつの歌唱テスト「ドナドナ」とか。あれはなんだったんだろう。学校には理不尽なことがたくさんあった。娘におそらくそういう経験はなく、体全身を使って一生懸命歌っていて、それこそ昨日見た玉置さんのように光って見えた。

娘と会場近くの洋食屋でランチを食べ(店員さんがこれまで出会った店員さんの中でトップクラスに感じがよく、一周回って恐ろしくなった)駅のカルディでチョコレートをいくつか買って帰宅。パリ土産をお裾分けしてもらって知った美味しいチョコレートが売っていて、思わず大きい声が出る。パリ土産だけどドイツ産の「PICK UP!」というもの。大阪の輸入業者が入っていて、Amazonのレビューには定価の2倍と書かれている。日本のお菓子にはないうま味で、もらった時にはむさぼるように食べた。

村上春樹の続きを読むか・・・と寝っ転がり、本を1ページもめくらないまま気絶するように昼寝、気づいたら家を出る時間に。ピコちゃんとの待ち合わせを30分遅らせてもらい、15分で夕飯を作る。今日は子二人分。肉じゃがと味噌汁。ご飯は自分たちで炊いてもらうことにして急いで家を出た。
今日は立教大学で金川晋吾さんのトークイベント(というかほぼ講演会だった)現地参加のために池袋へ向かう。ちょうど1週間前、それも金川さんが参加している展示のレセプションで都写美にピコちゃんと参加した際に、来週も行くことがお互いにわかり笑ってしまった。新しく出た写真集『あかるくていい部屋』にまつわるものはなるべく見たり聞いたりしたいと思っている自分がいる。写っている人たちが私の好きな人たちだからということもあるし、彼らの今を知りたいと興味関心が向いている。それはどこか自分にも繋がっている部分があるからだろう。写真集の巻末に載っている金川さんの長いエッセイもいいけれど、百瀬文ことももちゃんのエッセイ集『なめらかな人』や、私の『愛は時間がかかる』の中の「三人のハイムシナジー」も一緒に読んでほしい。

作品を見ながらのお話で、写真のスライドには時々、金川さんのお父さんが飼っていたチワワが現れる。その度に、隣に座っている小説家の太田靖久さんの顔を盗み見てしまう。照明を落とした教室の暗がりで、スライドの青い光を見つめる眼光は優しくて鋭い。大の犬好きの太田さんとはさっき会場に入る前にばったり会った。太田さんは金川さんと『犬たちの状態』という共著を出している。

以下、聞いてメモしたもののいくつか。
父に「誰かがコミットしなければならない」/これは大きな動機になる/
父のことは父の問題であり、父を撮ることは自分を撮ることではない/父のことを自分の親と思わなくていい、息子を自分と同化せずにいてくれた父の性質があったからできた/
写真が写真らしい姿をしている/長い年月をかけて蓄積された作品であり記録/ちゃんと生活(汚れた部分含め)が写っている/絵になる4人であり、絵にされることをいとわない人たち/自分自身の変化も残している/
金川さんの裸体は、私が昔見た人のものに似ている/

金川さんが写真を撮っているのを見ると、私とは全く違う。印象としては、ぺろっと撮っているなと思っていた。あまり構図なんかを見ていないように見えるというか。一枚に対する念や動きが軽いというか。でも写真集になると、文章を含めちゃんと重力と遠心力が生まれている。

Q&Aがものすごく活発だったのが印象的だった。時間を延長しても質問が終わらなくらい届いていた様子。今日のタイトルは「人は変わる、関係も変わる:自分自身の個別具体的な生について語ること」。話の中でも、個人的なことを話すことが作品になると思っている、と金川さんが言っていて、私も同意するのだけど、そうは思い至らない人がほとんどなのかもしれない、とも思った。

よく見せようとしている/読んだ人がそれをいいものだと思ってほしい/どんなこともその人の魅力として書いている/よく見せたいと思わないものは作品にしていない/

帰りに太田さんと太田さんのお友達と、遅れて金川さんが来て4人で煌びやかな昭和風情の喫茶店で夜のお茶。太田さんに、今村上春樹を読んでいて、面白くて感動しているという話をしたら喜んでくれた。小説はフィクションだけど、物語を使って真理を書こうとしている、みたいなありがちな感想なのだけど、私が小説をあまり読まないことを知っていて、太田さんいわく「ファクトに軸足を置いている人間」だからこそ、そこに気づいたことを喜んでくれているような。今読んでいる『ねじまき鳥クロニクル』は、夏の終わりにももちゃんと配信のトークイベントをした後の打ち上げで話題に出てきた。小学生の時に読んでかなり影響を受けたと言っていて、それで気になって読み始めたのだ。私が初めて村上春樹を読んだのは『海辺のカフカ』で、内容はほとんど覚えていないけど、やっぱり夢中になった記憶がある。これが村上春樹というものか、と高校生なりに感じ入った。面白かったけど、そのまま3部作のねじまき鳥に手を出す気にはなれず、時を経てタイミングがきたのだ。

金川さんとは先週もお茶をしたから、1週間で3度会っている。23時前の電車で個別具体的な話をしながら二人で帰る。金川さんの着ていた蛍光緑のセットアップがかっこよくて、山手線の緑のラインと一緒に撮りたいと思いつつ、タイミングを逃してしまった。


私と作家のかんのさゆりさんが東京新聞に載り、金川さんがいたく面白がっていた


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植本一子
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