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20日後に新刊を出す植本一子(2024/11/11)

朝起きてメールをチェックすると、デザイナーさんから表紙のデザインが3パターン届いていてはっきりと目が覚める。すぐに友人数名に転送してどれがいいか質問。今回ほぼデザイナーさんにお任せしたので、どんなものでも受け入れる、と思っていたけれど、素敵なものを作ってもらえて嬉しい。明日が入稿予定日、いよいよ佳境である。

午前中に天然スタジオの撮影1件、砂鉄と編集さんがやってくる。今すばるでやっている連載で、砂鉄の宣材写真を新しくしよう、と話が持ち上がり、私を指名してくれたそう。知り合いを撮るのは意外と緊張する、写真が苦手と公言する相手に対しては特に。でもわれわれの付き合いも長いからか、スムーズに撮ることができてホッとする。うまくいかないわけがない。撮影後、編集さんから色々聞かれたのだけど、どうして植本さんに撮ってもらおうと思ったのですか?という問いかけに「信頼しているから」と砂鉄さんがまっすぐ答えてくれて、純粋に嬉しい。これはお守りにできる言葉だ、と思った。連載にどんなふうに今日のことが書かれるのか楽しみ。しかし本当によく喋る。

砂鉄御一行が帰り、スタジオで納品作業とメールのやりとりを数件。写真家の齋藤陽道さんに別件でエッセイを依頼していたのだけれど、素敵な文章が届いたので嬉しくてすぐに感想を返信する。はるさまはこの日記を読んでくれているそうで「ことば書いてくれてありがとうございます」とあり驚く。さっき砂鉄と一緒に来てくれた編集の岸さんも毎日読んでると言っていたし、おととい会った愛騒の石川さんもチェックしていると教えてくれた。閲覧数とかわからないので、どれくらいの人が読んでるのかまったく未知数。なのでのびのび書けているのかもしれない。

砂鉄に写真を送り、無事に納品完了。気にいるのがあるといい。一旦家に戻り、振替休日で家にいた娘にさっき編集さんからもらったでっかいマッターホーンの菓子折りの箱を渡し、さっき撮った写真を見せると「さわやか。老いを感じさせないね」という感想。

また家を出て、自転車で少し走って某店へ。P誌から頼まれた、おすすめの食べ物を紹介するエッセイで、このお店のことを書くことにしたので久しぶりにリサーチを兼ねて食べにきたのだ。エライ。真面目だ。相変わらずパンチのあるお店で、何をどう書くか……と考えながらひとり静かに美味しくいただく。

その後、本を読もうと気まぐれに入ってみた喫茶店が、まるで人ん家という感じで面白かった。個人店だけど、近所の寄り合い所のようになっている。隣に座ったおじさんがパソコンを2台広げてなにやら作業をし始め、アイスがのったメロンソーダを飲みながら「なんだっけ?」「あ、そうか…」「あついな」と独り言。気になりつつも集中して『アンダーグラウンド』を読んでいると、140ページに誤植を発見。こんな本にもあるんだな、と驚いていると「おすそわけどうぞ」と反対側の隣のご婦人から市販のチョコレートが届く。大きな声で、民生委員は後継者がいないと辞められない!という話を客同士でしているけれど、おとといの資産運用の連中に比べたら最高だな、と思う。極めつけに、店員の女性が店内で電話をし始めたと思ったら、鍼の予約で吹き出しそうになった。

200ページあたりまで読んで店を出る。地下鉄サリン事件でのできごとが、被害に遭われたそれぞれの人の目線から語られ、立体的になっていく。重い障がいが残った明石志津子さん(仮名)のインタビューで涙が出そうになる。

どうしてこの本を読もうと思ったのか、読み進めていくと気づいた。サリンの後遺症はそれぞれで、人によっては外からは何も変わらないように見える人もいる。周りの人に自分の痛みを理解されない苦しみが語られる時、こんなふうに言っていいのかわからないけれど、何か癒されるような思いがした。そして、あぁ私はまだまだ傷ついているんだ、と思った。

帰りに夏目の家に寄り、本当に少しだけお邪魔して帰る。顔が見たかっただけなのだ。もし今私が死んだら、最後に会った友人は夏目になるのか、と考えながら自転車を漕ぐ。あの時サリンが無作為に撒かれたみたいに、誰に何が起こるかなんてわからない。16時台でもすっかり薄暗くなった。子どもたちが、猫たちが待っているから、私はなんとか生きていようと思うけれど、そういうものがなければ、案外自分は前向きに生きていくことが難しいかもしれない、と思う。明後日カウンセリングに行く。

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