37日後に新刊を出す植本一子(2024/10/25)
今日は腰を据えて『ねじまき鳥クロニクル』を読むのだ、と午前中のうちに家を出る。どこに行くか迷ったけれど、1キロほど先にある老舗の喫茶店へ。モーニングの一番安いメニューで、バタートースト(多分ダブルソフト)に硬めの大きいゆで卵とポーションのジャムが付いてくる。音響が邪魔にならず、奥行きのある店内に年齢層高めの客層が本を読むのにちょうどいい。ねじまき鳥〜はすでに200ページほどを残すのみで、読み終わるのも勿体無く感じ、適当なところで切り上げようと思っていたのに、なかなかの集中力であっという間に終わってしまった。こんなにも読むことを楽しみにできる読書体験が久しぶりで嬉しくなる。長編を読む喜びってある。
帰りにスーパーに寄って買い物。明日夕飯で集まる友人が栗を探していたので、ちょうど見つけて購入。ものすごい立派で大ぶりなもの。うちの実家にも栗の木があって、数年前までは送られてきていたけれど、枯れたか切ったかで無くなったと聞いた。落ちているイガを長靴でむぎむぎと踏むと、中からしっとりと水分をまとった、つやつやと光る栗が現れる。プール授業の石拾い競争みたいに、おばあちゃんと一緒になって地面に太ったイガを探した。明日は栗ご飯を作ってみんなで食べよう。
スーパーからの帰り道、大学横の生垣の金木犀がすでに終わってしまっていることに気づく。ついこの前までオレンジ色の小さな花たちが満開で強い香りを放っていたのに、すでに鮮やかさが失われてくすんだ花びらが道の端に散り積もっている。一年に一度の金木犀の旬は本当に一瞬のものであった。あの可愛い花びらをなんとかして形に残したいと毎年思うのだけれど、いまだに方法が思いつかない。金木犀が満開の間に、高橋さんと散歩に行けたらと思いつつ、タイミングが合わなかった。文フリも近づいてきて、お互い出店する身分で余裕がなくなりつつある。先週は一度集まって原稿を一緒に書いた。
家に戻り、自分のお昼を用意する。おいそぎモードで白米を炊き、その間に味噌汁の用意。さっきスーパーで買った鰤のさくを切り身にして、刺身定食。あっ、と思いつき、鰤を小さく切ってニーニに出してあげる。病院の先生から、お魚もあげていいですよ、と言われたのを思い出したのだ。食べられる時にたくさん美味しいものを食べさせて体力をつけてもらって、と。よく食べたのでまた買ってこよう。
食後に期日前投票へ。選挙当日でも良いのだけれど、いざ何かが起きて行けなくなる可能性があることが怖く、いつも余裕を持って期日前投票をしている。今回から小選挙区の境界線が変わっていて、同じ区でも隣駅とは選挙区が変わってしまった。そちらには投票したい人がいたのだけど、今回は消去法で立憲民主党。比例は共産党。最後の国民審査には、勢いよくカッカッカッカッと大きな音でバツを6つ付けておしまい。ものの1分で自分の役目は終わった。
そのまま図書館に行き、本を返却。今度は村上春樹『職業としての小説家』を借りる。小説も読みたいのだけど、村上春樹が何を考えてるのかが今は気になる。つい先日、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』を、古本で状態のいいものがあったからとミツが手渡してくれた。私が読みたがっていたのを覚えてくれていたのだ。小説を書きたいわけではなく、書くことについて考えたい今日この頃。
図書館から阿佐ヶ谷のISBbooksへ。注文していた田房永子さんの新刊を取りに行く。静かな住宅街の中に突如現れる小さくて賑やかなお店。いつもニコニコと明るい店主のISBさん。阿佐ヶ谷といえばビルカーべのアキナですよ、と超マル秘情報をお伝えし、帰り際に思い出してハン・ガンの『少年が来る』を新たに注文した。