自分を知る。敵を知る。相手を知る。子どもと一緒に学習して見えてくることとアプローチ
Twitterのタイムラインに、中学受験関連の保護者の方のツイートが増えてきた。時期的なものもあるだろうし、私がフォローしているある保護者の方のリアクションで表示されるようになったものもあるようだ。
学習塾の「課金ビジネス」沼に陥らぬように保護者がやるといいこととして、志望校の問題を実際に解いてみて、その学校が児童に求めている能力や考え方、価値観、センスなどを読み取るとともに、自分の子供が苦手とする部分、今は足りない部分を改めて認識し、それをどうやって補い、伸ばしていくか、ということを考えるということが書いてあった。
これはマーケティングにもPRにもいえるし、ビジコンにも通じることだが「相手を知る」として「自分を知る」ということは戦略を立てる上で重要なこと。
TOKYO STARTUP GATEWAY2019のファイナル大会が終わってほっとしたのもつかの間、私は子どもたちと一緒に夕食後、食卓で学習をしている。
小学1年生の息子は、先生も、ママ友にもよく言われるけれどロジカル。何か気に食わないことがあったときも「僕はこう思っていて、でもこれがこうなっていないから、不愉快。だからこうしてほしい。」と泣きながら訴えてくる(この、泣きながら、というのが7歳児っぽくて母的にはキュンとする)。集中力はあるが、興味・関心がよそをむいているときにはうっかりミスがとっても多い(あーこれ書いてて、自分の遺伝子やな‥って呆れる)。
そんな彼は、ロジカルに考える力は伸ばしつつ、そのロジカルさをもっと深め、広げるための「語彙」や「知識」を増やして、人間としての幅を深め広げてほしくて英語と日本語の小学生向けの単語集のようなものを渡して、毎日この数だけ一緒に読もう、ということをやっている。これがなかなか大変。辞書の調べ方、シソーラスの活用法などは一通り伝えたし、できるようになっているのだけれど、実際彼の周りに、その言葉を存在させて体験とともに定着させたいタイプなので「これってどんなときに使う?よくわかんない」と質問され、しどろもどろで例文を作ったり、日本語の単語を聞かれているのに英語で説明したほうが手っ取り早いときはそうしてしまう(保育園がインターナショナルプリスクールだったので、ある程度の日常会話ワードなら伝わる)。
一方、そのプリスクールに現在進行形で通う5歳女子は、目下、学研のハイレベルシリーズのワークブックと、アートと、そして英検を頑張っている。
英検Jr.の時代には、リスニングができて、意味を理解して、問題文の各カテゴリの形式をつかめば、絵を選ぶだけなので解けていたのだが、英検になると難易度はぐんと上がる。なぜなら、まず問題文は日本語で書いてあるので(ふりがなはふってあるが)日本語での読解力が求められる。兄のところで書いたとおり、最初が英語でのインプット多めだったので、ひらがなは読めるが「へ」の読み替えは時々違うことになっているし、カタカナもちょっと怪しい。そんな状態で、この英作文の1番目と3番目の四角に入る言葉の組み合わせを選びましょう、というのはそもそも問題文の意味を伝えるだけで一晩終わる。
それでも心強いことに経験者の兄がいるので、私が言葉やマーカーで線を引きながら説明しても伝わらないときには(隣に座っていて逐一妹の問題を解こうとするのを止めるくらいの関心を持っているため)、兄自らが説明する。そして、彼もおそらく5歳くらいの頃に同じところで少なからず困難を抱えた経験から、同じ視点でアドバイスをする。
するとどうだろう。妹が解けるようになるのである。
「問題文をちゃんと読めば意味がわかるはず」と、もしかしたら小学校高学年になったら突っぱねることもあるかもしれないが、やはりできる限りは一緒にその課題に向き合っていこうと思った瞬間であった。
読み・書きを後回しにして、聞く・話すを先にやってきた傾向があるので、本に書いてある言葉がうまく読めないことも多々あるのだけれど(それをなんとかしようと園の先生たちはフォニックスを叩き込んでくれるしなるべく多くの表現に出会えるよう読み聞かせも多め、週末になると子どもたちに絵本を貸しだしてくれたりもするのだが)、仮に読めない言葉があって、ヒントを出したり、どうしてものときに私が変わりに読むと「あーそれはこの意味で」とだいたい理解するので驚くとともに、負けてられぬと通勤電車で本を読むのであった。
まとめると、子供の目線で同じことをやってみると新たな発見があるし、その子にぴったりのアプローチが見つかる可能性は高くなるということ。忙しくなるとなかなか向き合う時間が少なくなる自分に対しての自戒も含めて。