無償の愛をくれた、あのおばあちゃんのように
むかし、北海道の田舎に単身移住し、3年ちかく働いていた。
当時住んでいた公営住宅のとなりには、一軒の小さな平屋。そこには70歳くらいのおばあちゃん (Kさん) が、一人で住んでいた。
いつも声が大きくて元気そうだ。近所の人と外で会話しているとき、ベランダの窓を閉めきっていても、部屋に声がはっきり聞こえてくるほど。
Kさんは畑をやっていて、当時僕が住んでいた部屋の窓から見える。トウモロコシ、アスパラ、レタスなどが、ずらりと並んでいる。
几帳面なのだろうか。そこに雑草はほとんど見当たらず、かなり手入れが行き届いている。畑が好きなんだろうなと思った。
家の前で会うたび、たまに会話していた。本人は、いかにも話好きという雰囲気。
育てている野菜や、畑のわきに植えた花について、楽しそうに話すのを聞いた。
すこし変わった姿形の花を見て、「これなんていう名前ですか?」と尋ねた。そのとき初めて、ジャーマンアイリスという花のことを知った。
子どもが何人かいるらしいのだけど、すでに家庭をもち、地元から離れて暮らしている。一人だから、住まいは今の平屋で十分だと言っていた。
ミニマルな暮らしが好きな僕としては、将来小さな平屋に住み、自分の畑をやりたい。これは絶対叶えたい目標。なので、Kさんのような暮らしは、けっこうドンピシャな感じがして興味津々。
月日は流れ、すごく仲が良くなっていた。
外で会うたび、「これ食べなさい!」と大きな声で何かくれた。
のちに札幌に転職が決まり、その田舎を去ることになった。
残念だけど、Kさんともお別れしないといけない。
出発日。
弁当やお菓子などを、餞別に持たせてくれた。地域のコンビニかどこかで、わざわざ買ってきてくれたんだろうか?
無償の愛を感じた。
見返りを求めず、ただ与える。
別れぎわ。
Kさんは涙ぐんでいた。「歳とると涙もろくなるんだ」と言っていた。
車に乗ってその場を去るとき、「バイバーイ!」と、あいかわらず大きな声で見送ってくれた。プッとクラクションを鳴らして応え、右に曲がって踏切を越え、その場をあとにした。
もう一生、会うことはないのかもしれない。でも多分、それでいいのだと思う。
笑顔で別れ、それで終われば、一生いい記憶のままでいられる。哀しくもあるけれど、だからこそ綺麗な別れ。
引っ越したあと、今まで与えてもらったお返しに、Kさん宛に食べ物を送った。自分も見返りを求めず、人に何かを与えられる人間でありたいと感じた。