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「考える」と「話す」:チカラの源泉
嫌になったり、嘆いたりが続いてしまうと、つい「自分自身の心の弱さ」に起因するものと考えてしまうかもしれません。
でも、大丈夫。
それは、脳が正常に働いている証しだからです。
確かに脳は、悩みや不安を生み出します。そのため、辛くて、嫌になるような日々をもたらしているかもしれません。
しかし、人間に固有な、ありとあらゆる創造の世界、喜び・楽しみ・感動などを演出してくれるさまざまなチカラもまた、脳によってつくりだされるのです。
そうした事実に目を向けることで、悩みや不安ともうまくつきあっていけるのではないのかと、わたし自身は考えています。
ここでは、第一に、そうしたチカラのなかでもきわめて重要な二つのチカラ-「考えるチカラ」と「話すチカラ」-がどのようにして生まれたのかについて述べていきます。
第二に、脳の発達がもたらすことになる「悩み・不安」の原因についても言及したいと考えています。
その際、念頭におかれるのは、地球ではなく、もっと大きい宇宙という視野になります。
「考えるチカラ」というのは、ひょっとしたら、宇宙という視野でみてこそ初めて、その本質的な意味に近づけるかもしれないからです。
◇宇宙という視野で考えると
アメリカの天文学者カール・セーガンが唱えた「宇宙カレンダー」。
それによれば、宇宙の始まりを1月1日とすると、地球の形成は9月14日、地球上に最初の哺乳類が登場したのは12月26日、人類の誕生は12月31日午後10時30分となります。
悠久な人類の歴史も、宇宙の歴史を1年と見立てて計測すれば、たった「1時間半」、「歴史時代」は最後の30秒間。古代ギリシアの黄金時代から現在までの期間は、最後の5秒間でしかありません。
人類が作り上げた文明は、宇宙という視野ではほんの「一瞬の出来事」なのです。
しかし、その一瞬は、宇宙にとっても、とてつもなく大きな意義をもっているかもしれません。
「考えるチカラ」を持った生命体が出現したからです。
もし宇宙や地球や人類(ヒト)のことを「考えてくれる生命体」がいなければ、「宇宙にはいかなる存在意義があるのか」「また存在したことになるのか」がわからないまま終わってしまうかもしれません。
「考えるチカラ」を持った人類があらわれたことによって初めて、宇宙や地球の存在が確認された。
そのように言えるのではないでしょうか!
惑星科学者の松井孝典さんは、「宇宙もまた、みずからのことを認識させんがために、人類を誕生させる方向で進化してきた」と述べておられます。
現在、宇宙・地球・生命・遺伝子・脳に関する科学的な解明が急ピッチで進行しています。
一方、「神のワザ」とか、「宇宙の意識」といった言葉で示されるような、「サムシング・グレート」の存在が脚光を浴びているとも考えられています。
それらの領域には、考えれば考えるほど、不思議で、かつ神秘性に富んだ現象や現実が無数に存在するからです。
◇ヒトが誕生するまでの経緯
地球の誕生は、46億年前にさかのぼります。
しかし、長きにわたって、生物が陸上で生息することは困難を極めました。
海の中でしか生きていけなかった生物の陸上への進出が可能になったのは、4~3億年前に形成されたオゾン層のおかげです。
それはまた、広大な森林を生み出しました。
こうして、森林をベースにした「生態系」が創出されたのです。
人類の祖先である哺乳類の進化が可能になるには、6500万年前に、恐竜が死滅したことだと考えられています。
そして、700万年前、「四本足」で歩行するサル類からの進化によって、「二本足」で歩行するヒトが誕生するわけです。
◇考えるチカラを発達させた二足直立
サルが生活をしていた樹上は、天敵が少なく、いわば「楽園」のような世界でした。
ところが、人類の新たな生活の舞台となった「地上」は危険に満ちていました。生存するには、サルには十分に備わっていなかった「知恵」というものが必要だったのです。
考えるチカラを人類に与えたのは、サルとは異なる最大の特徴点となる「二足直立」でした。
四本足だと、身体のバランス上、大きくて重い脳を持つことができませんでした。
二足直立によって、ヒトの身体の形が定まり、脳が本格的に発達する出発点となったのです。
人類の誕生後、猿人、原人、旧人(ネアンデルタール人)、新人(ホモ・サピエンス)など、多くの人類の種が登場します。
しかし、生き残ったのはホモ・サピエンスだけでした。ホモ・サピエンスがもっていた高い思考能力に由来すると考えられています。
20~15万年前、われわれの直接の祖先ともいうべき「現生人類」がアフリカの地で誕生します。
見た目には、いまのわれわれとはさほど変わらない姿をしていたのですが、脳の機能という点では、まだわれわれとは大いに異なっていました。
いうまでもなく、脳は人類に固有のものではありません。
爬虫類にも原始的な脳があります。
飢え・渇き・性本能、恐怖といった生存本能を統括しています。
鳥類とともにあらわれた中脳と呼ばれる部分は、子育て・巣作り・エサ探し・仕事の分担・求愛の表現などと関係しています。
ところが、人類、特に現生人類の場合、それに特有な、神経細胞のかたまりがある「大脳新皮質」という部位が発達しています。
それは、言語や論理的な思考の機能が拡充していることの証しなのです。
そのような機能は、ホモ・サピエンスが登場したときから備わっていたわけではありません。
その後の進化の過程で獲得していったものにほかならないのです。
◇話すチカラ:ホモ・サピエンスに与えられた
人類が「声を出せる」ようになったのは、いつごろからでしょうか。
それは、およそ20万年頃以降のことではないかといわれています。
FOXP2という遺伝子が脳の言語を操る部分の成長と密接に関係するようになった時期に当たるそうです。
脳の大きさだけを考えれば、ネアンデルタール人のそれは、ホモ・サピエンスに匹敵します。
石器をつくる技術においても、両者の違いはわずかです。
体格はむしろネアンデルタール人の方が有利だったのです。
ネアンデルタール人が絶滅し、ホモ・サピエンスが生き残った理由は、なんでしょうか。
言語能力や道具をつくる能力を持ちつつ、より大きい集団を形成し、集団同士のネットワークを持ち、アイデアを共有して危機に対応できる仕組みを有していたことなどが重要な要因ではないかと考えられています。
なかでも注目すべきは、声帯です。
われわれは、声帯で振動させた音を、喉の奥の部分で共鳴させ、舌で制御して声を出しています。
それに対して、ネアンデルタール人の場合、喉頭の位置が高く、気道が狭くなっていました。
たとえ声帯で音を出しても、音を共鳴させる十分なスペースを確保できませんでした。複雑な音、特に幾つかの母音が発音できなかったといわれています。
話すことができるようになると、情報の伝達・交換が簡単に行われるようになります。
人類の場合、ひとりひとりの腕力はそれほど強いとはいえません。
身体も、それほど頑丈にはできていません。
過酷な環境のなかで生き延びていくためには、家族や仲間をつくって団結することが必要でした。
話すことで、コミュニケーション能力が高められると、食糧が見つけやすくなります。
外敵との戦いでも、効果を発揮。
子孫が絶える危険も減ることになります。
もちろん、人類が誕生した時点で、現在のわれわれと同様の「考えるチカラ」や「話すチカラ」が身についたわけではありません。
それはまだ、いわば「ソフトの入っていないコンピュータ」が与えられただけと言えます。
ソフトがどんどん開発・導入されていくのは、その後の長い歴史のなかにおいてのことです。
◇遺伝子に加え、脳の役割が前面に
脳の発達は、人類の歴史を大きな意味をもたらしました。
「子孫さえ残ればいいと」というのが遺伝子の世界です。
それに対して、脳の方は、「自分こそが大事」「自分は自分」というアイデンティティをもたらします。
それは、新しい情報装置を本格的に進化させるための基礎となります。
人類が、高度な観念的世界や複雑な文化を持つようになったのは、遺伝子から独立した脳を持ったためです。
われわれの「知的好奇心」もまた、進化の産物にほかならないのです。
進化生物学者の佐倉統さんは述べています。
「生き物が生きるのは、自分たちの遺伝子を残すため」です。
しかし、人間にはもうひとつの生きる意味があります。
それは、広い意味での「文化」情報を次の世代に残すためです。
ヒトとチンパンジーの違いは、遺伝子でみるとごくわずか。1%ぐらいしかありません。
ところが、脳の機能という点では、極めて大きな差があるわけです。
◇脳が発達すると、悩み・葛藤・苦悩・不安が
脳が発達すると、やっかいなことが生じてきます。
肉体的な苦痛に加えて、人類は、心の悩みをもつようになるからです。
自分を他者と比べたり、他者のまなざしを意識したりといった具合に、他者との関係で、さまざまな心の悩み・葛藤・苦悩・不安が出てくるようになります。
自分のことなのに、自分の思い通りにはならない。
やるべきことははっきりしているのに、ヤル気がおきない。
そうしたジレンマを抱えたり、相反する感情に揺り動かされたりしながら生きているのは、けっして個々人の「心の弱さ」に起因するものではありません。
でも、大丈夫!
当たり前で、自然のことなのです。
高度に発達した脳を有する生命体に固有の特徴点なのです。
われわれの脳には、本能の要求を超えて、意志や感情、習慣、教育の成果、時代環境への対応力などが混じりあって機能し続けています。
ただ、ごく普通の人たちにとっても、そうした内面への探求が可能になり、各個人が自らの自我を認識するまでには、近現代という時代の到来を待つ必要があるのですが。
嫌になったり、嘆いたり、ケンカしたり、でも、喜んだり、笑ったり、感激したりすることも。
いまのあなたがいつも体験しているさまざまな心の持ち方もまた、唯一無二のあなたを作り上げた「進化と歴史のたまもの」なのです。
不安や悩みに苦しむことがあったとしても、「考えるチカラ」と「話すチカラ」を作り出した脳のパワー。それらをさらにバージョンアップさせた進化と歴史!
それは、あなたが経験する「世界で最も美しい物語」かもしれません。
最後に、悩みや不安を感じさせる脳はまた、多くの人に喜びや感動を与え、文学・音楽・芸術など、ありとあらゆる創造の世界を演出してくれていることを、再度強調していきたいと思います。
そうしたとらえたの延長線上に、悩みや不安ともうまくつきあっていける考え方がつくられていくのではないだろうか。そのように考えているところです。
長い記事を最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。
【主な参考文献】
・池谷裕二『進化しすぎた脳』
・井尻正二・小寺春人『「新」人体の矛盾』
・岩井 寛『人はなぜ悩むのか』
・大島 清『人は脳なり』
・ウィリアム・オールマン/堀 瑞絵訳『ネアンデルタール人の悩み』
・NHK取材班『生命 40億年はるかな旅』(全5巻)
・NHKスペシャル取材班『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』
・NHK「地球大進化」プロジェクト編『地球大進化』(全6巻)
・佐倉 統『わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?』
・桜井邦朋『寿命の法則 人間の死はいつ決められたか』
・西垣 通『IT革命 ネット社会のゆくえ』
・原田 薫ほか『宇宙と生命のタイムスケール』
・松井孝典『地球・宇宙そして人間』
・ユベール・リーヴス、ジョエル・ド・ロネー、イヴ・コパンス、ドミニ
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