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やっぱり理屈で分かりたいアジャイル開発(4:組織と仮説とOKR) - 哲学的あかるい未来放言(8)

前回までのあらすじ

何かやりたいことができたところで、それを実現するのには何かしらのアクションを取ることが必要だ(よっぽど運よく勝手に結果が突然現れるのでもない限り)。そこで、既存の方法論を学びながら、そこでは多種多様な方法やパターンが提示されている一方で、「どうしてそのような方法やパターンが優れているのか」という理屈の部分について、「人間がどのようにできているのか」という根本的な洞察から説明してくれている言説がほとんど皆無であることに私は気が付いた。そして、そうした理屈立った説明を自ら探求しようと思い、その結果を2021年2月発売の『アレ vol.9』所収の「ラカニアン・アジャイル―『四つのディスクール』から考える中間集団論/組織論としての『スクラム』」にてまとめたのだった。

そして、連載の第一回では「『経験する』とはどういうことか」について、第二回ではそこで使用した「人間がどのようにできているのか」についての簡易モデル(下記参照)の簡単な説明、第三回では「アクションをどこから考え始めるべきか」について書いた。第三回では、下記モデルの「問題」の部分について、どの問題を解決しようと試みるのかを選定することから、アクションを開始するべきであるという議論を、インセプションデッキの最初の問いである「我々は何故ここにいるのか」やサイモン・シネックの『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』をも参照しながら説明した。

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今回の問題設定

では、「解決する問題」を設定した後では何をすればいいのか。これが今回の問題設定だ。

問題設定をしたら、仮説を書こう

インセプションデッキを順に埋めていくのも(とても)大事なことだと考えられるが、ここでは上記のモデルに沿うことで、より抽象的に何に取り組むべきかを捉えることにしよう。そうすることで、具体的なワークに取り組む際にともすると忘れられがちな、「俯瞰的に自分たちが何をしているのかを見る」ということがより容易になるはずだ(抽象的な議論が嫌いでないのなら)。

さて、では全体像を振り返っておこう。

まず、問題(a = WHY)の解決に際しては、そこから(ブレインストーミング的でデタラな、それゆえに主体的と言える)思考($)により課題(S1 = HOW)を定式化した上で、それをブレークダウンした手段(S2 = WHAT)を定め、その通りに行動することになる。そして、ここで組み立てられるS1→S2の対は、あくまで「そうであると考えられたもの」であり、実行の結果、問題を意図した通りに解決しないことが示されることもありうるものであるという点で、仮説的なものでしかないのであった。ここで、自らが立てた仮説が誤っていることが露見した場合、それは新たな「問題」との遭遇(=経験)として主体を困惑させ、思考させることになる。

この全体像を踏まえて考えれば、抽象的なレベルでは、問題の選定に続くのは「思考($)による課題(S1)の定式化とそのブレークダウンによる手段(S2)の策定という、仮説構築」だということになる。

ここで生み出される仮説は、悪く言えば妄想でしかないのであり(S1→S2が妄想形成を示す式でもあることを思い出そう)、しっかり吟味検討されることが望ましい。この吟味検討のためのツールとして有名なものには、「仮説キャンバス」がある。これは仮説が十分に多面的な観点から練られているかを穴埋め方式で簡単に確認できるというものであり、穴埋めをしながら仮説を洗練させる役にも立つものであるので、何かの企画を立てて実行したいときはぜひ使ってみて欲しい。実際に方法を実行して失敗するよりも、遥かに容易に結果をシミュレートすることができる。

こうして仮説を構築すると、それが巨大なものとなることがある。巨大な仮説を作ることは、アクション(⊃事業)の開始時点では避けるべきだとよく言われているのを耳にするが、アクションが長く続いてきている場合、その仮説は往々にして巨大なものとなる。

「仮説」という言葉は誤解を招くかもしれないが、この議論では人間の言語的認識の全体を(あくまで現実の模式図でしかないという意味で、厳密に)仮説と呼んでいることを思い出して欲しい(我々は、各人の言語的認識というヴァーチャル・リアリティの中に住んでいるのだ)。すなわち、アクションにおいて用いられる組織の制度やデータやコードの全体を、ここでは仮説という枠に含めているのである。

このようなまとめ方は乱暴であると思われるかもしれない。しかし、このまとめかたによって、アクションにおいて用いられるもののすべてを統一的に扱うことができるようになる。

そして、こうした扱い方の実例と言えるものに、OKRがある。OKRとは「Objective and Key Results」の略称であり、元はインテルで生み出された人材マネジメント手法のことだ。そこでは組織の階層ごとに、「定性的な目標(Objective)」を掲げた上で、それぞれのObjectiveごとに対応する「定量的な指針(Key Results)」を掲げてもらう(下記の本を参照)。

ここで、定性的な目標は、アクションが達成するべき問題解決という目的(a)に対して定式化された課題(S1)に対応していると言える。そして、その課題(S1)に対するのが具体的な達成手段(S2 = Key Results)だというわけだ。

このようにまとめることで、OKRについて友人に紹介したときに私が受けた「OKRは、画一的なゴールを押し付ける仕組みでしかなく、創造的な仕事には向かないのではないか?」という疑問にも答えられるようになる。

まず第一に、そのような誤解においてはOKRは達成の誓いのようなものとして受け止められてしまっているわけだが、先に述べたようにOKRは目的達成のために有効だと考えられた仮説でしかないのであり、それゆえにその実行に際して「実行まで漕ぎつけられるか?」「それでうまく行く(行った)のか?」という吟味に曝され、事あるごとに見直され、作り直されるべきものなのだ(ここまではすべて「ラカニアン・アジャイル」で論じた)。

この点については、下記のスライドが参考になる(このスライドは丁度「ラカニアン・アジャイル」が脱稿する頃に発表されたものであるため、そこから参照することができなかったが、主張としては完全に私が賛同できることが書かれている)。

そして第二に、創造的な仕事についても、少なくともそれが完全に無から生じるようなものでない限り、つまり「それを強化するためには何が出来るか?」という問いと仮説を立てることができる限り、OKRは(少なくとも理屈上は)有効だと考えられるのだ。例えば、創作活動にOKRを適用する場合、もしかしたらKRには「行ったことのない場所に年3回は言ってみる」であるとか、「毎日風呂に入る」といったものが出てくるかもしれないのだ(もっとも、そうしたことを意識しすぎるタイプの人は、OKRに限らず「方法論」の類に頼らない方が良いという場合も当然考えられる)。

このように、最初に掲げた簡素なモデルを使うだけで、身の回りにある様々なことが系統的に説明できるようになる。こうして「経験主義(第一回)」→「WHYから始めよ!(第三回)」→「OKR(第四回)」と来て最後に「Scrum」がようやく出てきたところで、今回はここまで。


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