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還暦過ぎてからの子育て

人生は何が起こるのか、一寸先は闇

とはよく言うけれど、まさか還暦過ぎてからまた子育てするとは思わなかった。
妻はまだ還暦前だけれど、それでも子育てするには年が行き過ぎている。

何故子育てをする必要になったのかというと、、、

お互い再婚でそれぞれ子供がいる。

俺は二人で、前妻が引き取った。
妻は三人でそれぞれ独立している。
長女は知的障害があるが、見た目は障害があるようには見えない。
しかし、結婚当初は長女に、散々振り回された。
この話はまた機会があれば詳しく話したい。

子育てする事になった子供は、長女が出産した子供だ。

長女はある特別な能力があり、その能力を生かした仕事をする為に全国へ行っている。
そういう能力があるので、自立することが出来たのは、ありがたいことだった。

しかし、知的障害という事もあって、私生活はかなり乱れているし、話している事も殆どが嘘の内容で何が真実かも判らない。
嘘の話でも話が上手なので、周りの人は信じてしまう。
それも何度も騙されてしまう。

救われるのは詐欺とかではないので、被害を受けたなどの話は聞いたことは無い。

その長女が妊娠したと、連絡してきたのだ。
全国に移動しているので、何処にいるのか常に不明で、連絡はLINEでやり取りしている。
相手は長女は誰か判っているようだけれど、こちらは全く判らない。
妊娠したのかどうかも、真実なのかどうか判らない。
またどうせ作り話だろうと、疑っていたぐらいだ。

出産したと判ったのは、島根の児童相談センターから連絡が来たのだ。

セントメガロウィル?


長女はなんと島根で出産していたのだ。
さらに、出産した時に判明したのようだが、セントメガロウィルスという妊娠中にウィルスに感染してしまう病気だった。
セントメガロウィルスに感染すると、体に障害がおきてしまう怖い病気だ。

連絡が来たのは出産して3ヶ月程経っていたみたいで、こちらとしてはかなり驚いてしまった。
長女は出産したとか病院に預けているとか、何回か会いに行っているとかLINEで連絡は来ていたけれど、子供の写真は一切送ってこないし病院名も言わないので、またいつもの作り話だろうと思っていたのだ。

児童相談センターから来た連絡で、初めて出産したことが事実だと判明した。
話を聞いてさらにいろいろな事が判ってきた。

子供に会いに行かない長女


出産して退院した長女は、また仕事をする為に全国へ移動していたようで、出産後は子供に会いに行かないようで、困った病院は児童相談センターへ連絡したようだ。

センターの担当者が長女に連絡して何時会いに行くと約束していたのに、何度も来なかったという事で育てるのは難しいとの判断で、児童養護施設へと病院から移してしまったようで、その後こちらの連絡先が判り相談の連絡が来たのだ。

妻が島根へ行ってきた結果驚くべき真実を知る


こちらは保護者ではないので、電話だけでは孫をどうする事も出来なということで妻は島根へと向かった。
児童相談センターではいろいろな事が判明した。

孫の状態が良くないようで医者からは、脳が石灰化している、目が見えないかもしれない、耳が聞こえないかもしれない、立って歩けるか判らない、喘息があると言われていた。

など
重度の障害という恐ろしい現実が判った。
さらに、娘がまったく子供に会うという意志を感じられない、子育てが出来ないという判断で、病院と児童相談センターが相談し児童養護施設へとあずける事にしたという事だった。

娘はこちらの状況を児童相談センターに噓の話をしていたという事も判り、妻と話をしてやっと真実がお互いに判って理解し合えた。

娘は知的障害で身の回りの生活環境もままにならず、身体も貧弱で当然妊娠はしないと思っていたのだけれど、まさかまさかの出産だった。

養子縁組へと話が進む


妻にとっては初孫なので、このまま児童養護施設へあずけておくわけにはいかず、娘の許可をとって養子縁組を行う事になった。

話を簡単に書いたけれど、養子縁組を行うまでにはいろいろな事があった。
子供を育てられる環境かどうか、生活の様子など、東京の児童相談センターの職員が自宅に来て話を何度もしたりして、確認されながら養子に迎えられるのか調査された。
娘は当初は自分の子供の親権を手放すのを嫌がっていたけれど、了解を得て親権をゆずる書類にサインをした。

養子にしてからは親権はこちらに移行されたので、こちらの意志で孫を自由にすることが出来る。

孫は島根から東京の養護福祉施設へ移動


当時は東京に住んでいたので、孫を島根から東京の養護福祉施設へと移動した。
セントメガロウィルスの症状もあるので、赤十字病院と同じ施設の養護福祉施設へ2年程あずける事になった。
定期的に孫に会いに行ったり、宿泊施設があるので1泊して一緒に過ごす時間を増やしたりして、自宅に引き取る準備を整えていった。

孫の成長は非常に遅く3年経っても、まだ歩けない状態だった。
見た目も1歳程度の体つき、言葉も殆ど発せずに3歳ではあったけれど、全てが1歳未満という感じだ。
当初は医者から、脳が石灰化している、目が見えないかもしれない、耳が聞こえないかもしれない、立って歩けるか判らない、喘息があると言われていたので、セントメガロウィルスの影響によるものだが、絶対に普通に成長するとの確信が何故かあった。

それは顔の表情を見ても普通、考えているような目、呼びかけたり音がする方へ向くようになっていたので、年齢的には発達は非常に遅いけれど、確実に成長しているという事は見た感じ間違いなかった。

それでも何か様態が悪化することもあるかもしれないという事で、2年間は様子を見ながら引き取る話を進めていった。

やっと歩けるようになった


妻はその頃に両親の面倒を見るようになっていたので、孫は家内の実家で育てることになった。
山梨へ移住して半年経過後に、孫を引き取ったのだ。

お互い離れて住むということは、最初は抵抗があったけれど時間と共に慣れていってしまった。

孫は妻の実家に住むようになってから半年後には立ち上がるようになった。
それからは少しずつ歩けるようになってきた。
歩けないかもしれないと言われていたが、歩くことに関しては問題が無くなった。

歩けないかもしれないという不安要素はあったけれど、歩けるようになって本当に良かったと思う。

成長が進み始めた

歩けるようになってからは、言葉も少しずつ喋れるようになってきた。

障害者用の保育園に通わせているが、その影響もあるのだろうが単語を少しずつ覚えるようになり3歳半でやっと2歳程度になってきた感じだ。
歌も歌うし、単語の意味を理解してきているので、脳が石灰化していると当初は言われていたが、脳は問題無くなってきた感じだ。
成長は遅くても確実に普通の状態に戻りつつある。

当時はどうなってしまうのだろうと思っていたけれど、とりあえず障害という兆候は今のところ感じないほど成長してきている。

還暦のときにそのような状況で孫を養子にせざるを得なかったという事で、また子育てを後17年は行う必要がある。

孫が20歳になる頃には70歳後半になっている。
孫のことより自分たちは生きているのか、健康で歩いているのかと心配になってしまう。

まぁ、、でもなんとかなるだろうと気楽に考えている。

いちから古民家


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