【週刊マルシェ】承認欲求は、なくすのではなく自分で満たしてやるものなんです、の巻。
みなさまおこんにちは、
自分責めの毎日からわたし大好きがあたりまえな毎日を。
あなたのドーパミン、
心理カウンセラーのイチカ✳︎ドーパミントです。
ブログにお越しくださってありがとうございます。
本日は、オンラインカウンセリングサイト【ココロノマルシェ】への手紙。
ああああああああ!!!!
わかるーわかるーおんなじよーーーー!!!!
と、cafeさんのご相談文を拝読しながら、にこにこしつつおたけびをあげました、そんな朝。
自分の中にある過剰な承認欲求の扱い方
cafeさんからのご相談です。
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こちらに何度か相談させていただいております。いつも解決の糸口になり救われてます。本当にありがとうございます。
私は中学くらいからずっと悩んでる事があります。
それは、承認欲求が強いのか?
何かいいことをした時、その直後に、誰かに褒められるかな?見てるかな?私ってすごいな
って気持ちがすぐ湧いてきてしまうことです。
行動する時は心から相手が喜びそうだなとか楽しんでくれたらと思ってるんですが、ほんとその直後に、私のこと一目おいてくれるかな、とか、もう条件反射のごとく、もれなくその感情がついてくるのでそんな自分が嫌で良いことをもうしないようにしようと自分の気持ちに蓋をしめてしまうことも少なくないです。
とにかく自意識超超超超過剰です。誰かに良かれと思ってしたことに対して相手が無反応だったりするとものすごく傷つきます。
両親とも無反応なタイプですし、それどころか文句を言う事が多いです。怒りさえ湧いてきます。こういう自分は代えられないのでしょうか?自分自分ではなくベクトルを相手に向けようって頭ではいつも思うのですが、心はついてきてくれないようです。
もうかれこれ25年ぐらいその悩み引きずって生きています。心から相手のために、例え感謝されなくともただ自分がしたいからそうしてる、無償の愛というか、そういう自分になりたいです。
公開していただいても構いませんので何かの機会にご回答いただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
(カウンセリングの進行上、改行と太字に変換した部分がございます。ご了承くださいませね。)
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おはようございます、cafeさん、はじめまして。
あなたのドーパミン、カウンセラーのイチカです。
>こちらに何度か相談させていただいております。いつも解決の糸口になり救われてます。本当にありがとうございます。
わあ、お悩みを解決に進めて行かれていらっしゃるんですね!
それはすごい!
しっかりとご自分と向き合われて、しあわせへの道を自分らしく邁進しておられる印象をバシバシと感じます。
おめでとうございます!
いい感じにがんばっておられますね!
成し遂げておられますね、cafeさん♡
お嫌でなければ、濃厚なエアハグとエアなでなでをお届けしたい気持ちです。
そして、いつもマルシェをお使いくださることにお礼を申し上げます、ありがとうございます♡
ほーんと、仲間の成したことに「解決の糸口」「救われた」なんてうれしいこと言っていただけて、お弟子冥利に尽きます。
こんなうれしいことを書いて、我々を喜ばせてくださるcafeさん、
愛の方です、ありがとです!
さて、長いこと前のめりに感謝の意を述べさせていただきました。
cafeさんのご相談にお返事いたしましょうね。
> 承認欲求が強いのか?何かいいことをした時、その直後に、誰かに褒められるかな?見てるかな?私ってすごいな
って気持ちがすぐ湧いてきてしまうことです。
これは、結論から言ってしまいます。
みんなそうですよー!
にんげんだものー!
わたしだってそうですし、師匠の根本だってそうです(しらんけど)。
> とにかく自意識超超超超過剰です。誰かに良かれと思ってしたことに対して相手が無反応だったりするとものすごく傷つきます。
それはやっぱり、そりゃ、傷つきますよー。
そりゃ、自分がやりたくてやったんですけれど、やっぱり反応が欲しいな〜って、そう思っちゃいますよ。
えっなんで?!
えっこんなにしたのに?!
って、やっぱり大なり小なり、なりますよー。
だって、認めてほしかったんだもの。
だから、がんばったんだもの。
でも、cafeさんは
>心から相手のために、例え感謝されなくともただ自分がしたいからそうしてる、無償の愛というか、そういう自分になりたいです。
こう思われるんですね。
では、どうやったらそうなっていけるのか、一緒に考えてみましょうか。
まず、「見返りがほしい」この気持ちの発生源は、cafeさんが書いてくださったここにあります。
> 両親とも無反応なタイプですし、それどころか文句を言う事が多いです。
わたしたちはみんな、ここでいちど、くじけます。
どうして両親って、ちいさなころ、3歳くらいまではなにしても「すごいすごーい」ってほめてくれるのに、
小学校にあがるころになると「もーアンタは!もっと勉強やお手伝いしなさい!」などと叱ってばっかりになるのでしょうね〜。
愛のかたちが、がらっとかわってしまうんですね。
ちょっとしたことであんなによろこんでもらえたのに、突然、めちゃくちゃがんばらないといけなくなるんです。
しかも、がんばったからってよろこんでもらえなかったり、「その程度で満足するな」などと叱られたりします。
またよろこんでほしいなあ。
すごいすごーいって、笑ってほしいなあ。
ちっちゃい赤ちゃんのころ、あのときみたいに愛してほしいなあ。
こうやって、わたしたちは両親の愛がなくなったのだと誤解して、その愛を取り戻そうとがんばるようになります。
しかしcafeさんはすごいですね、お書きくださったご相談文に順にお返事していくかたちでカウンセリングが進んでいきます。
こころの勉強、めちゃくちゃたくさんされてこられましたね?
ご自分と向き合うために、ものすごくがんばってこられましたね?
すごいですよ、ほんとうにすごいです!
今すぐ声に出して「わたしがんばった〜」ってご自分をほめてくださいね。
さてさて、続けますよ〜。
> 自分自分ではなくベクトルを相手に向けようって頭ではいつも思うのですが、心はついてきてくれないようです。
cafeさんはこう書いてくださってますが、逆です。
ベクトルはいつでも自分に向けます。
何言ってんだ、と思われますか?
そうなんですよ、日本中に「利他」ということばがひしめきあっていますから、自分のことなどあとまわし!
そう思いますよね。
にんげんのこころは、己が満たされてやっと、他のよそさまに利を差し上げることができるようにできています。
そんなわけでcafeさん、
> 行動する時は心から相手が喜びそうだなとか楽しんでくれたらと思ってるんですが、ほんとその直後に、私のこと一目おいてくれるかな、とか、もう条件反射のごとく、もれなくその感情がついてくる
それ、味わいましょう。
なにか行動しているときに
「うふふ、喜ぶかしら」
「えへへ、楽しんでくれるかしら」
「私のこと一目おいてくれるかしら」
と、もうよだれたらす勢いでその感情を味わってみましょう。
いやだああああああああ!!!!
絶対イヤあああああああ!!!!
という絶叫が聞こえてきそうですけれども。
さてここでいきなり雑談をはじめます。
わたしはcafeさんのような可愛い女性が大好きでしてね、
こんな可愛い女性の自信を失わせてがんばらせるような社会にちょっと怒りを感じているんです。
まず承認欲求ですが、
わたし、昨今のネットにおける「承認欲求を持つこと、承認欲求があること」に対するバッシングにこころを痛めております。ってかめっちゃ腹立つ。
承認欲求がまるでワガママや自分勝手の象徴、みたいに扱われていますよね。
承認欲求を消して無になり、世のため人のために尽くせ!
おおざっぱにまとめると、そんな感じに見えてしまうような記事をよく見かけます。
それじゃあまるで戦時中だよ…と、がっくりきてしまいます。
ポツダム宣言が1945年ですので、もう76年も前の、一時の偏った考え方だとわたしは思います。
たしかに仏教などでは「中庸」を良しとします。
私利私欲、利己主義を捨て利他の精神を保て、
ものごとに対していたずらによろこんだりかなしんだりせず、
この現象は自分や世界になにかを教えようとして起こったもの、
すべてはたましいの修行である、とそのようなことを言われます。
が、これらは「渦巻く時代の熱狂に取り憑かれている」状態だとか、
「ほんとうに悲しいこと」に直面してどうにもならないとき、
行き場を失ったたましいが求める究極の癒しなのではないかと思います。
cafeさん、
わたしたちは、にんげんです。
春夏秋冬を喜怒哀楽を持って生きる、なまなましく、血湧き肉躍る、人間です。
欲を持って私利私欲にかたむいたり、利己のこころを持ち、よろこんだり反省したりしながら毎日を生きる、
失敗や無駄の多い、愛すべき生き物です。
わたしなどはこんなことを書きながら、
cafeさんが「きゅん」ってしてくださったらいいなあ、と思ってニヤニヤしてしまったり、
どこかの誰かが読んでくださって、こいつすげー文章書くやーんとか思ってくれないかな〜うふ、とか思ったり、
根本師匠ほめてくんないかなーえへーなどと思っています。
ほーんま、ちっさいちっさい、しょーもないにんげんです。
そんなわたしの期待などにはかまわず、地球はまわります。
地球や師匠は決して「オマエよくやってるなあ!」などと言ってくれませんし、
こうやって書いているブログも、世の皆様にどう受け取っていただいているのかはわかりません。
それでも毎日書き続けるのはなぜか、どうやってこの承認欲求を癒しているのかと言いますと、
わたしが自分でやっています。
自分で自分を承認してやっています。
わたしがわたしを自分で褒めて、承認して、可愛がり、よしよししてやる以外ないのです。
両親が、3歳くらいまでにめちゃくちゃ可愛がってくれた記憶を思い出しましょう。
事実でなくても、イメージだけでも、アルバムのうちのたった一枚から連想されるものでもかまいません。
可愛いねえ、えらいねえ、すごいねえ。
あらげっぷしたの、すごいねえ。
お目目覚めたの、すごいねえ。
にこにこしてるの、すごいねえ。
なにしたって、勝手に起こったことですら、すごいすごいと褒めてもらいました。
あのしあわせだった記憶をまた思い出したくて、わたしたちはがんばります。
ね、実はもう、たくさんたくさん承認してもらっているんです。
あとは自分のちからで再現するだけ。
わたしすごーい!
よく思いついたね!
わたし今日もがんばってるー!すてき!
ころんだね〜、いたいよね〜。
あれたべたいね〜、またこんどね〜。
よろこんでほしかったね〜、残念だったね。
でもさあ、準備しているとき、たのしかったねえ!
あのひとはなにしたらよろこぶんだろうね、次はなにを企んでやろうか、うふふ。
承認、承認、承認。
そんなこんなな毎日を送って、まずは自分が満たされていきましょう。
そうすると、いつもの日常のなかに、たまぁによろこんでくれるひとがあらわれるイベントが起こったりしますしね。
ってわけで、cafeさんへのドーパミン!
ドーパミンとは、まほうのじゅもんやおまじないのことです。
現状を打破するために、ちょっとたのしくてわくわくするような
そしてちょっとアホみたいな
そんな行動をご提案するものです。
さて、では、cafeさんへのドーパミン。
脳内に3歳のcafeちゃんを住まわせましょう。
なにかするたびに、cafeちゃんとふたりで、感情を共有します。
たのしいね!
うれしいね!
よろこんでほしいね!
すごいってほめてほしいね!
ほめてもらえなかったね!
ざんねんだねえ〜
あのひといじわるだね!
そんなこと言っちゃだめだけどね!
ほめてほしかったね!
うん、cafeちゃんすごかったね!
うん、すごかったね!がんばったよ!
えっ、アホみたい。
それはちょっと…と思われますか?
では、叶姉妹さんやデヴィ夫人はいかがでしょうか。
たのしいわ〜
うれしいわねえ
よろこんでほしいわね、
すごいってほめてほしいわ!
ほめてもらえなかったわ…
ざんねんねぇー
あのひとアレを喜ばないなんて、ちょっとセンスないわね。
あらやだここだけの話よ、
ほめてほしかったわねえ…
ええ、けどね、ほめられようがほめられまいが、あなたはいつでもすてきよ。わたしは知ってるわ。
えっ、それは、えらそうすぎでしょ。
高慢すぎて引いてしまいますか?
では、cafeさんの好みのタイプのイケメンはいかがでしょう。
わたしなら高橋一生さんにします。
たのしいね
うれしいね
よろこんでもらえるよ
すごいってほめられるよ、きっと。
ほめてもらえなかったか〜
ざんねんだなあ…
アイツ見る目がなさすぎるな、
あ、ここだけの話な、お前と俺だけの。
あーでもなー、ほめてほしかったなぁ〜
cafeがいつでもがんばってるの、俺は知ってるからさ、なんかくやしいな。
わたしはこれを脳内高橋一生さんに言ってもらいます。
っと、えーと、さて、cafeさん、
承認欲求は、なくすのではなく、自分で満たしてやるものなんです。
そうしているうちに、相手の反応に傷つく度合いが減ってきます。
わたしと相手のしあわせのかたちが違うことに、傷つかなくなってきます。
そのためには、上のドーパミンでご紹介したじぶんほめです。
よかったら毎日、しっかりとやってみてくださいね〜。
cafeさんのご相談、とても一生懸命でまっすぐで、毎日をひとのためにがんばっておられる姿が目に浮かんできました。
世界にこんなに一生懸命な女性が存在している事実に癒されました。
あなたはすてきな女性です。
大阪より、cafeさんのしあわせをこころから願っています。
ご相談をありがとうございました。
今日もおつきあいくださってありがとうございました。
すてきな今日をお過ごしください。
イチカ、あなたのドーパミンより。