見出し画像

嫌いは嫌いでいい、いい人をやめて嫌いと認めた瞬間にそれは減少する、の巻。


どうにも、おじさんにアドバイスされるということが苦手なのである。

良かれと思って言ってくださるのはわかるのだが、求めていない見当違いなアドバイスを嬉々として延々とされるのは実に困る。だんだんベジータみたいな気持ちになってくる。

画像1

なんで苦手なんだろうなあ、と考えてみる。

まあやっぱり、無価値感なんだろうなあ。

自分には価値がない、自信がないから逆にそれを認めたくない。

成し遂げる力、やり遂げる力のない自分を認めたくない。
そこを、「こうやったらええねん」と軽くあつかわれた上ぺらぺらぺらぺらしゃべられると、なめとんか、貴様になにがわかる、ブッ殺すぞ、と怒りを感じるのである。

男は女を助けたい生き物であるわけで、だから純粋に好意であるのはわかっちゃいるのよー。

あーもう、わたしはほんまに受け取れないんだなあ、申し訳ないなあ、と凹んでいたのだが。

ふと思った。

相手の思い違いに合わせて、相手の夢見ている幻想に合わせて、喜んだ演技をしてしんどい思いをするのは、まさにやったら苦しい他人軸やないか。

女だって、助けられ方を選ぶ自由はあるのではないか。

ありゃりゃん。


試しに、アドバイスおじさんを無視してみた。

なにも変わらなかった。

嫌われるかと思ったけど、なんともなかった。

他のおじさんにも同じようにしてみた。

まったく同じだった。

「きみは人の好意を足蹴にするもんなー」と苦笑されたが、別に怒っても悲しんでもいないようだった。

別のおじさんには、

「そんな、能力のない、なんにもできない頼りないだめな女にみえるんかなわたし。悲しくなってきたー」と言ってみた。

めっちゃ謝られた。
そんなつもりじゃなかった、良かれと思って、ごめんねごめんね、えーほんまにごめん、って。

わたしがいじめているみたいで気分が悪くなったが、別にどうでもいい。


そんなわけでわたしは、心理カウンセラーであり、日々ひとさまのお悩みを聞かせてもらう立場にありながら、アドバイスをするのはとても苦手である。

アドバイスおじさんは、わたしが苦悩してやっていることを、見立て通りかどうか細心な確認作業もせずに、貴様に悩み相談などしておらぬのに、勢いでしれっとぺらっとへーきでべらべら上から目線でマウントとってしゃべり倒してくるから、コロしてやろうかと憎しみに近いくらいの腹が立つのである。

お悩みをいただいてブログでお答えする度に感謝し、悩み、迷う。
おしつけたりしていないか。
ほんとうにおっしゃりたいことを見逃していないか。
どんなことばがこの方の全身をゆるめて、楽に呼吸をしてもらえるのか。

ご相談者さまの繊細でやさしいおきもちに気づくことができずに、えらそうに語っていないかいつも不安になる。

文字だけのやりとりは気楽だし、時間を気にしなくていいし、思いの丈をたっぷりとれるぶんだけ、とてもむずかしい。

できることなら、ひとさまの話を聞くだけでありたい。
傾聴するのはだいすきなんだ。
いくらでも聞かせてほしい。


あー、ここまで書いて気づいたぞ。

アドバイスおじさんは、わたしがクライアントさんに質の高いカウンセリングをするための反面教師になってくれてるんやな。

あんなふうにだけは、ぜったいになりたくない。

わー。感謝で締めたかったけどうざーいだいきらーいきもーいなぐりコロしたーいしねーぜったいむりむりむりー。

冒頭で、おじさんにアドバイスされることが苦手、と書いたが言い換える。言い切る

無神経に勝手なアドバイスをしてくるおじさんが大嫌いだ、と。




今回のドーパミン

●自分が嫌いなやつは、自分が押さえつけている欲求をしれっと無神経に実行しているやつ。
●そいつらに社会的に「あははーそうですねー」としてやっているとてもりっぱなあなたは、どこかで皿を割りまくるとか、カラオケでマキシマムザホルモンなどをシャウトしまくった方がいい。
●無神経なやつらのいうことを聞かない自分を責める必要はまっっっっっったくない。
●イチカは無神経なオレオレオヤジやオバハンがだいきらい。たとえそいつらが小なり大なりカネを生もうとも、むりむりむりむりキモいキモいキモいクッソきめえ近寄るな、と強く感じている。

読んでくれてありがとう。

いいなと思ったら応援しよう!

イチカ | 【女性専用】タントラ哲学×心理学カウンセラー
ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。