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あまり言葉にしたくない
平均化操法についてその経験をあまり言葉にしたくないという思いがあった。
その場で受け取った感触を大切にして、自分の中でもその経験に註釈をつけたりはしないようにしていた。
当時を振り返っても操法について言葉をもって積極的に解説するという人はいなかったように思う。
相手の言い分を聞いた時、それが前向きな意見交換であれば歓迎できたと思うけれど残念ながら口論に発展しそうな予感があった。
その上で相手に「
理屈だけわかっててもうまくいかない
僕の平均化訓練はここまでだ。
そう思ってすぱっと退場すればよかったのではないか。
悪感情を抱えて講座に参加しても誰にとってもいいことはないだろう。
理路で言えばそれがいちばんだと思った。
あるいは真っ先に先生に相談すればまた違っただろうか。
そんなことはまったく思いつかずに変に自分の問題だと抱え込んでしまった。
こういうものは自力で解決するものだとはわかった。
もちろん理屈の上での理解でしかなか
不安についてくるもの
「もしかして怪我でもしたのではないか」
そんな考えがふと頭に浮かんでからずいぶんと不安になってしまった。
不安は憤りと混乱を呼ぶ。
原因が背中を殴られたことなので、殴ってきた相手に対する憤りは不安に駆られてとにかく大きくなってしまう。
憤りと不安は区別がつかなくなり混乱はどんどん深まるばかりだった。
混乱は大きくなり複雑になりしていくが、もとはと言えば最初の不安以外にら何もない。
余計な考え
アイデアスケッチより 15
初期の頃を思うとこれだけ講座が安定して開催されるようになったのはとてもよいことだと感じる。
来る人こそ減った気がするが、しかし、それでいいのだろう。
当時の熱狂、あるいは勘違いにパワーはあったかもしれないが、それは本来必要がないものだ。
アイデアスケッチより 14
指導者になって何がしたかったのか。
それは講座に行きたくても行けない人に平均化訓練を伝えることだ。
会場まで行くためだって手間も時間もお金もかかる。
望んでも行けない人がいる。
体操が必要だと思う人にはなかなか届かない。
実際もどかしい気持ちになったこともある。
ものまね程度のクオリティで平均化訓練を伝えたことにはならないだろう。
自分の鍛錬の必要を感じていた。
アイデアスケッチより 13
平均化状態(心地よい体の状態)が人から人へ伝わっていくのがよいなと思っていたし、多分これは間違ってない。
よい状態で人に触れるということを突き詰めていくことなのだろうな、と思っています。