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体は乗り物

ヨガ経典の一つ、ウパニシャッドの中に「人生を旅する馬車」について書いてあるこの一節を初めて読んだ時、びっくりした。なんとなく私が感じ、そして体験した事がズバッと言い当てられているというか、表現されているから。

ウパニシャッド第1部3章4節
「聞、触、見、味、香という五感は馬車をひく馬です。五感が惹きつけられるものが馬車の進む道。人は、体・感覚・心という道具を使い、馬車に乗り、人生の旅路で起こる様々な経験味わう主人公である。それが普通の人が自分だと思う考え自我である、と賢者は言う。」

私が初めて「ヨーガ」というものに参加したのは、大学院生の頃。その当時からすでに健康体操的なヨガは流行り始めていたのだけど、今ほどはブームではなかった。その当時、私はカウンセラー(臨床心理士)目指して、指定大学院へ行き勉強していたのだけど、心理学よりも心理哲学、哲学の方に惹かれてしまい、「生きがい」や「生きる意味」の研究をしていた。心理臨床ゼミの先生や周りにそんな勉強をしている人はおらず、教育哲学の先輩と一緒にドイツ語の本を読み(全然読めなくて翻訳に切り替え)、「夜の霧」で有名なV.E.エミールの「生きる意味」を修士論文のテーマにした。秋には関西教育学会が当時通っていた大学で開催されるということで、修士の条件(在学中に3つの学会で発表すること)を満たすためにも論文発表をした。教育哲学の先輩はヤスパース研究。でも二人とも教育学内での発表のつもりだし、ゼミの先生も心理学は科学論文だと口酸っぱくおっしゃっていたので、彼らの「宗教」の部分を排除して発表した。運悪く、わざわざ京都大学から、V .E.エミールの私の発表を聞くために教授とそのゼミ生が来ていた。もちろん、発表の質疑応答では「V .E .エミールの思想にとって『宗教』無くしては語れないと思いますが」と言われてしまう。わざわざ出向いてきたのに、小娘が勝手な「生きる意味」論を語っただけの陳腐な発表を聞かされ、随分とがっかりさせてしまった。あなたの大学が院試で私を入れてくれたらこんなに一人で手探りの研究しなくてよかったのにと恨みもした。また、同じ時期に婦人科系の疾患も見つかり、まさしく「私の女としての生きる意味は?」と随分落ち込んでいた時期でもあった。
大学の周りを自転車で通っていたら、お隣の浄土真宗興正寺さんの案内板にヨーガ教室の文字を見つけた。自分で電話をして予約を取るようだった。なぜか背中を押されるように、電話をしたら、品のいいおじいさんが出てくれた。若い子に人気の体操のヨガではないけれど興味があったら明日お寺に来てくださいとのことだったので行ってみた。先生は仙人みたいな方で、宇治から通っていらっしゃっていた。クラスはアーサナではなく、呼吸法とストレッチとお話。そういえば今の私のヨガクラスの原型はここにあるのかもしれない。今気づいた。
そのクラスには長くは通わず、先生も体調を崩されたり、私も研究が忙しくなったり、今の旦那と出会ってがっつり宗教の勉強をし始めたりして興味が別の方へ向いて行った。真宗では「生きる意味」を追い求めず、「生きている」んじゃなくて「生かされている」と説く。その当時の、なぜ、どうしての塊の私は、「委ねる、お任せする」ということの心地よさを初めて知った。そのまま旦那の生き方に”委ねる”ことにして学生結婚し、得度してお坊さんになり、アメリカにて15年の主婦行に入るのだった。

13年後の11月、長く放置していた胆嚢の石を取るため、アメリカで手術をした。ドクター曰く、三箇所お腹を切って内視鏡を入れて胆嚢を全摘する簡単な1時間ほどの手術だということだった。当時3番目の息子も4歳になった頃で、幼稚園に行っている間に手術も終わって自宅に帰れるだろうという算段だった。手術前の記憶では、担架に乗せられて「手術は8時から始まって1時間ほどで終わります。その後回復室で休んで昼ごろには退院できますよ。では、麻酔をするので10数えますね。10、9、8、7…」くらいで真っ暗になり記憶がない。次目覚めた、というか真っ暗な中で意識が戻ってきた時には
「あーよかった!良いこと教えてもらった(見てきた?)。帰ったら絶対に〇〇ちゃん(友人)に教えてあげよう。死後の世界ってやっぱりこうなんだ〜。みんなにも教えてあげよう〜」
というようなことをぼんやり思っていた。
そしてもう少し眠りたいなーと思っていたら、なんだか名前を遠くから呼ばれている気がする。眠い。でもやっぱり名前を誰かに呼ばれている。目を開けたり、体を動かしたいのだけれど、なんだか底なし沼のようなヘドロのようなそんな重たいものが体の周りにへばりついているようで全然動かない。
あ、あっちに綺麗な光と空気が軽そうなところがある。あっちへ行きたいな。でも名前、呼ばれているな。分かってるんだよ、でも体が動かないんだよ。金縛りのような、目すらも開かないんだ。どうしよう。。。
と葛藤していたが、ついに目が開いた。
開いた瞬間、ナースの「Dam it!」という声が聞こえた。「あなたこのまま目が覚めないのかと思ったわよ!私、さっきからあなたの名前をずーっと呼び続けていたのよ。手術中にちょっと複雑なハプニングがあって、このまま回復室に行くことができなくなったの。今からあなたを個室に連れて行きます」
と、まだ意識も完全に戻っておらず、目も半目状態の私に畳み掛けるように言い残して、私を乗せたストレッチャーが個室へと向かっていった。
個室に着いたらナースが交代して、お世話係のナースさんになった。血圧を測った瞬間にあまりの低さにびっくりして、「あなたこれ死人よ!」と言いながらナースセンターに電話をしていた。そうこうしているうちに元気に飛び込んでくる子供達と、真っ青で怖い顔をしている旦那が病室に入ってきた。ナースが気を効かせて、平なベッドを電動で起こそうとしてくれたのだけど、そうしたら一気に血の気が引いてまた意識を失いそうになったので慌てて平に戻してくれた。
その後、担当の医者が来て言うには、「手術中におへそのあたりを2センチほど切ってカメラを入れた瞬間に動脈に当たってしまい大量に出血した。それが腹部内に出血したから掃除をするのが大変で、さらに3インチ腹部を切って開腹手術になった。体内の血液が大量に失われているから貧血になっているけど、血は一ヶ月ほど休んだら作れるから大丈夫。水分いっぱい取ってね。でも今夜は君を返せないよ」と言って、アメリカには珍しく病院で一泊させられた。

これが私が体験した「体は乗り物」で魂と言うか自我と言うか、アートマン的なものは体外にあるんだなと感じた出来事。俗にいう、「臨死体験」なのかなと思う。その時に「みんなに伝えなきゃ!」と思った出来事をなんとなく忘れている。ずっと思い出そうとしてるんだけど、なんだかモヤモヤして思い出せない。でも、死後の世界は大丈夫、みたいなことだと思っている。ちょうど一ヶ月後の7年前の出来事だ。手術中に見た光景というのは、 bjork の”Utopia”というMVにとてもよく似ている。小さな細胞ひとつひとつが光り輝いていて、極楽鳥のようなものが優雅に飛んでいて、なんだかキラキラしている。仏教でいう極楽浄土ってこんな感じなのかなって思った。
そんな体験が、ウパニシャッドに書かれていて納得したよというお話。長くなったけど、順番に書かないと伝えられないんだなと最近思ったので綴っておく。この手術後の一ヶ月の静養があって、体調が戻らずにヨガの呼吸法を本格的にやる事になる。続きはAmazonから出てる私の本を読んで下さい📕




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