知らないと馬鹿にしがちな本当は大切なこと
最近、ネットニュースを読むようになりました。
もともとテレビのニュースはあまり見る方ではなかったけれど、ネットニュースはテーマが幅広くていい。
全国放送で流すほどではないけど、みんなの気になること、知っておくべき情報が割と事細かに載っているし、読み物だから気が向いた時に好きな分量だけ見ることができる。
特に私は石田衣良さんの小説「池袋ウエストゲートパーク」シリーズが大好きなので、町のアングラ的話題が多いのも興味深い。
アングラ世界とか自分過ごすスペースに関係のないことって、案外スルーしがち。
例えば私は一人暮らし独身、会社員なので、就活に関する話題や不倫とか離婚なんかの話題には当事者に比べたら疎い。
どうしても自分と重ねられる話でないと、わざわざ検索しようとは思わないからだ。
しかしそんな人にも間口が広いのがネットニュース。自分の興味のあることから、そうでもないけど言われてみれば気になることが多く、知識や目線が上がるのが分かる。
そんな中、今回読んだのが育休を取得する男性のインタビュー。(ヤフーニュースでたまたまたどり着いた記事。色々なサイトが集まっているところは興味のあることが繋がって呼べるから良いですね)
育休の取得率の正確な数字は分かりませんが、まだまだ一般的とは言えない数なんだとか。確かに私の周りでも取っている人はいません。
また取得したとしても、1日2日でも育休としてカウントされるというから驚き。それでは単なる有給とか祝日休みと変わらないよね。
でもこの方は1ヶ月半ほど育休を取得したと言います。それが長いのか短いのかが私には分かりませんが、それだけの休みって女性でも申請するのは正直勇気がいるんだろうし、とても立派だと思う。
そんな素敵な時間は、全ての人が経験できるものではないんだろう。
けれど、その期間中に過ごした忙しくも貴重な体験は、本当は誰にだって得る権利がある。
男性も女性も育休を取るのは当たり前の権利。しかしそれを主張して、貫き通せる意思と環境を備えている人は正直少ないんだろう。
私だって自分がそう言う立場になった時、正当なこととして上司に立ち向かえる自信は正直ない。
普通のことが普通にできる当たり前の風潮ができていることを願うことしかできない。
なんでみんな取らないのかなぁ、みんな取れば良いのになぁって本当は誰もが思っているのに。
なのになかなか上手くいかないのは、知らない人が多すぎるからだと思う。
イクメンなんて言葉がない時代、奥さんのほとんどが専業主婦だった頃、確かに男性に育休は無いに等しかったのかもしれない。
でも状況は今や夫婦の多くが共働き、男性だって育児に関わらなくちゃいけなくなった。
インタビューを受けていた男性は育児は楽しい、貴重な体験と表現したように、本当は自分の子供に接するって誰でもできることじゃない。
一生に数えるほどしか巡ってこない好機。男性が育児に関わらなくちゃいけなくなった、じゃなくて関われるようになった、と言葉を変えても良いんだろう。
しかし育児の楽しさ、大変さを知らない人は少なくない。特にある程度御年齢を重ねた方は、環境として育休を取ることができなかったと思う。
だから「子育てなんて」って思う人が出てくる。それはある種当たり前のことなのかもしれないけど、口に出して言って良いのか、また自分の部下にそれを伝えて良いのかどうかは別問題。
自分はこうだった、だから今後もこうあるべき、そう思うのは仕方ないけど、もう環境は変わってしまった。
男性も育休を取れる時代になったのだ。
往々にして自分が我慢させられたことは他人にも強いたくなってしまうもの。自分が経験できなかったことは、もう取り返すことはできない。
今の社会はまだ圧倒的に本当に大変な育児というものを知っている人が少ないんだろう。だから育休を他人の快く思えない、育児や家事の担い手を尊敬できずにいる人もいるのかもしれない。
だから知らないって怖い。
育休を取ったことで得られる幸せを知らないから、人目を気にして我慢することしか知らないから。
だから自分の選ばなかった選択肢を、どうしても間違ったことだと思いたがる。
そうしないと自分の気持ちが落ちつかない。モヤモヤして上手く言葉が出てこない。自分の失敗ってそういうものなのかも。
もっと言えば、自分が知っていることだって例外ではない。
例えばいじめ問題。誰だって大なり小なり友達に無視されたり、意地悪された経験があるだろう。
すると不登校の生徒や悩んでいる子供に、発破をかけるような言葉を言いたがるけど、人の悩みなんて他人には絶対にわからない。
できるのはきっと、許容することだけ。
その人の言葉を否定しないこと、そして悩みを決して馬鹿にしないこと。
そうじゃなければ、私が仮に子供なら絶対に他人に心を開いたりしない。
知らなければわからないことは世の中にごまんとあるけど、自分の中にある常識を世界の常識とは思いたくない。
新しい考え方は日々何処かで生まれていて、それが少しずつでもスタンダードになっていくと良いですね。
ただ1つだけ怖いのは、古い考え方が一緒くたにダメって思われてしまうこと。全ての常識には多分なんかしらの理由があって、なるべくしてそうなる。
だから新しい考え方を尊重するなら、古い考え方がだって尊重したい。
他人の常識ばかりを重んじる必要はないけど、せめてお互いに許容しあえたら良いよね。