七屋 糸

誰かの「言えなかったこと」が書きたい。2018年に脱・ブラック企業して今はマイペースなOL生活。#月刊撚り糸にて毎月7日に小説を公開しています。『冷蔵庫の中から愛を込めて』連載中。お問い合わせはTwitterのDMまで。

七屋 糸

誰かの「言えなかったこと」が書きたい。2018年に脱・ブラック企業して今はマイペースなOL生活。#月刊撚り糸にて毎月7日に小説を公開しています。『冷蔵庫の中から愛を込めて』連載中。お問い合わせはTwitterのDMまで。

マガジン

  • 振り幅の広い短編集

    1ページ完結の短編をまとめました。

  • 月刊 撚り糸

    毎月7日にテーマに沿った小説を公開します。また同テーマにて創作を募集し、一緒に楽しめたらと思っています。3月のテーマは『その角を曲がったところに』です。

  • まだ手付かずの本棚

  • すきを贈りたい小説たち

最近の記事

  • 固定された記事

ロビンソンの飼い犬【前編】

 芽衣子が両手指にマニキュアを塗っているとき、ぼくは決まって彼女にくだらない話をする。  ヤスリで丁寧に整えた指先に神経を集中する芽衣子の左の手は、すでに薄いピンク色に染まっている。右はまだ一本目を塗り始めたところで、爪の色が若干の不健康を証明するように白かった。ぼくは母親の腕を引っ張る子供みたいに、芽衣子に喋りかける。 「夢でしか行けない場所ってない?」  一瞬彼女の動きが止まったように見えたけれど、返事はない。ぼくは構わずに続ける。 「現実にはそんな場所見たこともないはず

    • ロビンソンの飼い犬【後編】

      【前編】 *  足の甲にできた擦り傷を見つけ、指で撫でる。ここのところ暑くて、外出にはいつもサンダルを履いていたから。絆創膏を取り出してきて貼ったけれど、カーブした皮膚にはいまいち張り付きがよくない。 「なあに、これ」  芽衣子がリビングから顔を出す。手には角が汚れた発泡スチロールが抱えられていた。 「知り合いからもらったんだ」 「お中元?」 「釣り好きなんだ」  あとでどうにかするよ、と苦笑いする。芽衣子はふうん、と言いながらフタを開ける。紫色のうねった肢体が半分凍った

      • 金属の鳥は幸運をはこぶか。

         僕がデスクに戻ってくると、彼は窓際の黄色い椅子に座って外を眺めていた。先週から降り続いていた雨が上がり、朝から雲ひとつない穏やかなお天気だった。中庭を囲むように正方形のドーナツ型をした建物は、お昼前後になるとどこを見渡してもすっきりと明るく、窓ガラスはキラキラ光る。景観を壊さないように外側からは透明に映る素材で作られた中央廊下は、人が歩くとまるで魚が薄水色の水面を泳いでいるみたいだ。それが一番良く見えるのが彼の座っている黄色い椅子のある位置だった。なかなかいいセンスをしてい

        • 優しい薬の飲ませ方

           ブレッドと連れ立ってファミレスに入ると、ガサついた入店音がするだけで人の来る気配はなかった。仕方なく適当な席で背負っていたギターを下ろしていたら、レジの奥から男の店員がようやく顔を出し、やけに小さな声で注文の説明をする。僕がそれに苛々しはじめると、ブレッドは「いつも来てるんで」とやんわりと断り、そのまま店員が厨房に消えるのを待ってからハンカチを差し出した。 「ほら、拭きな」  自分も濡れたままでいるブレッドからそれを受け取って髪や服についた雨粒を軽く払う。悪いとは思ったもの

        • 固定された記事

        ロビンソンの飼い犬【前編】

        マガジン

        • 振り幅の広い短編集
          39本
        • 月刊 撚り糸
          100本
        • 13本
        • まだ手付かずの本棚
          23本
        • すきを贈りたい小説たち
          41本
        • 少しいびつな恋愛オムニバス
          67本

        記事

          噛みたい、噛みたい

           願い事は二度唱えること。  小二のときに行った初詣でお母さんに教わってから、私はずっとそうしている。  学校からの帰り、前を歩いてくるスーツの男の人とぶつかった。駅前の大通り沿いを流れる川には橋がかかり、街と街とを結んでいる。通勤・通学でごった返す夕方五時頃のことだった。手元のスマホに気を取られていたのは男の人のほうなのに、眼がぎょろりとこちらを向くから、私は小さくなって道の端を歩く。泥と吸殻の溜まった排水溝が汚かったけれど、その上をまたぎながら小さく唱えた。 「噛みたい、

          噛みたい、噛みたい

          アナモルフォーシス

           例えば事実とは違うことを他者に話したとして、それを繰り返し反芻するうちにあたかも本当に起きたことのように感じる場合がある。  脳が勘違いを起こして記憶を書き換え、実際の出来事を誤認してしまうのだ。たとえば別れた恋人との甘いひと時や、幼少期に出会った不思議な現象も、冷静になって考えてみればそれに当たるということがままある。人によってはそれを虚構だとか妄言だとかいうかもしれないが、僕はそれを密かに形成記憶と呼んでいて、もちろん虚構や妄言と言った言葉とは違ったニュアンスで捉えてい

          アナモルフォーシス

          唐突に別の名前が欲しくなってしまう夜。新しいところへ行く勇気ばかりが足りない。 https://note.com/ichii_miyanami/n/n9438e22d6492

          唐突に別の名前が欲しくなってしまう夜。新しいところへ行く勇気ばかりが足りない。 https://note.com/ichii_miyanami/n/n9438e22d6492

          晴天にグレー #月刊撚り糸

           今すぐに桜の花を見に行かなければ死んでしまうような気がしたことはありますか、と彼女に聞かれた時の衝撃をよく覚えている。そしてその衝撃と同じくらいの速さと深さで、理解したのだった。あたしが1番知りたくなかったこと。三澄が、彼女を選んだわけを。  それなのに三澄はわたしの隣でのうのうと寝息を立てていた。馬鹿みたいに広いラブホのベッドの上、上半身裸のままの身体が寒そうに真っ白なシーツに包まる。薄く唇を開いた寝顔が幼く、服の上から見るよりもなだらかな肩。同じ部屋であたしよりもずっ

          晴天にグレー #月刊撚り糸

          雨だというのに、先週末は1時間以上車を走らせて花を見に行った。楽しみな予定は先延ばしにするもんじゃない。 https://note.com/ichii_miyanami/n/ndf9fd45aa71e

          雨だというのに、先週末は1時間以上車を走らせて花を見に行った。楽しみな予定は先延ばしにするもんじゃない。 https://note.com/ichii_miyanami/n/ndf9fd45aa71e

          花見とパフェと、出力できない平日との闘い

          雨の日でも花見はしたいし、満腹でもパフェなら食べられる。 そういうのと同じテンションで、時間のない平日でも小説を書きたいと常々思っている。 けれど現実は牛乳の賞味期限くらいシビアで、ない時間を捻り出すのは至難の技だし、一日を36時間に変える妙技は生憎まだ持ち合わせていない。 その癖、どうにかこうにか時間を作ったというのにてんで筆が進まないなんてことも珍しくない。その場合は大抵Twitterに生息しているのでぜひ叱ってやって欲しい。 とにかく、わたしの一週間は出力できな

          花見とパフェと、出力できない平日との闘い

          #月刊撚り糸 3月のテーマ『その角を曲がったところに』公開しました。

          毎月7日にテーマに沿った小説を公開します。また同テーマにて創作を募集し、一緒に楽しめたらと思っています。 3月のテーマは『その角を曲がったところに』です。 *** 全投稿作品を載せています。 Twitterにて書かせていただいた帯とともにどうぞ。 1、その角を曲がったところに「あの」でも「この」でもなく、"その角"なのです。言っていることに深い意味はありません。だから良いのです。 なんにせよ『世にも奇妙な物語』が大好きな私には堪らんやつです。 2、黒い真珠いてらさんの

          #月刊撚り糸 3月のテーマ『その角を曲がったところに』公開しました。

          春が近い。というか世間はもうとっくに春だったんだろうか。通り越して夏の匂いがする。音楽を聴くのにいい季節になった。 https://note.com/ichii_miyanami/n/nb2a69510aa88

          春が近い。というか世間はもうとっくに春だったんだろうか。通り越して夏の匂いがする。音楽を聴くのにいい季節になった。 https://note.com/ichii_miyanami/n/nb2a69510aa88

          自分の書いた文章を「いい」と思えるのなんてせいぜい三秒くらい。 なんとまあ短い蜜月。 https://note.com/ichii_miyanami/n/ndf9fd45aa71e

          自分の書いた文章を「いい」と思えるのなんてせいぜい三秒くらい。 なんとまあ短い蜜月。 https://note.com/ichii_miyanami/n/ndf9fd45aa71e

          薄々気づいてはいたのだけど、わたしはショートケーキの苺は最後までとっておく派だ。本当は最初の一口で食べてしまうタイプになりたかったけど、きっと死ぬまでそうなれない、とっておく派だ。 https://note.com/ichii_miyanami/n/naa2dfb9bc057

          薄々気づいてはいたのだけど、わたしはショートケーキの苺は最後までとっておく派だ。本当は最初の一口で食べてしまうタイプになりたかったけど、きっと死ぬまでそうなれない、とっておく派だ。 https://note.com/ichii_miyanami/n/naa2dfb9bc057

          唐突にはじまって終わる書き出しクイズ

           もうずいぶんと長いことエッセイなんて書いてないもんで、こんなときになんと前置きをしてはじめたらいいのかすっかり忘れてしまった。  先日知人からもらったタオルが今治のいいやつでふっかふかだったとか、最近住んでいる地域でようやくはじまったウーバーイーツで頼んだフレンチトーストがそれはもう美味しかったとか、そういうくだらない話を書いては消してを繰り返している。  あーでもないこーでもないとやっているうちは大抵辞めておいた方が良いことのほうが多いのだけど、そんなことを言っていた

          唐突にはじまって終わる書き出しクイズ

          25くらいまでは大人っぽくて綺麗めなものを選びがちだったけど、27になった頃から単純に自分が好きだとか可愛いと思うものを選ぶようになった。周囲からどう見えるかはともかく、これは成長のような気がしている。 https://note.com/ichii_miyanami/n/ne164b8b074da

          25くらいまでは大人っぽくて綺麗めなものを選びがちだったけど、27になった頃から単純に自分が好きだとか可愛いと思うものを選ぶようになった。周囲からどう見えるかはともかく、これは成長のような気がしている。 https://note.com/ichii_miyanami/n/ne164b8b074da