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【短編】売れない画家の青

両の手に鮮やかな原色の絵の具をぶちまけた姿は、さながらエイリアンのようだと時折思う。特に指先から甲にまで流れ落ちた彩度の高い緑は、地球外生命体の血液のようで気色が悪かった。絵を描いていると精神的にも不安定になりやすいので、幾度も鬱々とした気分を繰り返す。なんとも因果な職業だ。

それでも生業に選んだのは、幼い頃の記憶が今でも色濃く残っているせいだろう。共働きの両親が休日出勤のときは大抵祖母の家でお昼ご飯を食べ、午後からは美術館へ連れ出された。祖母は若い頃に美術館で働いていた人で、美しい額縁で飾られた絵を幾枚も俺に見せてくれた。

今にして思えば教育の一環というよりも、祖母自身が見たいがために俺を連れて歩いたのだろうが、家で退屈しているよりは知らない場所を見て回るほうが落ち着きのない子供にはいくらか楽しかった。

そうして美術館を巡って帰ってきた夜は、子供ながらに影響を受けるものらしく、絵ばかり描いていた。祖母に買い与えてもらったクレヨンの、青い色ばかりを使って白い紙を埋める。母親は何色もあるうちの青ばかり減っていくことを心配しているようだったが、単に色として好きだっただけだ。

小学校を卒業して、中学、高校と成長しても、絵を描くことは楽しかった。祖母は中学二年生の時に亡くなってしまったが、もうひとりで出歩ける歳だったので、休日は自転車に乗って美術館へと走った。坊主頭に野球帽を乗せた少年が美術館にいるなど少し場違いだったかもしれないが、芸術の場は良くも悪くもお互いに干渉し合わないので居心地の悪さを感じたことはない。

大学は美術系に進み、売れない下積み時代を経てようやく家族を養えるくらいの仕事ができるようになった。俺は芸術家肌と言うよりもクライアントの要望に応えたり、人とのコミュニティを作るのがうまいのも功を奏したのかもしれない。

だが売れる一番のきっかけになったのは、「青」を使わなくなったことだろう。大学で学び始めた頃から感じていたことだが、俺の書くものには青が似合わない。キャンバスの大半を青で埋めても、差し色として細部に使っても、どうしても冷めた色彩が見る人の心を興ざめさせるらしかった。

はじめこそその事実が俺をひどく苦しめたが、青使わずに描いた絵にすぐに売り手がついたことでようやく諦めがついた。向いていないものにやたらに手を出すほど、俺は芸術に生きられる人間ではなかったということだろう。

青ばかり使っていた頃に描いた絵は厄介払いでもするようにほとんどは処分し、残りは仕事部屋のクローゼットの中に放り込んである。



収入が安定し始めた頃に、長年付き合っていた彼女と結婚した。美術館系の仕事に就く彼女は俺のことをよく理解し支えてくれた。子供も生まれ、今年で四歳になる。時の流れを感じるとともに、売れ続けなければならないというプレッシャーもあったが、これほど心地の良い重責があるだろうかと思って筆が進んだ。

基本的に家を一室を仕事場として使っている俺は、必然的に翔太と過ごす時間が長かったが煩わしく思ったことは一度もなかった。むしろ青を使うことをやめた今、幼子のピンク色に染まった頬や色素の薄い柔らかそうな髪は創作意欲を刺激してくれる。

今日も保育園へ翔太を迎えに行き、夕食までの間に仕事に手を付けた。一人でブロック遊びやお絵かきができる翔太は、在宅で仕事をする親としてはありがたかった。

切りのいいところで目処をつけ、時計を見ると一時間ほど経過していた。絵の具にまみれた手で壁や扉を汚さないように外へ出ると、廊下と地続きになったリビングに翔太の後ろ姿が見える。最近ハマっているアニメの主題歌を口ずさみながら、一人で積み木をして遊んでいた。

その姿に満足して洗面台に向かおうとしたが、黒い点のようなものが見えた気がして振り返る。廊下の途中から翔太のところにまで、点々と黒いものが続いていた。

しゃがみこんでまじまじと見てみると、水で溶いた青い絵の具だった。それが一定の間隔で数滴ずつリビングまで続いている。踏まないように気をつけながら翔太の側に寄ると、「ぱぱ!」と嬉しそうに振り返った。積み木を握る右手には薄青い絵の具がついてた。

まだ翔太には絵の具を与えたことはない。すると俺が買ってきた画材をどこかに置きっぱなしにしてしまったんだろう。幸い翔太が口に入れてしまったような形跡も、カーペットについた様子もないのでほっと胸を撫で下ろした。

足元に纏わりついてくる翔太に「手、洗ってからね」と言って、一緒に洗面台へ連れて行った。ハンドソープの泡にきゃっきゃする我が子を眺めながら、廊下に落ちた絵の具を拭いておかなくてはと思った。



廊下を汚した絵の具は、まだ見つかっていない。普段使わない色は言わずもがな仕事机の奥の方に新しいまま放り投げてあり、色が漏れ出した様子はなかった。もちろん古いものがどこかに紛れたのかもしれないが、あれ以来見かけることがなかった。

画家の指先からはいつも絵の具の匂いがする。外で人と会うと時々指摘されることもあった。しかし当の自分は鼻が利かず、うっかり付けたままでいても気がつかないことが多いから、あの薄甘い青が自分ではないと自信を持つこともできなかった。

「野菜、わたしが切るよ」

仕事帰りの妻が後ろ手にエプロンを結びながら言った。俺も料理ができない方ではなかったが、職業柄爪の端にいつも絵の具が詰まっているので直接食材に触れるのは躊躇われた。特に子供が食べるものには気を使う。

だから彼女はいつもあらかじめ食材の下準備を済ませ、炒めたり煮たりするだけで料理ができるようにしてくれている。優しいとは思うが、多少潔癖の気があるのでおそらく俺にはあまり触らせたくないのだろう。

今日のメニューは翔太の好きなカレーにサラダ、コンソメスープ。カレーとスープはすでに煮込んであったが、サラダの作り置きは彼女の信条に反するらしく、帰ってから取り掛かる算段だったらしい。

俺は大人しくカレーとスープの具合を見ながら、リビングで一人遊びをする翔太を眺めていた。顔立ちは俺に似ているとよく言われるが、一人でも平気なしっかり者の性格は妻に似たのかもしれない。

「冷たい色って、固まると血の色みたいね」

ザクリザクリとレタスを切りながら、妻が言った。ショートカットの頭を揺らすことなく、視線だけが俺の手元に伸びる。木の取っ手のついたおたまを持つガサついた甲は、シワの間に微細な色が固まっていた。

裏返して見てみると、爪の中には黒々しい絵の具の破片。色というのは暗くなればなるほど毒々しさを増し、赤とも緑とも青とも判断がつかない異様な色彩を醸し出す。

こういう仕事をやっていても、時々どきりと心臓が跳ねる。自分の手にベットリとついたものが、まるで誰かの血液のように見えて、

「できたよ。ご飯にしよう」

妻が大皿にサラダを持っていた。レタスの薄い緑とトマトの赤、パプリカの黄色が鮮やかだ。

「どうしたの、口びる真っ青だよ。顔にも絵の具つけたみたい」

「あ、あぁ、大丈夫」

取り繕うように笑いながら、慌ててカレーとスープ用の皿を用意する。よくあることだ、仕事が立て込んでいるときは気が宙に浮きがちになる。嫌な想像をするのも、きっと疲れているだけだ。

夕食の準備が終わると翔太が鼻をひくつかせて駆け寄ってくる。それを見るだけで意識が戻ってきた気がして、俺はこっそり息をついた。


✳︎


仕事場にある小さな窓からは光が入らない。ごく自然な陽光くらいはあるが、最近反対側に建った住宅のせいで翳るばかりだった。

篭りきりで仕事をしなければいけない日は気が滅入る。まるで売れなかった時代が戻ってきたような不安感は、孤独と自分の作るものの拙さを苛んだ。光の入らない部屋は真っ白な壁が青味がかって見えるのも、気持ちを沈み込ませていけない。

目の前のキャンバスにはほとんど色が乗っており、温かみのある色とタッチが唯一心を救ってくれる。心を抉るものばかり描けるやつはすごい、精神を安定させることも、かといって不安定を楽しむこともできない俺にはとてもできないと思う。

テーブルに散らばった絵の具も、赤や黄色の原色ばかりで暗い色が少ない。玄関やリビングに掛ける絵は基本的に暗いものはあまり好まれないので、大抵はこんな色ばかり使っていた。ちょうど翔太くらいの子供が好むような明るい色彩に、心を救われるのは大人も同じだ。

学生の頃は努力さえすれば心に刺さるようなものが描けると思っていた。線のか細い筆とどこまでも食欲を失せさせる青。一番痩せていたのも確かあの時だった。何を食べても味がしないので食べるのをやめると、驚くほどに肉はこそげ落ちていった。

締切は迫っている。俺の絵は常に正確で、クライアントに忠実でなければならない。パレットにいくつかの色を出し、筆で混ぜる。進捗状況としては悪くないが、急に筆が止まることも考えれば余計なことはしていられない。幸い今日は妻の仕事が休みで集中して篭もることができる。

一段落した頃には、オレンジ色の光が差していた。西日が窓から入って来ている。どれくらいこうしていたのだろう、筆を置いて立ち上がると視界が歪んだ。よろけてうっかり手で顔を触ってしまってから気がついたが、いつもの如くべっとりと絵の具が付いている。手を洗うついでに顔も洗ってこよう。

部屋を出ると廊下は暗く、リビングから漏れ出す明かりが眩しかった。シルエットになって見える妻と翔太の姿に安心する。そろそろお腹も空いてきた気がして、いそいそと洗面台に向かう。

が、黒い点が見えた気がして振り返る。廊下の途中からリビングまで、点々と黒いものが続いていた。

ひゅ、と息が詰まる。あのときの汚れは拭いたはずだ。誰がやった、誰がやった。

洗面所へ向かう。顔色の悪いの男が見える。蛇口を捻ってじゃぶじゃぶと水を出す。手をかざすと色が流れていく。赤、黄色、緑、いや、

だった。

洗っても洗っても青が流れ出してとめどない。手は綺麗になるどころか真っ青に染まっていく。まるで蛇口の水すらも染まったように、陶器の白を染め上げる。

はっとして鏡を見直す。顔にへばりついていたのは毒々しいほどの、青。

手も拭かずに廊下へ出て、リビングの扉を開ける。「ぱぱ!」翔太の声がする、妻は心配そうな顔で俺を見ていた。

「あなた、大丈夫、顔が真っ青よ」

自分の両手を見る。青は消えていた。振り返ると、廊下の点も消えている。

これは呪いなのか。描けなかったあの頃の、



あのあと、画家を辞めた。幸い美術関係の知人に拾ってもらい、食いっぱぐれることはなかったし、むしろ精神的にも安定した日々を送れている。外へ出ての仕事なので翔太と過ごす時間は減ってしまったが、休日には健康的に公園で遊んでやることもできる。以前よりはいい「ぱぱ」をやれているかもしれない。

仕事場は少しずつ片付け、ほとんどのものを処分した。しかし昔の絵を放り込んだクローゼットだけはまだ手つかずでいる。それをようやく今日、処分しようとしていた。

覚えている限りは捨てるのに困るほど大きな荷物は無いはずなので、ゴミ袋を携えて仕事場に入る。相変わらず青白い壁が息苦しく、物寂しい自然光だけが居心地悪そうに差し込んでいた。

クローゼットを開ける。乱雑に立てかけられた絵が恨めしそうに俺を見ている。それをひとつずつ丁寧に袋へ詰め込み、供養するみたいに口を閉じた。徐々に心が軽くなっていく気がする。

そもそも向いていなかったのだ、画家なんて。そんな気質の人間じゃない、祖母がいなかったらただの野球少年になり、ただのサラリーマンだっただろうに。人よりも少しだけ器用な手が恨めしかった。

不意に、ひとつの絵が目に飛び込んでくる。妙に白が目立つキャンバス。絵の具ではない、そもそも何も塗られていない部分が多い。見覚えのない絵はおそらく人物で、それも自画像のような雰囲気がする。しばらく眺めていると、「ぱぱ?」と声が聞こえる。振り返ると翔太がにこにこして走ってくる。

「ぱぱ、見て見て!」

翔太が持ってきたのは、一枚の青い画用紙。

ではなかった。所々にできたムラに慄く。これは、白い画用紙を青いクレヨンで塗りつぶしているのだ。わずかに散りばめられた黒と赤で、その絵が人であることがようやく分かる。

そうだ、俺もいつだか描いたはずだった自画像。白が目立つキャンバスには、本来ベタ塗りした青がのっていたはずだった。

もう一度、持っていたキャンバスを見る。顔色の悪い男が、ニタリと笑った。

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七屋 糸
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