「恩師」はいつも後からやってくる(後編)
前編はこちらから。
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ごめん、前置きが長くなったね。
三年生になった春、私は学年が一つ上がったくらいで何も変わらないって思ってたんだけど、一つだけ変わったの。それまで部活の顧問だった先生が産休に入って、別の先生に変わった。前の先生はみんなから「ひろこちゃん」なんて呼ばれてるようなゆるーい人で、部活も対して熱心にやってなかった。まだ若いから押し付けられて仕方なくってね。私たちもあんまりうるさく言われると面倒だからちょうど良かったんだ。
でも新しく変わった真壁先生、これが曲者だった。それなりに年配の人だったけど、別に昭和みたいな時代遅れの熱血先生とかじゃないよ。ぱっと見は全然普通の人。昔ちょっとだけ陸上齧ってたって言うだけあって、ちょくちょくアドバイスくれたし、かといって過干渉もなかったし。三年生の担任もやってたから、受験とか進路とかでそれどころじゃなかったのかもしれないけどね。
部活なんてそんなもんでしょって思ってる私にとっては都合が良かった。
でもある時から真壁先生が祐美ちゃんの朝練見てあげるようになったの。たぶん最後の大会のひと月前くらいからかな。陸上部のエースって呼ばれてた友達はそれを聞いて「必至だね」って笑ってたけど、私はそんなことよりもあの真壁先生が個人の生徒のこと見てあげるなんて意外だなって思ってた。
クラスの生徒とかならまだしも、ただの部活だよ。一日に数時間ぽっちしか一緒にいないし、この間まで「早くみんなの名前覚えないとなぁ」なんて冗談言って笑ってたのに。良くも悪くも印象に残らない先生。理科の担当で部活の顧問、思い出以上。みたいなさ。
だからたまたま朝早く学校に着いた日、まだほとんど誰もいないグラウンドを覗いてみた。だだっ広い砂の地面に土煙を上げて走っている祐美ちゃんがいて、なんだか新鮮な景色だった。
なんだ、今日は真壁先生いないじゃんって思った時。
「なんだ、吉原か。早いな」
後ろから当の本人が現れた。いつものだるそうなジャージにお決まりのサンダルは、若い先生とは大違いで力が抜ける。こっそり見に来ただけなのに声をかけられるなんて迂闊だったけど、真壁先生なら大丈夫だって心の隅で思った。
だってこんな風に人の様子をうかがうなんて、優等生らしくない。私らしくないから。
「祐美ちゃん、頑張ってますね」
ひとまず話題作りにそう話しかけると、真壁先生は「そうだなぁ」と気の抜けた声で言う。本当に毎日練習見てるの?と聞きたくなるような返事に、真壁先生って本当は変な人なのかもって思ったよ。だって先生なら普通もっと必死になるっていうかさ、ダメでも褒めるのが仕事みたいなものじゃんって言いそうになって寸止めした。
「よく頑張ってると思うよ、槙野は優等生だからなぁ」
俺なんて学生の時遊んでばっかだったのに、と先生らしくないことを言う。でも私が引っかかったのはそっちじゃなかった。
祐美ちゃんが、優等生?
いやいや、違うでしょ。だって祐美ちゃんってちょっと不器用だし、勉強も部活もパッとしない感じで、言い方は悪いかもだけど鈍臭いじゃん。頑張ってるのは認めるけど、優等生ってそう言うことじゃないでしょ。
だって、私みたいな子のこと、みんなは「優等生」だって言ってるよ。
くわっと大口を開けてあくびする真壁先生に、私は疑問符と苛立ちが隠せなかった。祐美ちゃんは相変わらず走ったり飛んだり。ハッとするような動きはない。それが彼女っていう人間だと、私は言いたかった。
でも言えなかった、だって私は優等生。そんな毒を吐くようなこと、間違っても先生には言わない。そういう卒のないのが「いい子」ってもんじゃないの?
真壁先生はそんな私の困惑に気がついた様子もなく、「吉原も一緒に練習するか?」と聞いてきた。今まで普通だと思っていた先生は、実は空気が読めないらしい。私は「勉強があるから」と言ってすぐに首を振った。真壁先生は近所のおじちゃんみたいな適当な返事をする。
あーあ、来て損した。その時そう思った私を、今ならきっと殴ってる。
「頑張れよ、問題児」
ほとんど体が校舎側へ向いた私に、先生はそう言ってた。振り向く。先生と目が合う。私は逃げ出すように走った。聞き間違いでは、ない。
それからよ、ガタガターって私が崩れていったの。聞いたばっかりの時はさ、あんな言葉なんでもないよって思ったんだけど、あの時の真壁先生のしたり顔がいつまで経ってもへばり付いてくるから仕方なかったんだ。
大学生になる頃にはもう、すっかり優等生じゃなくなってたよ。別にそれまでの私がなくなったわけじゃないから、特別な力が生まれたり芸術に目覚めたりはしなかったけど。本が好きだったことだけは思い出したかな、だから地元の無難な経済学部をやめて東京の文学部に入ったの。
私が中高生の時にはまだ「オタク」ってのが市民権を持ってなくって、ちょっと漫画やアニメが好きって言っただけでそれこそ魔女狩りみたいだった。まさに迫害対象、頭のおかしい奴だって目で見られてた。今じゃ若い子のほとんどがネットで動画見てアニメ見て、それが当たり前になってるのに不思議なもんだよね。
本が好きってのももちろん同じだった。しかも携帯小説や話題の恋愛小説じゃなくって古典が好きだなんて、気取ってるか頭おかしいかどっちかだって思われてただろうね。私が急に教室で文庫広げ出した時は、陸上部のエースで親友だった友達に「ダッサイ真似してどうしたの?」って言われた。笑えるよね。
でも世界が広がると面白いもんで、大学に入ったりネットの中に飛び込んでみると、自分より変な人ってたくさんいるんだ。あ、悪い意味じゃないよ。私よりも本が好きでたくさん読んでて、なんでも知ってるんじゃないかって思うほど物知りな女の子が年下だったり、うんと年上でも本なんて数十年間読んでないからお勧めが知りたいって素直に言えるおばあちゃんとか。
そういう人がいくらでもいるの。真壁先生のしたり顔が、そう思った時により一層の鮮明に見えてきて、心なしか実物よりも楽しそうに笑ってた。
あれ以来先生に会っていないのかって?会ってないよ、同窓会するほど活発な学年でもなかったし。いや、もしかしたら私が呼ばれてないだけかもだけどね。急に趣味が変わったり、勉強頑張り出したりしたから。自分でもわかりやすく浮いてたと思うんだ。
でも別に後悔とかは全然なくって、むしろあの頃の私に教えてあげたい。あの頃に私が思ってた優等生って全部「我慢すること」だったんだって。浮かないように、目立たないように、変に思われないように。それができたら優等生だって思ってたの。心の中では人のことを小馬鹿にしてた癖にね。
でもそうじゃなかった。私はひねくれ者で、天邪鬼で、良い子ぶろうとする。そういう部分を隠さなくなったら、少しずつ楽になった気がするの。そりゃ最初は怖かったけどね、そうしている方が楽だってわかったら怖いのも「仕方ない」って思えるようになった。
もう会うことはないだろうけど、もしも今後ばったり会えたりするなら聞いてはみたいかな。「どうして私が問題児だってわかったんですか」ってね。自分でも気がついていなかったことに、真壁先生だけが気が付いてた。それが私をどれだけ救ったか。
あのまま成長してたら斜に構えたガキが斜に構えた若者になって、聞き分けだけやたらと良い無個性の社会人になってだろうなぁ。それってある意味で「問題」だと思わない?反抗するだけが、わかりやすく落ちこぼれてることだけが問題じゃあないんだよ。
それに気が付くのに私は五年かかったけどね。大抵の言葉は後から響いてくる。これは教訓。
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お読みいただきありがとうございました!
エッセイと呼ぶべきか小説と呼ぶべきか、なんとも言えない作品になりました。自分の体験を話すって難しいですね。
今日はよく眠れますように。