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【短編】パンダにも理由がある。

パンダとしての人生を全うすべく、わたしは日夜研究に励んでいる。

自分がパンダだと気がつくまでに、随分と時間がかかってしまった。わたしは人間の手によって取り上げられ、人間に囲まれて育ったせいで長いこと自分を人間だと信じ込んでいた。

今にして思えば、人間たちとわたしとでは大きな隔たりがあることにも、恥ずかしながら気付かずにいた。人間は二足歩行なのに歩くわたしの足は四本で、肌がスベスベなのも足の裏くらいなもの。

違いが明らかながら自分がパンダだと知らなかったのは、本来親から子へ脈々と受け継がれるべきパンダ道なるものがわたしにはなかったからに他ならない。

アヒルの子が始めてみた動物を親だと思い込むように、わたしも始めて見た人間を将来の自分の姿だと認識してしまったのである。その時は身体中を覆うむくむくの毛が、いずれ全て抜け落ちるかも知れぬことに痛く恐怖したものだ。

だが人間の使う通信機器で初めて同種の姿を見たとき、確信した。これが本来のわたしの姿であり、望まれる振る舞いであると。

それからは昼夜問わず研究の日々が続いている。本来なら親から学ぶところだろうが、わたしは孤高の一匹パンダ。一挙手一投足すべてにおいてパンダらしく、至極真っ当な仕草を身につけられるようにと思うと、気が抜ける時間などない。

パンダ道は思いのほか辛く厳しいものだった。まず人間として生きてきたわたしには、身体を丸めて愛らしくコロンと転がるのが難しい。また木登りどころか、人間が設置した緩やかな階段式の遊具すら使いこなすのに時間がかかったものだ。

唯一できることがあるとすれば、通信機器で初めて見たパンダがしていたように、青々とした葉をむしゃりむしゃり食べることくらいだろう。不甲斐ないが人間として生きてきた時間がわたしの足を引っ張っている以上は仕方がない。

だが人間ほど寿命の長くないわたしには、あとどれくらいの時間が残されているかもわからない。パンダとして生を受けたからには、それらしい振る舞いをするのが動物の役目であり、一種の幸せでもあろうと思う。

これからも威風堂々パンダと名乗れるよう、研究を続けていく所存である。


✳︎


「最近ね、パンダが頭を地面につけて転がろうとするの。でもネットでも本でもそんな仕草載ってなくって」

「へぇ、もしかすると自分のことパンダだと思ってるのかなぁ」

「あぁ、この間テレビでやってたパンダの赤ちゃん特集の番組、いやにじーっと見てたもんね」

「初めて仲間にでも出会ったような顔してたよ」

「なにそれ、可愛いね」

「ね、本当に可愛いよ、うちの"モルモット"は」


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七屋 糸
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