キキタリナイ。#2000字のドラマ
好きなやつが恋人と別れたらしい。
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「やっべぇぇぇ、死ぬ死ぬ死ぬ!」
「おい! 一旦逃げて回復、」
言い切らないうちにフラットを含んだ爆発音が鳴り、三上が死んだ。今日だけで三上は3回、俺は2回死んでいる。
画面に「YOU DIE」の文字が映し出されると「だーっ、もう勝てねー!」と痺れを切らした声がイヤホンから漏れ、俺も息をついてコントローラーを置いた。
「攻撃するだけじゃなくてちゃんと防御もしろよ」
「えー、俺がそういう器用なことできないって知ってんだろ」
「それにしたって突っ込みすぎ」
「なんだよ、薫だって今日は2回も死んでるくせに」
自慢の盾はどうしたんですかー? と切り返され、黙ってコップの水を飲む。家にひとりでいても、ネット回線を通じて三上の声が聞こえるとやたらと喉が渇く。
「でも真面目に、あんまり集中できてなくね? て、俺も人のこと言えねーけど」
一段低くなった声を電子機器が生々しく拾った。あとに続く言葉を想像して、鼓動が長針と同じ速さで鐘を打つ。
「この間、彼女と別れちった。かまってくれないから嫌になったんだと」
「…そうか」
「たしかに課題とかバイトとか、薫とゲームとかで全然デートしてなかったし、そりゃ嫌にもなるよな」
三上が自嘲気味に笑った。
一度だけ、三上と彼女が一緒にいるのを見たことがある。
大学の図書館で隣り合って座る一組の男女。片方はすぐに三上だとわかったけど、彼女のほうはおそらく別の学科のやつ。
柔らかそうな髪の背の低い女の子だった。顔を寄せ合って同じ本を覗き込み、ときどき肩が触れる。となり合うふたりの向こう側の空が青くて、大学生のくせに健全な春らしかった。
恋人と別れたからって自分にチャンスがくるわけでもないとわかっていても、いざ目の前にすれば御託は並べられなくなった。
この気持ちは好意というよりも焦燥感に近かった。なのに三上があげた理由のなかに自分がいたことに舞い上がる。
長針が走るように夏を追い越し、想像しないようにしていた未来に気がはやる。もしも付き合えたら、なんて、
「落ち込んでんのか」
「いんや、そんなに。てか俺に落ち込む資格なんてないだろ」
手元のコップがわずかに振動する。「YOU DIE」と表示したままだった画面が時間切れで次へ移っていた。三上の口から「資格」なんて言葉が出てくるとは思わなくて少し戸惑う。
「”かまってくれない”なんて、努力すればいくらでもどうにかできたのに」
「どこのカップルでもよくあることだろ、そんなん」
言葉が歯切れ悪く舌を滑り落ちる。冷房をつけているのに背中に汗がにじむ。これは慰めじゃない、ただの保身だ。
しかし三上は一拍おいてから、そして針が落ちるように言った。
「でもあの子は、俺を好きになって1個不幸になったんだ」
画面の中央で矢印だったものがくるくる回る。静かになった部屋は遠くで喚く蝉の声がやけに鮮明に聞こえた。
たとえば俺と三上がくだらないことばかり選んで話す夜、あの女の子が泣いていたとして、悪いのは誰なんだろう。誰かを好きになることが別の誰かを不幸にしていた。
今、三上はどんな顔をしているだろう。ほとんど毎日話しているのに、イヤホンでつながった先の世界を想像できなかった。落ち込んでないって言ったって、お前の声はいつももっと明るいじゃないか。
「あ、わり。飲み物切らしたからちょっと買ってくるわ。10分くらいで戻るから」
「…どこだよ」
「どこってコンビニ」
「俺も行く」
ワイヤレスのイヤホンをつけたまま脱ぎっぱなしだったジーンズに履き替える。三上が慌てた声を出した。
「コンビニって俺んちの近くのだぞ!?」
「知ってる」
「は!? お前んち二駅離れてるだろ、今から来たら終電なくなるって」
「いい、二駅くらい歩ける」
ちょ、ちょ、ちょ、とぶつ切りの言葉を聞こえないふりしながら、くたびれたTシャツも脱ぎ捨てた。
「ちょ、マイクつけたまま着替えただろ、耳がゾワゾワする」
「もう家出るから切るぞ」
「薫っていつもは冷静なくせに時々ぐわーってなるよな」
「ぐわーってなんだよ」
「情熱的っつーか、愛っぽい感じ?」
なにそれキショ、と言ったら三上が笑って、結局最寄駅で落ち合うことになった。
ツーツーと通話の切れる音が鼓膜をくすぐる。窓を閉めたのに、諦めの悪い夏がしぶとくまとわりついてくる。
三上を好きになって、不幸になったことなんてなかった。胸が締め付けられることも、息ができないほど痛いこともあるけど、不幸なことは1個もなかった。でもかまって欲しくて、あいつの声が足りなくて苦しいことだけは、俺にもわかる。
あーあ、失恋の傷につけ込んでやろうと思ったのに。
「………好き」
これが情熱というならずいぶん浅はかだし、愛だというなら回りくどすぎるだろう。
2度、ゆっくり深呼吸をする。長針が12時の位置に立ち止まって、世界も止まる。吐き出した焦燥感の代わりに、"三上の友達”の自分を首根っこ掴んで引っ張り出した。
今夜は特別暑くて騒がしい夜がいい。コンビニまでの二駅がありがたくて、もどかしかった。
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