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ウマ娘の映画と物語のロジック【※新時代の扉ネタバレ有】


はじめに

さて、この駄文を読み始めた皆様。
『ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』は当然ご覧になっていますよね?
本当に一人も居ないとは思いますが、もしまだ見てないという人は今すぐチケット取って見に行って下さい。
以下の文章はネタバレだらけの、かなり本編の内容に突っ込んだ話となります。
それでは始めましょう。

■ヒーローズ・ジャーニー理論

ヒーローズ・ジャーニー理論。この概念は昔、某けものの擬人化アニメを追ってた時に知った知識ではあるのですが、
これは神話や昔話といった物語を研究して発見された、普遍的なパターンのことです。
有名な所では、『スター・ウォーズ』なんかもこの理論が下敷きになっているのですが、
新時代の扉もこれに沿うように作られて居るなと感じたので、簡単にまとめておこうと思います。
全文細かくとはせずに、自分の読み取れた部分だけをいくつか書き出して行く形でいきます。

1.日常の世界

これは冒頭、開始直後からOPまでがそれに当たります。
フジキセキのレースをみたジャングルポケットが、そのままトゥインクルシリーズへの参加を決意します。
ここでまず上手いなと思ったのが、OPを挟んで入学からデビュー戦までを全てダイジェストで飛ばしている所です。
TVシリーズは長い尺が取れるので、学園を日常とし、デビュー戦やGⅡ以下を次の項で話す試練として描くことができますが、
110分強の映画で尺も取れませんし、無理に入れるとこの理論の流れに乗せられません。
なのでレース自体をバッサリ切っていますし、ジャングルポケット自身も試練であると全く受け取っていない描写を入れてきます。
ホープフルステークス直前、ポッケくんは自分の勝負服見て浮かれてたり、フジさんにリボン結びなおしてもらってたり、
滅茶苦茶調子に乗ってる言動しましたよね?アレです。
トレーナーにもフジさんにも甘えている姿は、完全に子供として多分意図的に普段より更に強調して描かれています。
余談にはなりますが何が凄いって、実馬をキャラに落とし込んだ時にこの性格でもあんま違和感ないってのが……。

2.最初の境界の越境~試練への道

さて、そんなポッケくんに開始早々最初の試練が訪れます。
アグネスタキオンと対決するホープフルステークスです。
先ほども言いましたが、ホープフルステークス直前のポッケくんは浮かれているのです。
この時点ではまだ日常の中にいます。
ですがタキオンとの最初のレースで非日常の世界であるクラシック戦線へと足を踏み入れ、
そして最初の敗北を経験します。
ここから暫くは、タキオンとの戦いという苦難と向き合うことになります。
そして皐月賞です。
ここでタキオンに連敗するのがポッケくんにとっての試練となります。
凄い走りでタキオンに圧倒され、完全敗北します。

3.神格化

さて、ここで普通なら特訓を積んでタキオンに勝利……としたい所です。
ですが映画を見た人や史実を知ってる人は思うでしょう。
「タキオンは皐月賞で引退だから勝てないのでは?」と。
そう、試練の先の神格化を単純にライバルへの勝利には置けないのです。
そこで別の史実を組み合わせることで、この神格化を達成することになります。
ここで出てくるのがチーム・フジキセキの悲願、日本ダービーです。
クラシック戦線の中で、フジさんもトレーナーも、日本ダービーに出走して勝利することをポッケくんに託します。
これは確かに史実でそうだというインタビュー記事もありますし、
ウマ娘や競馬に少しでも触れていれば日本ダービーがそれだけ特別なレースであることは理解できると思います。
ですが、それは史実だから、レースが特別だからというだけでなく作劇においてもこの中盤付近で1つ上の次元に上がる、
GⅠウマ娘になることが作劇の観点でも大事になるのです。
そしてその最大の壁として立ちはだかるのが、同じくアグネスタキオンの残光を宿すダンツフレームです。
これはただの感想なのですが、ここが折り返しで前半の山場なので、レース演出も凄く気合入ってましたね。
……それにしてもマジでなんなんだこの馬……生まれ持っての主人公じゃん。

4.終局の報酬~呪的逃走

はれてGⅠウマ娘になったポッケくん。さて、ここからは勝者として快進撃を……とはなりません。
ここから暫く、ポッケくんは帰れなくなります。
彼女は『アグネスタキオンの残光』に囚われて、力が発揮できなくなってしまうのです。
英雄となったはずの彼女が、ずっと暗い表情をし、幻影の自分に足止めされ、それまで傷一つなかったプリズムに傷が入り、
自分の遥か後ろを走っていたはずのマンハッタンカフェにすらいつの間にか負けている。
なんなら時系列シャッフルすらも挟まり、今自分がどこに居るのか完全に見失い、そして走る意欲すら失いかけます。
本作では現実からの逃避とは、恐怖と本能からの逃避という形で描かれているのです。

5.外界からの救出

ここまで落ちてしまったポッケくん。こうなると誰かが外から彼女を救ってあげなければなりません。
そこで誰が手を差し伸べるのは、戦場たるトゥインクルシリーズの外に居ながらも、同じ本能を持つ人物が最適でしょう。
そう、フジキセキです。
あの朝のレース場で再び共に走ることで、ポッケくんは再び本能と向き合う覚悟を決めます。
そしてあのジャパンカップへと向かうこととなるのです。
余談ですが、私はここの朝にフジキセキとジャングルポケットが一緒に走るシーンがこの映画で一番好きなシーンです。
レースの迫力というだけなら日本ダービーのシーンの方が上だと思いますし、
物語の最後に走るレースとしてはジャパンカップの演出はこれ以上なく盛り上がる完成度だったと思います。
でもここの、プリズムをポッケに投げ渡してからの二人の並走の流れはBGMも相まって本当に完成度の高いシーンになっていると思います。
このシーンもあって、私の中のフジキセキ株は完全にストップ高となりました。
後数回は見る予定があるんですが、こんなのを劇場で浴び続けていたらそのうちポニーちゃんになってしまうかもしれません。
サイピクさんは責任もって私の最推しのナリタブライアンのストーリーも映画化してください。

6.帰路境界の越境~二つの世界の導師

さて、最後の帰還にあたるのがジャパンカップです。
序盤からその存在が提示された世紀末覇王、テイエムオペラオーが最後の壁として立ち塞がります。
ですがここで帰還と言われてもピンとこないかなと思う人も居るかもしれません。でも私はここはそれに当たると確信しています。
それはポッケくんの戦う相手が『アグネスタキオンの残光』から、『今共に走る全てのウマ娘』に戻っているからです。
ここは5の要素も少し入っていると思いますが、最後のレースでポッケくんはトップロードの、ドトウの、オペラオーの、そして他の数々のウマ娘達の「勝つんだ!!」と言う叫びを聞いて、自分の幻影を打ち破っています。
彼女たちは倒すべき敵で超えるべき壁でもあるのですが、同時に共に高めあう仲間でもあるのです。
そしてもう一人。
ここでアグネスタキオンをも救う事になります。
ずっと立ち止まっていた彼女が再び走り出す事で、ポッケくんは勝利の栄光と同時に、最高の仲間でライバルを取り戻すことになるのです。

7.生きる自由

ウマ娘にとってレースは非日常ですが、レースのある日々というのは日常のワンシーンです。
そして、人々に感謝を伝えるイベントのウイニングライブも、特別ではありますがお祭りの様な日常のワンシーンと言えるでしょう。
タキオンが戻ってきて、共にレースを走り、ウイニングライブをする。
そんな走り続ける彼女達が日常の中に戻って行って、物語は幕を閉じます。
最後に有馬記念走れよ!というツッコミもちらほらと聞かれましたが、史実面だけでなく作劇上でもあそこにレースを入れるのは野暮なのです。

■シンボルの持つ力

もう一つ、作劇にはシンボルと言う要素がある。
これは、演出でその人物の内面や性質を表すものだ。
それについても軽く触れたいと思う。

1.プリズム

さて、感想をちらほら見てると「プリズムって結局なんだったんだよ!」と言う感想もちらほら見かけた。
結論から言えば、あれ自体には物語上は意味は無い。けれども、アレはジャングルポケットそのもののシンボルなのである。
最初は透き通ったプリズムだが、弥生賞のフジキセキの走りを見たときには、沢山のフジキセキが映り込む。ここは完全にフジさんの走りに魅了されたという事を表している。
そして空に投げた輝くシンボルを掴む所から物語は始まる。
輝かしい未来の象徴だ。
そしてこの後もプリズムはポッケが前を向いている時は奇麗に輝き、落ち込んだ時は光を失う。
そして、ポッケくんが完全に迷っている時には落ちて傷が付き、挙句置いて行かれるのである。
恐怖に怯え傷付き、自分を見失っていることの象徴なのである。
フジキセキが投げたプリズムをポッケが受け取るのも自分を取り戻す事の象徴だし、ジャパンカップの時にもまた強く輝いていた。
そして最後に投げている時は透き通っている状態になっている。
この時は暗いと言うよりも透き通っている印象が強く、日常に戻ったという象徴にもなっている。
こんな感じで、プリズムの状態を見ればポッケがどんな状態かを理解できる作りになっているのである。

2.タキオンとカフェの部屋

プリズムはポッケの持ち物だが、同じ演出で登場人物の心情を表しているものがもう一つある。
アグネスタキオンの研究室の窓辺に吊り下げたプリズムだ。
タキオンの心がレースに惹かれている時、プリズムは輝いている。
一番わかりやすいのは、ジャパンカップ前のポッケが並走を頼みに来たシーンだろう。
あそこで強く輝き、そして蓋をする様にカーテンを閉めるシーンは、レースに出たい気持ちに蓋をするタキオンそのものなのだ。
だが、気持ちを表しているのはプリズムだけではない。
光を失って、それでもなおカフェやタキオンの私物が輝くあの部屋こそが、アグネスタキオンの心情そのものなのである。
蓋をしても、内なる光は常に輝いているのだ。
そして、部屋はタキオンが悩み、気持ちを抑えるシーンではだんだんと汚くなっていくが、最後に部屋を出る時には少し奇麗になったように見える。
最後の決心はジャパンカップになるが、あの部屋を出た時点でまた走る気持ちは生まれていたのだろう。

3.瞳の先に映るもの

もう一つ、キャラクターを象徴しているものが瞳だ。
この映画では、ウマ娘達は走りたい衝動に駆られるシーンに合わせて瞳が輝くように描かれている。
レース中のデッドヒートに放たれるあの輝きもそうだが、他にもいくつか見受けられる。
フジさんを見つめるポッケくん、お友達を見ている時のカフェ、ダンツとポッケのデッドヒートを見るフジさんの目も、一瞬輝いている。
逆に、徹底して目に光が入らないようにしているキャラがアグネスタキオンだ。
もし次に見るのなら、キャラクターの眼……特にタキオンの眼に注目して欲しい。
瞬きもせず、常に見開いた眼をしているにもかかわらず、他のキャラの様に瞳に輝きが宿るのは本当に最後の最後しかないはずだ。

■キャラクターの考察

ここからは各キャラクターについて私自身が感じたことを、単純にまとめておく。ほとんどただの感想文だ。

1.ダンツとカフェ

今から変なことを言うが、ダンツとカフェはこの作品における「普通のウマ娘」の役を担っていると思う。
ダンツはともかくカフェは違うだろ、とか思われるかもしれないが考えて欲しい。
彼女達はほぼブレないのだ。カフェなんて一切ブレずにマイペースを貫いている。
ライバルとして立ち塞がってはいるが、怪我したり躓いても自分なりの目標に向けて自分なりのペースで向かうのがウマ娘と言う生き物なのだと、この二人が示しているのだ。
カフェは演出面では割を喰らっては居ると思うが、ちゃんと居ないといけない役割はあるのだ。

2.タキオン

タキオンはこの物語の裏主人公だろう。
おそらく、全体の流れのベースになっているのは「マンハッタンカフェシナリオに出てくるアグネスタキオン」だ。
自分で走ることを諦め、他人に託して、その託した他人の走りを見て再び走り出すと言う流れは完全に一致している。
正直、初見の時ですら日本ダービーのシーン辺りで「私"だけ"は無いのかぁぁぁぁ!!」って叫ぶんじゃないかとちょっと思っていた。
タキオンに関してはもう一つ、彼女のレース鑑賞は本当に印象に残った。
有馬記念ではカフェを誘う位で、完全に研究と言うより見物と言った風体だが、それが菊花賞は食い入る様にカフェの走りを見ていた。
もう自分は走らないのに、だ。
そして最後にレース画面と共に映るシーンでは、もはやタキオンは画面を見ていない。外で練習する生のウマ娘達に視線を送っているのだ。
それに合わせて足の動きも、プラプラとさせて地に足がついていない状態から、段々としっかり足を付けて、小刻みに震えているものに変わっていく。
口ではレース結果に興味は無いと言っていたが、内心では結構早い段階から走りたくて疼いているのだ。

3.フジさん

フジキセキは最初はまるでポッケくんの姉の様に描かれていた。
レース前にリボンを結びなおしてあげる所や、祭りに同伴しているシーンは完全に姉である。
だがポッケの成長を経て、フジキセキもまた走り出し、最後にはライバル宣言まで飛び出す。
未来のレースがどうなるかは分からないが、恐らくはあの後フジキセキも戻るのだろうと感じさせてくれる。
あのレース前の下りは意図的に同じようなシーンを重ねているので、変遷も分かりやすくてとても良かった。

4.世紀末覇王

オペラオーはラスボスだが、今回の物語ではかなり出番が少なかったように感じる。
それはそうだ。何故ならラスボスは最強と言う名の『アグネスタキオンの残光』だからだ。残光をまとうための実像としてしか、この物語ではオペラオーは求められていない。だからこそ、最強と言う肩書以外は不要だし、それ以上を求められていないのだ。
そしてオペラオーの物語にとってもそれは同じで、ジャングルポケットの方がお客様なのだ。
オペラオーの求める役者は、ナリタトップロードであり、メイショウドトウなのである。
だからあの「騎士達よ!!」と名乗りを上げるあの台詞はジャングルポケットに向けられていない。ちゃんと対峙して聞いていたのは、トプロとドトウの二人だけである。
もちろん、それ以外のウマ娘がどうでも良い訳ではない。
それはレース中の「高めたまえ!!」と言う台詞が表している。
だけど、ポッケくんにとってのタキオン・ダンツ・カフェの様に、特別なライバルはトプロとドトウ、そしてアドマイヤベガだけなのである。
別の主役同士が鉢合わせ、ぶつかり合っただけなので、オペラオーにこの話では語るべき事は無いのだ。

もしも運良くまだRTTTを見ていないと言う人が居れば、是非RTTTも見て欲しい。
私の言った事の意味を少しは感じ取ってもらえるはずだ。

■おわりに

映画を見た勢いだけで書いたが、この作品は素人が見ただけでもこれほどまでの要素が詰め込まれているのだ。
ただ走るだけの作品がどうして面白いのか、と言う意見も見たが正しくは違う。
ただ走るだけの作品が面白くなるように、極限まで膨らませ、削り、磨き上げているのだ。
私のこの駄文も、もしも誰かの「もう一度劇場で見よう」と言う原動力になれば幸いである。

■参考文献

最後に記載の際に参考にしたサイトと、あえてこの考察の元になった動画を付けておきます。
ただ、この動画についてはネガティブな部分ではなく、ポジティブな部分を参考にさせてもらったことを明記しておきます。
この文章が動画の作者さんの目に止まる事は無いと思いますが、貴方達の呪いの先にあった願いを、少しだけでも形にできていればと思います。

・小説を書くときに知っておきたい「ヒーローズジャーニー理論」とは

・【ウマ娘と名馬】ジャングルポケットが繋いだキセキの物語

・【けものフレンズ】千一番目の英雄としてのかばんちゃん【ゆっくり解説】

・【けものフレンズ2】シンボルの持つ力についての考察【ゆっくり解説】


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