『おきざりにした悲しみは』(原田宗典)を読んだ。
わたしの大学時代を支えてくれた作家は3人いる。
ひとりはエイミーこと山田詠美。ふたりめは町田康。そして原田宗典だ。
エイミーと町田氏はいまでも年1冊くらいのペースで新刊を発表したり、文芸誌で名前をよく見かけるが、原田氏は両氏に比べるとそのような機会が減ってきた気がする。それでもたまに氏の名前を書店で見かけると10代のわたしがこころの中で「イヤ〜ン、ムネノリ〜❤️」と騒ぐのだった。
高知で生まれ育ったわたしは大学進学で岡山に出た。ひとり暮らしをはじめたばかりの頃はホームシックでよく泣いていたが、学校にも土地にも慣れてきたあるとき、書店でなんとなく原田氏の文庫本を購入した。氏の存在は知っていたが作品は読んだことがなかった。氏への興味というより「解説がエイミーだ!」という理由で買ったその文庫は『十七歳だった!』。
そこからはエッセイを中心に文庫本を買い漁り、新刊が出るたび書店に走った。岡山で開かれた「原田宗典アワー」も観にいった。勉強のことで落ち込んだり、天気が悪くて頭が痛かったり、恋人とのすれ違いがあったりした時もムネノリのエッセイを開くとそういうゴタゴタも時間も忘れられた。彼の「トホホ」な脱力エピソードを読むと「なんかもうちょっとがんばれそう」と謎に元気をもらえた。
前置きが長くなった。
上でも書いたが、新刊コーナーや文芸誌で名前を見かける機会の減った原田氏。しかし、先日駅ビルの内の書店をぶらぶらしていたら新刊コーナーで氏の名前が目に飛び込んできた。「わ!まじか!」と手に取り最初のほうを少し読んでみる。よく知っている駅名が出てきて一気に文字だけの世界がリアルになる。文字から伝わる情報に色がつき音がつき空気を感じる。
最近忙しいをいいわけになんとなく読書から遠ざかっていたけど、これは買って読もう!と迷いなく購入した。
家に帰ってから読みはじめたらもうほぼ一気だった。特に知っている場所が出てくると、おお、わたしここ知ってる!と興奮した。もうダメか?これは詰みか?と思うような展開があるが、土俵際追い詰められたところから、おお〜!と声をあげたくなるようなミラクルが重なるのが気持ちいい。
物語は主人公の現在と過去を行ったり来たりしながら進む。老いや貧困、何者にもなれない足掻きを低音パートに、それに乗って主人公たちの人生が不器用ながら鮮やかに回り出すのも読んでいて気分がよかった。現実はこんなふうに上手くは展開しないかもしれないけど、それでもこんなふうに思いもよらない方向から道がひらけることがあるかもしれないとありきたりだけど希望が湧いた。
わたしは大学時代に二度、生原田氏に接したことがある。もう20年も前の話だ(自分でも書いててびっくり!)。はじめてサインをもらったのは、岡山のシンフォニービルのガレリアだった。そこで、夕方のローカル番組の公開生放送があり、氏がゲストで来ていた。生放送が終わりベンチに座っている氏の前にはわたしと同じようなファンが自然と列になった。決してぐいぐいするようなことはなく控えめにらちょっと不安げに。前に並んでいた男性が「並んだはええけど(サイン)もらえるんかな?」と聞いてきてびっくりしたのをおぼえている。わたしは「わからんけど、もらえたらええですね」とかなんとか、曖昧に笑って答えた。
心配とは裏腹に、原田氏は気さくに並んだファンたちのサインに応じた。ひとり、またひとりと氏にサインしてもらっている。氏との距離が一歩、また一歩と近づくごとに、これからステージに上がって1人で歌でも歌うんか?というくらい緊張した。
上がりに上がりまくっていたわたしに対して原田氏は「こんにちは、おなまえは?」と声をかけてくれた。なんだか小さい子になった気分で照れくさかった。「(フルネーム)です」と答えたら、下の名前に「ちゃん」を付けて筆ペンでサラサラと為書きしてくれた。「ちゃん付け」の親しげな雰囲気にわたしはめちゃくちゃ舞い上がった。
最後に落款を押したとき、「あ、ごめんね。失敗しちゃった。もう一回押していい?」と尋ねられ氏の仕草を眺めてぽーっとしていたわたしは驚いて、黙ってただただ頷くしかなかった。赤べこ。
「よし、大丈夫!」と原田氏は顔を上げて「ありがとうね」とその大きな手でわたしの手を握ってくれた。そのとき、「ああ、この手であのおもしろい文章を書いているんだ」と胸が熱くなった。そして、眩しそうに目を細めて、ちょっとはずかしそうに笑みを浮かべた表情がいまでも忘れられない。20年経っているから、多少の美化は入っているかもしれないが、おもいではそうやって時々思い返しては大切に磨いていくものなのでもうわたしの中のムネノリとのおもいではそりゃもうピカピカのキラキラである✨
そのときの原田氏のまなざしのようなあたたかさがこの物語には宿っていると思った。
登場人物たちにどんな未来が待っているのか、もう少し見たい気もするけど、きっとどんなことがあっても乗り越えて、切り抜けていけるだろうなあと思う。お人よしで、頼りないようでいていざという時とっても頼もしくって、なんだか原田氏のイメージそのものって感じだ。