ダミアン・ハースト展 所感:近代絵画へのオマージュと現代美術からの脱却
穏やかな絵?
SNSでダミアン・ハースト展の広告が流れてきた時には、ものすごく穏やかな絵を描くようになったんだな、とびっくりした。でも実物を見てみると、穏やかとは程遠い荒ぶった筆致で、パワフルで、その点では良い意味で期待を裏切られた。
ダミアン・ハーストといえば新しい素材や技法を制作に取り入れてインパクトを生み出す現代美術家というイメージだったが、今回は技法的には新しいものではなく、むしろわざと伝統的な手段を用いているという印象を受けた。絵画史へのオマージュと再構築といった様相。
※ダミアン・ハースト 桜:国立新美術館にて2022/3/2-5/23まで開催
近代絵画へのオマージュ
館内で上映されていた動画でも語られていたが、印象派やジャクソン・ポロックらの手法を踏襲しているようだ。(この動画は公式サイトでも見れるらしい)
この連作自体モネの睡蓮を思わせる。桜の幹の形は、円山応挙あたりが描く水墨画みたいだな、とちょっと思った。
つまり、いろいろな過去の巨匠の影は見え隠れするのだけれども、ずば抜けて真新しい点は見当たらなかった。
新しさは無いけれども…
新しさは無いのだが、あのダミアン・ハーストがこの展示をやった、というところに驚きがあるし、美術史の新しい局面が開かれつつある希望を感じた。
新しい素材、新しい技法、人々をあっと驚かせるインパクト…それらは現代美術と呼ばれる領域で最も重要視されているように思う。過剰にオリジナリティを追求しなければならない業界だ。その代表的な作家のひとりが、ダミアン・ハーストだ。
これは私の個人的な感想だが、痛み・苦しみ・悲しみ…などネガティブな感情は大変なインパクトをもたらす。それらを作品化すると効率的にインパクトが出せてしまう。そのため、オリジナリティを求めるあまり、現代美術界隈では表現がどんどんネガティブな方向にエスカレートしてしまったように思う。
もちろんポジティブな感情を作品化する作家も居る。しかし、新しさとインパクトを追い求めなければいけない、という現代美術の呪縛から逃れることは難しく、ネガポジがひっくり返ったところで、同じ穴のムジナである。
現代美術からの脱却
2001年9月11日のテロを境に現代美術は変わった、という言説を読んだことがある。新しさ・インパクトを過剰に追い求めていたところに起こったのが、アメリカ同時多発テロ事件である。あの破壊行為を作品と言うことは決して出来ないが、これ以上無いほどセンセーショナルな出来事を突き付けられたことで、果たして自分達がひた走っているこの方角は正しいのだろうか?行き着く先は、作品と呼べるのかどうかも分からない、ただただ絶望的な風景に過ぎないんじゃないか?オリジナリティって何?と立ち止まるきっかけになったんじゃないかと思う。
そしてそんな現代美術の中心にいたダミアン・ハーストが何年もかかって辿り着いた今回の桜が、9.11に対してのひとつの答えなのかもしれないと思うと、計り知れない重みがある。現代美術からの脱却である。
9.11直後にすぐさま美術業界が変化したわけではなく、今も相変わらずセンセーショナルな表現で溢れている。しかし、20年以上の時間をかけて、ゆっくりと確実に時代が変わってきているのだと思う。
オリジナリティの追求を否定するわけではなく、過剰さにブレーキをかけて、人としての自然な情動に今一度向き合う・肯定する。なんだかルネサンスを思わせる動きだ。まだまだ商業主義からは開放されそうにないけれど、オリジナリティ神話からは少し開放されるかもしれない…。
懐古趣味とは一線を画する次世代の絵画
ダミアン・ハーストの桜は、作品の内容としてもとても良かった。表現の喜びと自然の美しさをストレートにぶつけてくる爽快感が気持ち良い。壮大なオリジナリティの物語を描くことをやめたかわりに手に入れた開放感なのかもしれない。コンセプトを説明するための添え物のような作品ではなく、絵画とはこういうものである、という堂々とした風格を感じさせる作品である。
技術面では、近代絵画の手法をただ踏襲するだけでは懐古趣味になってしまうが、そこに作品の巨大さとペンキのようなあっけらかんとした発色が加わることで現代的な印象になっているように感じられた。
さらに商業的にもきちんと成立させることで、現代美術的な側面も持った絵画作品群になっている。全作品、「個人蔵」とキャプションに書いてあった。つまり完売してるってことだ…あんなにでかくて置き場所苦労しそうな作品なのに全部売れたのか…スゴイ。
そして、これは日本独特の風景なのかもしれないが、来場者がまるでお花見みたいに作品の前で記念撮影をしていた。Twitterを見たら、推しのアクリルスタンドと一緒に撮影している人もいた。今時の美術館エンタメの形のひとつだなー、と思った。
まとめ
ナンバーワンよりオンリーワン、という言葉が流行ったのは何年前でしたっけね?あれから時が流れて、現代美術に限らず、生活の様々なところでオンリーワンがインフレしすぎた感じはある。現代に生きる私達には「オンリーワンで居なければならない」という呪いがかかってしまっているのかもしれない。
ダミアン・ハーストの桜は、その呪いに苦しんだ作家の集大成とも言える作品なのかもしれない。(実際に苦しんだかどうかはわからない)
過剰なまでにオリジナリティを追い求めてきた現代美術に疲れてしまった人はもちろん、現代の生活にちょっぴり疲れてしまった人にもオススメしたい展覧会であった。
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