「民藝の100年」所感:民藝と量産品
東京国立近代美術館で開催中の「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」を見た感想を綴っていく。
民藝運動はなんとなく知っている、程度の前知識で展示を見てきた。見終わった今も、理解しているとは言い難い状態なので、多分に個人的な主観や想像が含まれた状態で書いている。
民藝運動はカウンターカルチャーだった?
まず展示を見て最も強く残った印象として、民藝運動とは、当時としては前衛的で結構トガッた活動だったのだなということだ。
展示を見る前は、民藝運動とは「古き良きものを愛する」「日本各地の伝統工芸・手仕事を大切にする」といった、どちらかというと保守・保存に重きを置いたイメージを抱いていた。
民藝運動=保守ではなかった
ところが、展示の解説を読んでいるうちに、そのような印象が随分塗り替えられた。
官を批判し民を尊重する姿勢
それまで美術館になど並ぶことのなかった民藝品に「美」を見出し専用の美術館も設立
出版・美術館・販売店の3つからなる、運動を継続し収益化していくため(であろう)仕組みの考案・整備。
(「民藝の樹」と書かれていた。全国規模の広告〜流通までをまるっと体系化していた点が、当時としては最先端の思想だったのではないか?と予想。現代で言えば、いわゆるマーケティングというやつか。)
これらのことから、「保守的」だと思っていた民藝運動のイメージが「当時の最先端」というイメージに変わった。
新しい「美」を求めるトレンド
時代背景としても「既存の美に疑問をなげかけ、あたらしい美を見出す」ことがトレンドでもあったのではないかと思う。
例えば、「白樺」で特集を組まれたロダン。ロダン彫刻の特徴は、人間的な生々しさにある。それまでの西洋の美術作品というのは、理想化された人間の姿を描くことが普通で主流であったらしい。そこに等身大の人間の姿をぶつけてきたのがロダンである。
さらに白樺派はセザンヌの作品を購入していた。セザンヌも、理想化された風景や人物を説明するための絵画ではなく、絵画そのものが自立したルールによって成り立ってる新しい美の形を模索した(と私は記憶している)人である。どちらも、近代彫刻の父・近代絵画の父と呼ばれている。
つまり、新しい時代の幕開けを作った人や、その思想を、いち早くキャッチアップしていたのである。しかもその人達は、後世で大きく評価されるものの、若い頃にはアカデミックな一派とは一線を画した人たちだ。
このような前衛的な思想を根底に持った民藝運動が、保守的なはずがない。むしろ、カウンターカルチャーといった様相を呈していたのではないだろうか。
ゲテモノに美を見出す
当時「下手物(ゲテモノ)」と呼ばれたらしい雑器コレクションに興味をひかれた。
高級品の「上手物」の対義語として派生したらしく、市民が日常生活で使用する焼き物(食器など)のことだそうだ。基本的には粗野な作りである。日常使い用の安価な器で、装飾も、ちゃちゃっと絵付けされた感じだ。(当時の柳氏の心境としては、「ヘタうま」な創作物に面白さを見出し、コレクションする感覚に近かったのかなあ…などと思ったりした)
そこでふと思ったのが、これって当時の「量産品」だよね…?ということである。
量産品を否定する材料にはしてほしくない
今ではうやうやしく展示されている民藝品も、当時はどれも量産品であったはずである。なぜなら収集された品は、作家物や高級な一点物ではなく、一般市民が日常使いしていた安価な日用品であったからだ。そこに美を見出すことこそ、民藝運動の本質であったのではないか。
それなのに、展示品と比較して現代の量産品を批判する声を聞いてしまって、少し筋違いでは?と考えてしまった。
民藝品は、量産品のご先祖様である
日用品の製造は、常に効率的な量産を目指してきたのではないか。購入側としては、手に入りやすく・品質が安定して・替えがきいて・価格も手に入りやすいものが良い。製造側としても、そのニーズにこたえつつ、製造を継続するためにも効率化して収益をあげていきたい。量産化は日用品の至上命題だったはずである。
縄文土器だって量産していたはずである
民藝運動のコレクションに縄文土器まであったのはさすがだと思った。縄文時代の人も、きっと量産を頑張っていたのではないかなあ…。食べ物を煮炊きする日用品なので、替えが無いと困るし、替えが滅多に手に入らないような奇跡の一品では困る。安定的に入手するため、きっと量産化の工夫をしていたに違いない。
そして縄文時代のザ・手仕事な器から、時代が下るにつれて量産技術が発展し、民藝運動で収集されたような、手仕事ならではのブレや揺れが残る器を経て、均一で個体差がほとんどわからないような器が製造可能になったのが現代である。
つまり、いつの時代だって量産品は日常にあったのである。量産という視点で見れば、民藝運動で収集された品々は、現在の量産品のご先祖様にあたるのである。
民藝運動は量産を否定する運動ではない
さらに今回の展示のなかで、量産を否定するような思想や記述は、私は見つけられなかった(見落としている可能性もあるが)。
むしろ、イギリスから椅子を大量輸入して販売してたりとか、ショップを日本各地にオープンしてたりとか、販路や製造を拡大すること(=量産、と私は解釈している)に対して積極的な印象さえあった。
何が言いたいかというと、そんなご先祖様をひっぱりだして「今どきの量産品は…」という話を聞くと、なんだか「今どきの若者は…」というお小言を聞いているような気分になってしまうのである。
過去の名品を否定するつもりは無いし、現代ではもう再現できないような素晴らしい技術もあると思う。ただ、それを肴に現代の量産品を否定するのは、なんだか切ない…。現代の量産品が多数の問題をかかえていることも知っているが、それでも、おなじ命題を背負って進化させてきた日用品仲間じゃないか。
民藝運動がスポットライトを当てた「美」
民藝運動の美は日用品の中にあった。
生活のなかで使われることに特化していたはずの日用品を、わざわざ美術館に持ってきて展示している民藝運動。日常空間と美術館のギャップを利用することで、日用品のなかの「美」を抽出して提示していたのではないか。
手仕事の美や、偶然性のおもしろさ、伝統技術への敬愛などもあったであろう。しかし、それにも増して最も重要だったのは、それらが日常の中で当たり前のように使われていた品々であり、スポットライトを当てて掘り起こしたくなる新しい「美」の概念がそこにあった、ということではないかと思う。
現代の量産品における「美」
もし今でも柳宗悦氏が存命だったとしたら、意外とコンビニのプラスチックスプーンなんかをコレクションに加えるんじゃないかしら、と妄想をふくらませた。軽くて薄っぺらなプラスチックスプーンは、量産に振り切った形状・材質で、属人的な主義主張や作家性など1mmも宿さずにいる。その空っぽなウツワのような存在が、現代の市民生活を象徴する日用品と言えるのではないか。そこにある種の「美」が存在していると私は思う。
しかし柳氏のお眼鏡に適うかどうかは知る由も無い。量産品が好きな私の、都合の良い妄想である。
いつかきっと、今現在使っている日用品の数々も、歴史的資料として美術館に並ぶ日が来るのかもなあ、と思いながら美術館を後にした。
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