てっぺんになっちゃうわ おとなのじかん ってこと?
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富士見岩で満足するまで景色を眺め、来た道を戻る。駅舎に入って今度は山頂行きのリフトに乗ることにする。
いちがやさん
「16分で650円か、ロープウェイよりかなり安いね」
たかやまさん
「安く長く乗れたほうが得?」
いちがやさん
「ああそっか、私言ってることおかしいな」
ささづかまとめ
「のりもの好きの発言としては合ってます」
いちがやさん
「普通の観光客からしたら、8分で行けるなら行ってみようか、って意味だよね、この強調された『8分』は」
たかやまさんにきっぷを買ってもらう。1人乗りなのでいっしょに乗るわけにいかず、わたし、たかやまさん、いちがやさんの順で乗ることになった。
係員のおじさんが「はいじゃあお姉さんここに立ってぇ、後ろからイスが来ますからぁ、ああ前向いててねぇ、はい座るっ! じゃっ行ってらっしゃーい!」とテンション高く言ってくれるのに「あっ、はっ、はい…」と圧倒されながら乗る。なぜリフト乗り場の係員というのはいつでもどこでも親しげで元気いっぱいなのだろうか。これがロープウェイだったりケーブルカーだったりすると多少真面目な感じになるのに。
駅を出ると斜面を下っていく。後ろでたかやまさんの「行ってきまーす」という声が聞こえた。
支柱が近づくと滑車とワイヤーがしゅるしゅるしゅると音を立てる。並走している登山道を歩く人たちの声や、彼らのバッグにつけられた鈴が鳴るのが聞こえたり、時折風が吹いて耳を塞いだり。しかし基本的には静かに運ばれていく。開放的な山の上に、機械と人と自然の音がただある。混じり合うこともなく、ただ置かれているような。その感じがなんだか安心する。喧騒でもなく、静寂でもないのがいい。
リフトには珍しく、途中駅がある。カモシカ駅という名前で、なぜカモシカなんだと思うが、どうやら以前はこのあたりにカモシカの飼育展示施設があったらしい。今は山上公園の中間地点という感じで、展望台などもあるようだが、わたしたちは下りない。そこまでゆっくりしている時間はないのだ。
「続けて乗るなら脚上げて! 脚、上げてぇ!」
ぼんやりしているとそう声がかかる。カモシカ駅の係員のおじさんが乗車中のわたしに声をかけていた。板張りのホームにわたしの足がぶつかりそうなので注意してくれたらしい。あわてて搬器の座面の下に畳むようにして引っ込める。
「いやあお姉さん、できたら前に上げたほうが楽よ、脚」
だんだん近づく係員のおじさんが苦笑いしながら言った。そのとおりだった。言われたとおり前に伸ばす。
「そう! それでオッケー、気をつけてねぇ!」
係員のおじさんは満足そうにうなずいている。わたしはその笑顔を眺めながら「カモシカ駅は有人駅なんだ」と思った。
たかやまさん
「さーさちゃん全然ピンと来てなかった」
頂上駅でリフトから降りたあと、くくくっ、とたかやまさんが笑いながら言う。搬器から降りるときもばたばたしたわたしを後ろから見て、笑いを堪えていたらしい。
ささづかまとめ
「リフトに癒されてぼーっとしてしまいました」
いちがやさん
「気持ちよかったね。気温もちょうどよくなってきたし」
リフトの頂上駅から御在所岳の頂上まで歩く。1分ほどで着く。わたしは腕時計を見る。11時45分。
山頂の周辺は大きな岩がゴロゴロしているが広場のようになっていて、自分の足で登って来たであろう格好の人々が記念撮影をしていたり、ベンチに座ってお弁当を食べていたり、シングルバーナーでお湯を沸かしてラーメンを作ったりコーヒーを作ったりしている人たちもいる。楽しそう。
望湖台(ぼうこだい)という展望台が歩いて数分のところにある。琵琶湖が見えるのだろうか? 行こう、と言うたかやまさんに、
いちがやさん
「私はちょっとこのへんで休憩してるから。ふたりで行ってきて」
といちがやさんは言って手を振る。これは要するに「私はそろそろひとりでくつろぎながらたばこが吸いたい」という意味だ。はーい、と返事をしてたかやまさんと向かうことにする。
望湖台への道のりは岩の上を歩く必要があったりして、スニーカーではかなり気を遣う。たかやまさんは身軽にひょいひょい歩く。この人は山を歩くのに慣れている。
望湖台には5分くらいで着いた。ちょっとここは健脚な人でないとアプローチしにくいかもしれない。富士見岩とはちがう。
たかやまさん
「さーさちゃん、見える?」
たかやまさんが岩の上に立って西のほうを眺めて言った。近くの山も、遠くの山も見えているが、そこから先が明瞭でない。
ささづかまとめ
「市街地っぽいのはかすかに見えてるんですけどね」
たかやまさん
「その向こうに琵琶湖があるはず」
ささづかまとめ
「雲と空の色と同化してるんでしょうか、よく見えません」
たかやまさん
「うん。ねえさっきゴム落ちてたの気づいた?」
え? いきなりなんだろう。わたしの髪を結んでいるゴムが外れたのかと思って頭の後ろを触るが、
たかやまさん
「それじゃない。こっち、来て」
そう言ってたかやまさんは来た道を戻る。わたしもついていく。なんだか嫌な予感がした。
たかやまさん
「ほら、これ」
大きな岩の陰に笹や苔が生えていて、そこに薄いピンク色をしたそれはさりげなく落ちていた。
たかやまさん
「開封はされてるけど使ってない」
ささづかまとめ
「……使ってないですね」
たかやまさん
「どうしてこんなところに落ちてるの?」
たかやまさんは無表情でわたしに尋ねる。たかやまさんは普段からけっこう無表情なので、こういうときは有利だ。くっ、負けないぞ。
ささづかまとめ
「それは…、開放感を求めた結果なんじゃないでしょうか?」
たかやまさん
「開放感か。だから使ってないのか」
どういう意味かと一瞬考えた自分がバカだった。
ささづかまとめ
「そういう意味じゃないです」
たかやまさん
「クライマーズハイって、怖いね」
ささづかまとめ
「んんっ…」
吹き出しそうになった。
ささづかまとめ
「怒られますって。さ、戻りましょう」
しかし微妙にツボにはまってしまって、ふたりで笑いながら山頂に戻る。いちがやさんは姿勢よくベンチに座ってたばこを吸っていた。
いちがやさん
「あれ、もういいの? 景色どうだった?」
そう言っていちがやさんは吸い殻を携帯灰皿にしまう。
たかやまさん
「いろいろ見られたよ。いちがやさんも見る?」
いちがやさん
「いやいいよ私は。ここも十分見晴らしいいから」
たかやまさん
「そっか。私たちは登山の怖さを感じたよ」
いちがやさん
「……なにかあったの?」
ささづかまとめ
「なにも、なかったです」
わたしは湧きあがってくる笑いに震えながら言葉を絞り出した。
いちがやさん
「さーさちゃん顔赤いけど、大丈夫?」
たかやまさん
「わりと純情だったっぽい」
ささづかまとめ
「ちがうんです。ただちょっと、おもしろくて…」
たかやまさん
「さっきまでずっとふたりで笑ってた」
いちがやさん
「笑える要素があったの?」
たかやまさん
「お、話してあげようか?」
たかやまさんが不敵な笑みを浮かべる。
いちがやさん
「いや、やめとく。どうせああいう話でしょ」
たかやまさん
「『ああいう話』ってなに?」
いちがやさん
「言わないって」
さすがいちがやさんだ。わたしたちから身を守る術をよくわかっている。
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