真相は「かつて熊を飼っていた」だそうです。
このシリーズを最初から読む↓
道路を渡って反対側の歩道を歩く。そちらの歩道の路面が怪しくなってくるとまた反対側に渡る。ガードレールを越える機会がまたあったりして(もう走り高跳びはせずに普通に跳んだ)なかなか進まない。
ささづかまとめ
「わー、あれすごく素人っぽくていい案内標識ですよ。写真撮っとこ〜」
いちがやさん
「素人っぽい?」
たかやまさん
「菰野と四日市の表記順が逆」
いちがやさん
「はあ」
ささづかまとめ
「それもそうなんですけど『滋賀』も気になりますね」
いちがやさん
「滋賀って書くのだめなの?」
たかやまさん
「案内標識に都道府県名は基本書かれない。市町村名とか、大きな集落の名前とか、場合によっては道路名とか書くのが普通」
いちがやさん
「へー。この看板、適当ってこと?」
たかやまさん
「元の看板的に、町が設置してるのかもしれない」
ささづかまとめ
「でもわたし『滋賀』って書いちゃう気持ち、わかりますね〜」
わたしがそうつぶやくと、たかやまさんが興味津々という顔をしてわたしの次の言葉を待っている。ああ、自己肯定感だか自己効力感だかが急速に満たされていく〜! いちがやさんは興味なさそうだけれど。
ささづかまとめ
「たしか、この国道477号って滋賀県内に入っても大きな街の中心を通らないんですよ。東近江市とか近江八幡市とか大きめの街では全部郊外を走るんです。だからどこに行くって書きにくいんじゃないのかなって」
いちがやさん
「行き先がモヤってるんだ」
たかやまさん
「近江八幡の後は?」
ささづかまとめ
「琵琶湖近くの水田地帯を走ってあのピエリ守山の横を通って、琵琶湖大橋として対岸に渡って、堅田(かたた)に着いたらすぐ山を登って、京都市に入っちゃうんです」
いちがやさん
「それなら行き先を『琵琶湖大橋』にしたらだめなのかなあ?」
ささづかまとめ
「琵琶湖大橋はたしかに国道477号なんですけど、この道路は滋賀県内でうろうろしすぎて、琵琶湖大橋への最短ルートとはとても呼べないんです」
いちがやさん
「はあ、そうなんだ。なんか力抜けるね、この道路」
たかやまさん
「『滋賀』って適当に見えて的確だったのか」
ささづかまとめ
「こういうのがあるから標識眺めるのやめられないですね」
たかやまさん
「運転しないのに標識好きなさーさちゃん」
ささづかまとめ
「正直なところ、文字が書いてある板ならだいたいなんでも好きです」
いちがやさん
「愛の対象が広いなあ」
ささづかまとめ
「地方感のある電柱広告ですね」
たかやまさん
「熊」
いちがやさん
「すんごい名前」
ささづかまとめ
「熊肉、出すんですかね?」
たかやまさん
「いや、熊が経営してるのかも。第二の人生」
いちがやさん
「どういうこと?」
たかやまさん
「例えば、んー『三重県警の熊』みたいなさ」
ささづかまとめ
「ああなるほど、異名ですね」
いちがやさん
「それもだいぶファンタジーだけどね」
たかやまさん
「名警部が警察やめて、食堂やってるの」
ささづかまとめ
「うーんと、じゃあ……、『敏腕刑事として名を馳せていた熊。しかしとある事件をきっかけに県警を早期退職することに』」
たかやまさん
「そうそう。そういうの」
ささづかまとめ
「『心機一転、生まれ故郷で食堂を営んでいると、ある日ひとりの客がやってきた』」
たかやまさん
「心機一転って言うわりにお店の名前がそのままだけどね」
いちがやさん
「ふふっ、自分で自分の異名を店の名前にしちゃうのちょっと痛くない?」
ささづかまとめ
「たぶん名字が元々熊谷さんとかなんですよ」
いちがやさん
「あー、ありがちだね」
ささづかまとめ
「『厨房に背を向けて着席した男。グレーのヘリンボーン柄のスーツを纏った恰幅のいい背中に、胡麻塩頭。その姿を見て、熊は立ち尽くしてしまう』」
たかやまさん
「知り合いだ」
いちがやさん
「刑事時代のね」
ささづかまとめ
「『”三重県警の虎”の異名を持つ男。刑事時代の熊の親友にして最大のライバルが、引退後の熊を頼って店にやってきたのだった…!』みたいな? ここから事件に首を突っ込んじゃうんです」
たかやまさん
「おおー。でもやっぱり店の名前がよくない」
いちがやさん
「隠しても調べられちゃうとは思うけどね」
たかやまさん
「でも『熊』だと来てくれって言ってるようなもの」
ささづかまとめ
「ツッコミどころがないように考えるの難しいです」
いちがやさん
「ねえところでさ、看板見るたび立ち止まるの、そろそろやめない? もうだいぶ暗くなってきてるよ?」
本当だ。夜が近づいてきている。さすがに急がなくては。
自分が食堂を開くなら看板メニューをどうするかという話を歩きながらしていたら(いちがやさん:アジフライ、ささづかまとめ:もつ焼き、たかやまさん:ゆずこしょう味のからあげ)、いつの間にか17時を過ぎて、近鉄の湯の山温泉駅近くまでやってきていた。
ささづかまとめ
「グーグルマップによるとここを右です……ね」
思わず立ち止まってしまう。
いちがやさん
「……向こうのほう、真っ暗だよ? ほんとにこの道?」
ささづかまとめ
「道は合ってます」
たかやまさん
「近づいたらきっと明るい。大丈夫」
いちがやさん
「そうかなあ」
そう言いながら、おそるおそる歩き出す。
女性の運転する軽自動車がわたしたちを不審がるように追い越していく。地元の人しか通らない道だろうと思う。
たかやまさん
「大きな廃屋…」
右手に大きな建物が現れた。合宿所のような建物で、屋根も塗装が剥げて、敷地には雑草が生い茂っている。これだけだと不気味だが、幸いその廃墟の前に民家があって、普通に生活している雰囲気がある。住んでいる人からすると嫌かもしれないが、わたしたちはいくらか救われた。
さきほど真っ暗に見えたところは雑木林で、薄暗い中を通り抜けるゆるい坂道を下りる。これも小さな段丘崖なのだろう。生垣の立派な大きな家の脇を抜けて右に曲がる。地元住民向けの小さなスーパーマーケットの前を通りすぎると橋がある。御在所岳山頂の北側に端を発して伊勢湾へ流れる三滝川を渡る。
ささづかまとめ
「ずいぶん暗くなってきましたね」
いちがやさん
「もう夜だよ、夜」
たかやまさん
「カメラだといい感じの夕暮れに撮れるね」
橋を渡ると、近鉄の湯の山温泉駅はすぐだった。
ささづかまとめ
「この駅、頭端式ホームだったんですね」
たかやまさん
「電車行ったばっかり?」
ささづかまとめ
「たしかに人の気配がないですね」
いちがやさん
「早く駅、行こうよ」
いちがやさんはまだ怖いらしい。たかやまさんが「そうだね、行こう」とわたしといちがやさんの背中を押した。
駅舎には数人の乗客が列車の到着を待っていた。やがて折り返しの列車がやってきて、乗り込む。
いちがやさん
「はー、着いたー」
たかやまさん
「思ったよりも長かった」
いちがやさん
「やっぱりタクシー乗ればよかったよー!」
実感のこもった一言にわたしもたかやまさんも笑った。でも次に同じような状況でもまた歩く気がする。
続きはこちら↓