
山があって、川があって、街があって、チョコレートアイスがスゴイカタイことだって。
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わたしたちの乗っているひかり631号は三島を通過する。
富士山の手前に見える山は愛鷹山だ。愛鷹山が近づいてくると沼津だなと思うが、沼津の中心市街はこちら側の窓からは見えない。沼津は何度か下りている駅だが、新幹線がまったく近づかないのは少し寂しい。
新幹線は駿河湾沿いの低地を避け、愛鷹山の裾野を走る。
やがて目の前を横切っていた山裾が途切れて、いよいよ富士山全体が見えるようになった。

そのころちょうどわたしたちのいる16号車に車内販売がやってきたのが見えた。たかやまさんがいちがやさんに声をかけている。いちがやさんは眠っているようで、反応がない。
いちがやさんが起きないのを見て、たかやまさんはわたしがリクライニングしている座席ととなりの座席の隙間から話しかけてきた。
たかやまさん
「車内販売来た。さーさちゃんはなにか買う?」
ささづかまとめ
「そうですね、せっかくなのでコーヒー買おうと思います」
たかやまさん
「アイスとセットにしない?」
座席と座席の間のわずかな隙間から覗くたかやまさんの表情は真剣で、とても車内販売のことを話しているようには見えなかった。
ささづかまとめ
「じゃあ、してみます」
たかやまさん
「アイスはバニラとチョコがあるから」
そんなに車内販売に気合いを入れなくてもと思ったが、そういえば今月末で東海道新幹線の車内販売は廃止されるのだ。
わたしにとって最初で最後の東海道新幹線の車内販売。そう考えたら、なんだかこの機会を逃してはいけないような気がしてきた。鉄道ファンであるわたしこそ、この瞬間をしっかり楽しむべきなのかもしれない。そう思い直した。
車内販売のワゴンが近づいてくる間に、列車は新富士を通過して、富士川を渡った。

やがてやってきたワゴンを手を上げて止める。わたしが注文している間、たかやまさんは自分の席のとなりにやってきたワゴンを食い入るように見つめている。
パーサーのお姉さんには手間かと思ったが、わたしとたかやまさんは別々に購入した。なんとなく、そうしたかったのだ。

スプーン、おしぼり、ビニール袋、ペーパーナプキン、コーヒーフレッシュ、スティックシュガー、マドラー。そしてコーヒーとチョコレートアイス。お金とレシートのやりとり。アイスは数分待つと食べごろになることと、ビニール袋は空き容器を捨てるためのものであることの案内。
ひとりの客に対してこれだけのサービスがある。パーサーは列車に乗り込む前、乗った後、下りた後にも仕事があるだろう。これらのサービスが当然のものとして提供されてきたことへの驚きと感謝の気持ちを持って、わたしはアイスにスプーンを突き立てた。全然スプーンが刺さらない。やっぱりスゴイカタイ。
アイスが食べごろ、というよりもようやく食べられるようになったときには、静岡の駅を通過していた。新幹線が速いのか、それともアイスが硬すぎるのか、わたしにはわからない。

当たり前のことなんてないんだな、と感じることが最近増えてきたような気がする。
ちゃんとした人なら、日々ひとつひとつ細かなことまで感謝しながら、かみしめながら生きていけるのだろうけれど、残念ながらわたしは今のところ、そこまで丁寧に生きられていない。
こうやってお金を払いさえすれば、本来ならありえない高速度で移動する乗り物にくつろぎながら乗れるのも、ぜんぜん当たり前じゃない。いっしょに出かけてくれる友だちがいるのも、今日の天気がすごくいいのだって。
取るに足らない景色であるかのように流れていく牧之原台地の茶畑群を眺めながら、頼りないプラスチックスプーンでチョコレートアイスを削りとるようにしてすくう。
新幹線の車内は密閉されていて外の風を感じることはできないけれど、アイスは硬いし、唇に触れれば冷たい。
それくらいなら、わたしにだってわかる。
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