身延山にはロープウェイもあるので乗ってみた。
前回はこちら↓
身延山久遠寺の本堂には金色の龍が描かれた大きな天井画がある。10メートル四方くらいの大きな絵で、ちょうど真ん中にある龍の瞳は「八方睨み」と言って、お堂の中のどこにいても目が合うように描かれているという。
たかやまさん
「金箔の上に墨で金色のドラゴン描くの、超絶技巧」
天井画はこれまでも見ているが、そういえばどうやって描かれたかを考えたことはなかった。幽玄な闇、もしくは雲や海のようなまとわりつくようなもやもやを払いながら、黄金の龍がこちらに迫ってきているような画。よく考えれば描かれているのはそのもやもやのほうなのだ。
ささづかまとめ
「ほえー、そうやって描いてるんですねこれ」
たかやまさん
「うん」
たかやまさんはひたすら天井を眺めている。わたしは正面のご本尊のあるほうに向き、手を合わせた。今年一年、ありがとうございました。
わたしたちは数分間、お堂の中でぼんやりとした。ちょっと足が痺れてきたかも、というところで立ち上がり退出する。
たかやまさん
「はあ、なんか、大きなお風呂みたいだった」
本堂から廊下に出た途端、たかやまさんが言った。
ささづかまとめ
「あー、みんな同じ方向見てる感じとか」
たかやまさん
「うん。でも気合いの入りかたはバラバラなのも」
ささづかまとめ
「でしたねー」
わたしたちのほかにも参拝の人たちはたくさんやってきた。お堂の中には、まぶたを閉じてずっと手を合わせている人もいたし、ただただ金色に輝く仏様の世界をぼーっと眺めている人もいた。隅っこのほうでじっとしている人もいれば、真ん中に陣取ったかと思ったら数十秒で去っていく人たちも。
特別なルールやマナーはなく(唯一のルールは堂内における飲食や撮影が禁止であることくらい)各々好きなように過ごしていた。
ささづかまとめ
「お堂の中って不思議と居心地いいんです」
たかやまさん
「いい意味で思考が止まるんだと思う」
ささづかまとめ
「……やっぱりお風呂ですね」
たかやまさん
「うん。お風呂だった」
報恩閣から外に出て、境内にある札所に行く。近づくと「いらっしゃいませー」と声をかけられた。お札やお守りを扱っているのはパートタイマーのお姉さんみたいな普通の雰囲気の人だ。
「あれがいい」
お守りのラインナップを眺めたたかやまさんが「御守 身延山」とだけ書かれた大きめのお守りを指さした。カラーバリエーションは2色で緑色と朱色である。
ささづかまとめ
「たかやまさんもお守りいただくんですか?」
たかやまさん
「ううん、さーさちゃんがもらうやつ」
ささづかまとめ
「あれがよさそうですか?」
たかやまさん
「うん。緑のほうにしよう」
たかやまさんはそう言って黙った。なにかを確信しているかのような顔で言うのでちょっとおもしろい。たかやまさんが指さしたお守りをもらう。「ありがとうございましたー」と言われる。
たかやまさん
「さーさちゃんには緑が似合う」
ささづかまとめ
「そういう意味でしたか」
たかやまさん
「そのぼわぼわの髪も緑にしたらかっこいい」
ささづかまとめ
「そうですか? うーん…」
緑色の髪のわたし、ちょっと想像がつかない。
お守りをいただいた後は、スロープカーの中から見えた身延山ロープウェイに乗りに行く。わたしはこのロープウェイにも乗ったことがない。東京の人が東京タワーを見上げるばかりで登らないのと同じようなものだと思う。
観光案内所でロープウェイの100円引券をもらったはずなのだが、どうやらわたしはなくしてしまったらしい。わたしはあらゆる紙きれの類をなくすプロフェッショナルなのだ。
割引券を探して次の13時ちょうどの便を逃してしまうのもばかみたいなので、券売機で普通にチケットを購入する。大人1人、往復1400円(2018年当時)。往復券かー。うう、これもなくしそう。
発車時刻が近づくと、駅舎で改札が始まる。わたしたち以外は中高年の夫婦やグループだった。通路を進んでのりばの手前で待機する。
わたしたちのいる久遠寺駅と頂上の奥之院駅との標高差は763メートル、関東で一番高低差のあるロープウェイ、というのが身延山ロープウェイの売り文句らしい。
「関東…?」
たかやまさんがなにか言いたげである。
ささづかまとめ
「ロープウェイの事情には詳しくないですけど、この感じは長野とか新潟を含めたくないのかもしれませんね」
たかやまさん
「駒ヶ岳のロープウェイが強すぎるのかもね」
たかやまさんは中央アルプスにも詳しいらしい。
やがて案内されて、白い搬器に乗りこむ。銘板を見ると「西宮 武庫川車両 昭和56年」と書かれている。そのわりに搬器はきれいな感じがしたが、数年前にリニューアルされたそうだ。
女性の乗務員がいて、戸締めして運転係へ合図を送る。駅を出ると今度はマイクを使って案内をしてくれる。アナウンスはこれから向かう奥之院と日蓮聖人の説明から始まる。眺望や山頂駅の食べ物やおみやげの紹介もされるけれど、全国のロープウェイの中でも異色の宗教色の強いアナウンスだろう。
でも、わたしにとって身延山はただの地元のお寺だが、全国からやってくる日蓮宗徒にとっては一生に一度しか来られない聖地というケースもあるにちがいない。そう考えれば、これくらい高い熱量で迎えるのがちょうどいいのかもしれない。
ロープウェイの東側を尾根が並走している。ここがかつての奥之院への参道で、今でもこの道を歩くことができるらしい。
歩いて登れば2時間半かかる道のりを、このロープウェイはわずか7分で結んでおります、とアナウンス。ちょっぴり誇らしげな調子だ。
たかやまさん
「ほら、あの尾根の森の色変わってるところ、道っぽい」
ささづかまとめ
「本当ですね、木の高さが違うんですかね?」
たかやまさん
「いつかあそこ、歩いてみたい」
ささづかまとめ
「えー? ロープウェイでよくないですか?」
たかやまさん
「そのうち。さーさちゃんの気が向いたらでいい」
色彩の少ない身延の山々を眺めながらたかやまさんは言った。子どものころ、よくいっしょに散歩をしたのをおぼろげに思い出す。わたしのほうが年上なのに、たかやまさんがはりきって前を歩いていた気がする。昔から歩くのが好きな子だった。
奥之院駅に着いた。駅舎の外に出て、いっしょにロープウェイを乗ってきた人たちとともに奥之院思親閣(おくのいん ししんかく)に向かう。
ロープウェイ内のアナウンスによれば、日蓮聖人は麓の草庵からここまで登っては出身地の房総半島の方角を望み、故郷や両親に思いを馳せていたという。それにちなみ、江戸時代の初めに思親閣が建立されたそうだ。
階段を上がって古い門をくぐる。大きな香炉に線香をお供えして、ごあいさつ。小さいけれど随所に歴史を感じる素敵なお寺だ。
たかやまさん
「せっかく山に来たし、山を見ないと」
そう言うたかやまさんについていって、祖師堂の脇から杉林の中に出て、奥之院の裏側にある展望台を見に行く。杉林を抜けるところで、わたしたちは「ひゃー」「わー」と声にならない声を上げた。
(続きます)