はじめに 「好きな詩歌の飾り棚」では、著作権の切れた、好きな詩人を紹介しようと思います。 冨士原清一(ふじわら・せいいち)1908〜1944 冨士原清一は、大正・昭和を生きた詩人です。 17歳頃から詩作をはじめた彼は、シュルレアリスム専門雑誌発刊に携わるなど、日本のシュルレアリスム詩において重要な役割を果たすとともに、フランスの詩の翻訳なども行いました。しかし太平洋戦争に徴兵され、36歳の若さで亡くなっています。 彼の作品を知ったのは、下記で参考資料として挙げている『モダニズム詩集Ⅰ 現代詩文庫・特集版3』。 西脇順三郎、北園克衛の詩を目的に読んだのですが、その中で衝撃を受けたのが冨士原清一の「CAPRICCIO」でした。 脳裏に浮かぶ鮮やかな色彩! 美しく煌めく言葉の数々! 「間違いなく好きな詩人だ」とビビッときました。 今回、好きな8篇を挙げました。最後には、挙げた詩への個人的な感想を載せています。 お楽しみいただければ幸いです!
追記: 『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』編者である京谷裕彰氏のお名前を、誤ったまま公開してしまっておりました。現在は修正しております。 大変申し訳ございませんでした。
参考資料 ・京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 →今回ご紹介する8篇の他にも多くの詩や翻訳作品が収録されています。詳細な年表も記載されており、とにかくすごい1冊です。 ・鶴岡善久編(2003)『モダニズム詩集Ⅰ 現代詩文庫・特集版3』 思潮社 →様々な現代詩が掲載されています。冨士原清一の詩は10篇掲載されています。色々な詩人の作品が読めて面白い!
・『詩神』(1930) 第6巻 第3号 詩神社 →「LE PIÈGE DE LA POÉSIE」の、一行空けの位置を確かめるために読みました。マイクロフィルムで読む形だったので、とても新鮮でした。『詩神』掲載版には、詩の上部にエッシャーのだまし絵のようなテイストの鳥と魚のイラストがあって、これがとても素敵です。
「断章」(1926) 虚無の悪戯らが、 放つて綱を断つた、 人玉よりも宙ぶらりな、 地球は円い軽気球です。
京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p25
「CAPRICCIO」(1927) Night, such a night, such an affair happens. パレツトにねりだされた多彩な絵具族のかなしみと、明暗の花咲く女性かのひと の寝室に燈つてゐた小さい Lamp のさびしさを、外套の釦である紫色のビイドロに覚えながら、私は細い頬を高くたてた襟につゝんで、この緑り色の星まばらな夜を歩き続けてゐました。 ――歓楽は美装せる一人の士官である。彼の真紅のサアベルは、つねにそれの数万倍である憂鬱の雑兵を指揮してゐる。 私はこんなことを考へながら、この街でいち番高い処にある壮麗な大理石マーブル の架橋はし にさしかゝりました。いつも愛してゐるこの陸橋からの眺めとは云へ、まあ! なんて滅法に奇麗な今夜なのでせう。街は黄ろい燈火の海をひろげ、そのあひだに赤・青・緑などのイルミネエシヨンがちらほらし、まるでカアペツトの上に宝石を薔薇撒いたような夜景です。さうして青いレールの群れがこのなかにサアベルのやうに煌いてゐて、いまにもあの透明体のキラ/\したシンデレラの馬車がこの街からあらはれてきて、古典的なミニユエツトを踊つてゐる星たちのあひだを縫つてゆきさうです。その美しさつたら思はずも唇からモオメントミユウジカルのひとふしがとびでたほどでした。 このときです、ふと私は古ぼけたイタリア製の帽子の縁から、青いヒカリが私の全身を捕へたのを気付いたので思はず立ち止まつて見上げると、頭上にアアク燈が天空に向つて蒼い信号喇叭を吹いてゐました。・・・・・・で、このボーボーといふ音をぢつと聞いてゐると、いつのまにかあのスクリインを想ひだし、今までこんなにも青い夜を見たことがないやうに思はれてきました。それでこゝろ秘かにこんな青いものに耐へられない自分の神経に怯へてゐると、頭のなかになにか漠然とした青写真かフイルムのごときものが次第に大きく不明瞭に現はれてきてなぜか私はコロロホルムにでも作用されたやうにぐつたりと冷たい架橋はし によりかつてしまひました。・・・・・・ 折柄ふいに終電車の轟きを聞き、青いスパアクがパツと飛散つたので、思はずもはつと架橋はし の下をのぞいてみると、あゝ! なんといふことでせう! レールの群れが太刀魚のやうにこの架橋はし の下を流れはじめたのです。ついでシグナルの燈が流れだし、エメラルドグリイン・アムバア・スカアレツトなどの光りがピカ/\飛び散りはじめたかと思ふと、虹のやうな奇麗なテープや模様がメリイゴウラウンドの酔ひごゝち夢みごゝちに走つてゆきます。がついにはこん度は街までが崩壊して恐しい速さで無数の直線や矢になつて流れはじめました。さうしてこのテムポは一瞬毎に急調となり、仕掛花火や色電気の仕業も及ばない位です。私の知人や友人など、記憶にある総ての人間の顔が黄ろい粒の羅列となり、ついには一条の細い火花となつて消し飛んでゆきます。太陽も、月も、星も、停車場も、アンテナも、汽船も、活動写真館も、街角の花売少女も、バツトの空箱も、ありと凡ゆる私の一切が、ありと凡ゆる世界の一切が、この強烈な未来派の色彩と音響を形成しながら流れてゆくのです。まさに名優が感激の極みに舞台で卒倒せんとするとき、その一瞬に見る数千の観客の IMAGE よりも、遙かに複雑な名状しがたいこの彩色光波の洪水が流れてゆくのを、驚きに意識を失つた私は、その閉ざした眼の紫いろの泳いでゐる網膜の上にいつまでもいつまでも見続けたのです。・・・・・・ 頭からすつぽりとシルクハツトをかぶせられたやうなほの暗がりの意識のなかに、どこかでほつかりと白百合がひらくやうな気配をかんじて、ひよつと私が気がついたとき、私は高い、タカイ、TAKAI コンクリイトの城壁みたいなものゝ上で、体を L 字型にしながら BONYARI してゐたのでした。
京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p42-44 ※参考……鶴岡善久編(2003)『モダニズム詩集Ⅰ 現代詩文庫・特集版3』 思潮社 p78
「招待 a Shigeru Fujisawa」(1928) ホテルの製服をつけて宝石の合唱を讃美する、いよ/\尖がる青い絹のうへの彼の朱い舞踏靴、優秀な時間における彼の釦の優秀な位置の整理、薔薇を啣へた私はエエテルに浮ぶ彼の城のなかに化粧水を注ぐ、それは月と白粉のあひだの、そして優遇された彼の指に吊られた菓子に似た温室である。そのうへに海洋にひらいた窓のなかの少年と少女、少年と少女はリボンのなかからその盛装せる金髪の水を飲んでゐた。 ホテルの製服をつけて水族館の煙突を極めて優美に攀ぢる、其処で彼は承諾の日傘を廻す、 照らされて激しくマントをふる美学の上の医者の眼鏡の下に照らされた私は朗朗たる皇子のごとくすべての方向に就てアネモネのごとき理解を持つ、少年と少女は旗のなかに微笑しつゝプラチナの筋ある飛行船に急ぐ彼は花のごとき署名を計画された釦の位置において殺害するそして金属的な風のなかの愉快なる発育に感謝の音をポプラの樹下に埋める、真に豊麗なる消息の時刻であるか、紳士のごとき魔術師は洋燈の下にかれの指紋を改める。
京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p68
「APOLLON?」(1929) 塔の上に詩人が立つてゐる 詩人は pince-nez を掛けてゐる? muse の胸像を乗せた馬が塔の周りを永遠に廻つてゐる
京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p79
「LE PIÈGE DE LA POÉSIE」(1930) 宮殿のバルコンに MUSE がゐる MUSE は足に星をつけてゐる 星は MUSE の頭髪のなかにもゐる 星は MUSE の着物の上にもゐる 星は MUSE の何処にでもゐる MUSE 彼女は星でゐらつしやる 裸体のアポロンは宮殿の煙突の側にゐる アポロン彼は詩人でゐらつしやる 彼は写真機をもつてゐる 月が昇れば彼は MUSE を殺してやらうと考へてゐる 暫らくの間アポロンの指のあひだから間断なく砂金が落ちてゐた 軈て白い鳩が群がつた 美しい水が漂つた そして月が昇る けれども其処に如何なることが起きてゐたか MUSE の顔が非常に白くなつてゐた アポロンの顔が非常に白くなつてゐた 更らに MUSE の全体が白くなつてゐた 更らにアポロンの全体が白くなつてゐた そして世界が非常に抽象的になつてゐた 可愛想な詩人アポロン 彼の写真機から煙草の煙が出てゐます そして彼は煙草の煙即ち POÉSIE の永遠の罠を眺めてゐます 彼は今月の光を浴びて神話と文明の混乱した夢から醒めたのでした
京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p110-111 ※参考…『詩神』(1930) 第6巻 第3号 詩神社 p48-49
「魔法書或は我が祖先の宇宙学」(1930) 見よ 迷宮の縫目から致命傷の漆喰が現はれて神秘な笑を笑ひながら死んでゆく 三角戸棚のなかで逆になつた女魔術師はその九角形の正体を見せてすべての植物性襤褸とともにそれを喝采する ひとりの天使は肉体の内部の見えない螺旋に悩まされて月夜に青い痣の疑問符号をつけた苔蘚類の侵入を許可する これは月夜における青鮫の昇天である 鉛の潜水鳥よ 私は汝を VENUS への全権委員として派遣したのであるが汝は遂に三日月の横顔に到着した これは汝の霊魂論の紛れもない過失であつた 何ものかが壁のなかで汝のために陳述する この陳述は極めて無愛想であるが私を喜ばせるので有利である 地獄は青色の七個の円筒を出して馥郁たる煙を送つてくる けれども氷とその一党は不在である 紅縞瑪瑙は慧星の線条ある軌道を通過せんとして真珠の哨兵に発見される 彼は真珠の優美なる射撃を受けて ZÉNITH に於て激しく血液を流す このことは日触五分前の MUSE の写真には現はれなかつたが日蝕五分後の MUSE の写真のなかに明瞭に反応したのである 私はこの写真を芥子粒の王子に贈つたとき彼は皇族画報を眺めてゐたのであるがこの美しい縞馬の写真を眺めたとき彼のカスケツト帽は至極満足に跳ねた このとき蝗の王国は少しくその赤味を帯色する そして香料の雨がこの王国の上を通過して奇態な漂泊作用を行ふ この作業は長時間に渉つて継続する それ故雨彼等の喋る驚くべき言語は月を乾燥させるかと思はれる これらは真実最新の弾型漂泊素であるのか 私は彼等の発展の犠牲である 既に孔雀石の上に縫針の避雷針と截屑の馬具は装填された これは思想の豪雨の日の細菌類の巧妙なる逃亡である おお太陽も亦彼の若い情婦を殺害して逃亡する 蒼白なる科学者よ あの層雲の伏魔殿に注意し給へよ 最小口径砲と羽飾のついた鳥糞射出口及び潜伏処の望遠鏡 これらは三位一体である この明快な真理の微風の後で科学者は捕虫網の如く微笑する 彼は彼の微笑の網を透して遠く塵埃のなかに跳ねてゐる一個の舞踏靴を認識する この舞踏靴それは全く彼の母親コンパスに相似形 そして彼の微笑の裂目其処から彼の ENNUI は遊歩してこの舞踏靴を食べる 白色の手袋は黒色の手袋と抱擁する そして石綿の裸体はいま一度天使の体内で気絶する ああ今日私が通過したとき飾窓のなかにゐた頭と腕のない MANNEQUIN よ 明日再び私が通過するとき汝は巨大なる裁断鋏で飾窓のなかに切腹してゐるのである 宏壮なるスケート場の夜 其処では氷結した人間の影等が氷の喝采のなかを滑走してゐる 死者等は永遠に地下を旅行する 彼等の懐中の緩漫にして正確なる歩度計 それは裏面もない一面の MÉDAILLON 完全の法典である 巨大なる OMBRE の胸の鎧戸からは無数の灰色の傴僂達が生まれてくる 彼等は一様に列をなして水流の浅瀬を遊歩するが再び OMBRE のなかへ還つてゆく 風塔の上の風信子よ彼等は汝の他の耳から還入つてゆくとき快活にそして他の耳から出てゆくときその足音は悲し気であつた このことは汝よりも更に優秀なる菫の耳においても同様であつた 果してこれは OMBRE の微笑の幽霊であつた 私の眼球のなかでは熱風の密会が急に静かになる この急激な変化は一体何の合図であらうか風信子よ 威しい天体の黙示の下に最早私は硫黄の皇帝と硫黄の交換を終了したのであらうか 見えない仙境では一羽の鶯のために造られた大理石の壁が垂直に成長してゐる 垂直の論理は正しいか正しくないかそれが極めて緩漫な速度をもつて天に到着してゆくのが分かる けれどもこの壁の如何なる成長の瞬間においても常に頂上を好む鶯は壁の頂上で鳴く 鶯を理解しない壁のプロフイールは美しい 美しい壁よ 汝の内部は矢車菊と苜蓿と美人草 汝の外部は美人草と苜蓿と矢車菊 そして藁茎の BAGUETTE をもつた仙境の番人は右手の手袋だけで満足する これが簡単の仙境の神秘の完全の永遠 簡単の仙境の神秘 SIMPLICITE の神秘 一個の煙草入のなかの世界 一個の煙草入である 見給へ 北極から還つてきた植物達は私の玄関に到着したとき既に死亡してゐる これは数千年以前の土曜日 SABBAT において既に魔王に依つて決定されてゐた彼等の宿命であつた このことに関しては未だ体内にゐる紅鶴の雛さへも知つてゐる 然し彼等の出発のときよりも遙かに斬新な流行色を示してゐる 彼等の襟飾の上には美麗なる彼等の鼻が認められた それは彼等の霊魂と等しい色彩をしてゐる そして第一等級の星は何ものもそれを見てゐない時間に彼等の頭上に輝き彼等の肩の上の発見の火災の痕跡を照らす 他の星等は茴香の饗宴に招待される けれども彼等がその席上で見るものは只だ黄色の火災のみである 私は美貌の瓦斯に就て語らんとする そして私は反射鏡の下で偶然に滑り落ちた猥褻なる写真のなかに黒色の肉襦袢マイヨオ をつけた今日の死をば容易に発見する 彼の女の宝石入の爪は瞬間地上を照らす 彼の女の叉になつた銀の足は死後の迷路 そして彼の女の背後に光の尾が遠く天上の星に連らなつてゐる 月の花粉が化粧した彼の女の顔は彼の女の思想 最早彼の女の顔と月と判別することは出来ない これは無思想の典型 明日の彼岸の雪崩 そして覆へされた春の寝台の羽毛の散乱のなかに彼の女がローレライの歌を歌ふとき銀河の河底深く逆さに生へた樹木はゆらゆらと彼の女に挨拶する 彼の女は亦人体学の総和が睡眠と水であることを歌ふ このとき彼の女の姿は金字塔の最高処で鳥糞の上に坐つた最新のセラフアンである 或る初夏の朝 私は品行優良なる薔薇が羅針盤に採用されるのを目撃した この薔薇の祖先は嘗つての天啓発揚派であつた この私の理解は正当であつた 何故ならこの日祭礼の雲は私の頭上で静かに円舞し五色の雨を降らしたのであつた いま私が開いた鏡の底の AVENTURE の窓よ 私が眼にアネモネの花びらを押しあてて手探ぐりで小鳥の備忘録を探しに出かけるのは此処からである 私は家具の腕をもつた種々なる妖怪達に出会ふが此処は均衡の崩れた精神の城の内部の週廊である故に彼等は私の忠実なる召使に相違ないのである 突然私の口のなかで真珠の如き神が蜂鳥の現行犯に向つて頬笑むや否や忽ち溶けてしまつた 暗らい暗らい暗らい そしてこの暗黒のなかで廻廊の末端において窪む一個の貝殻は人間の最初の完全な論理を形成する またこの暗黒のなかにおいて右手にプレイアツド星座のみを認識して歩行を続けてゐたひとりの旅行者は数時間の後に神秘な獣帯光の下に彼の左手に砂漠を発見する 彼は異常なる秩序をもつて組織された仙人掌の社会に異常なる緊張をもつて少しく接近する 忽ち彼は仙人掌から黒色の水の射撃を受ける 驚愕して彼は空を見上げる 然し聞くものは只だ彼の発狂せる毛髪と空の円形劇場にみちた星の紳士の笑声のみである おお天上の星星よ 彼の肩の上に刺繍された彼の運命をも判読し給へよ 彼の過去は権門の紋章の上のあの黴の笑靨そして彼の美しい未来はあの鏡のなかに見える珊瑚礁における見習潜水夫 そして滑石含有料の莫大な石鹸は彼の乳母であつた 私の舌が銀の匙である私は私の舌が銀の匙であるかの如く歌を歌ふ 今日霰は如何なる思想を帯色してゐるであらうか また風の商会は如何なる組織のもとに動いてゐるのであらうか 嘗つて狩猟の女神の衣裳に落雷したときその截断された女神の衣裳の上に私が雷鳴からの通信を読むだのは事実である 然し最近私が欝金草の秘密結社において受信した稲妻の波長は失語症のそして転倒語法にみちた人間の声に近いものであつた DOUBLE ÉTOILE 彼も亦最早出現しない 羽毛の小鳥と鉛の小鳥の墜落の等しい現世紀において最早私に親密なるものは汝硝子の ROMÉO 汝金剛石の JULIETTE 私の磁針は狂ひ出す 私は太陽のなかに眠る薔薇色の昆虫(実はそれは薔薇色の卵であるのだが)を刺さんとして彼の胸を突き刺す ROMÉO を見る 姫蜂よ 私が君に愛想するのはかかるペリカンの時間においてである それは時間が全く白金線である時間 このときクレオパアトルを乗せて疾走するヨツトは白金線の波打際に沿つて岬を旋廻した 春の海洋は白い クレオパアトルの倦怠は白い クレオパアトルは唾液を吐く それは白い花である 白色の鷗は飛ぶ 私は関係がない 私は白い 私の上方て白色の雲は急速に動く それは虚無の電気である 見よ 真空のなかに犯罪がある 金モオルの王子が白金線で絞殺されてゐる けれども犯罪者が 硝子であると考へたのはイオンの女王よ 貴女の早計であつた どうして私が硝子であり得やうか 貴女は私の夢が如何なる指紋をも残さないといふこととこの犯罪にある類似(例へば蝶と花粉の如き)を見出さないであらうか また私の夢がどうして生きてゐないだらうと言へるだらうか 私の夢は私と全く無関係に生きてゐる 私においてさえ屢々彼が私を殺害するのではなからうかと暗示を受ける程である 風の如きまた自在風車の如き彼の理性は全く彼の理性 彼は理性のみである 澄明な発狂の夕暮に彼の光る ABSENCE は彼の真理の汚点である おお眠れ すべてのハムレツトの霊魂をもつた草花等よ さて私は七里靴を穿いた そして ZEUS よ 私は汝に面会する(まあ この星月夜に何たる夥しい溶岩の落下)この光景が私に閃いたときそれは汝の巨大なる頭の円筒から生誕するあらゆる天体達であつた 太陽就中太陽は汝の最大の傑作であつた 汝の頭の円筒のなかの凄じい機関よ 汝の巨大なる頭の永遠の CHAOS よ 私は睡眠の青白いトンネルをぬけて汝の頭の永遠のなかに十字の雪の降つてゐるのを認める人間である いますべての不思議なる射撃は行はれる 然しそれらは直ちに理解されるのである
京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p112-118 ※参考……鶴岡善久編(2003)『モダニズム詩集Ⅰ 現代詩文庫・特集版3』 思潮社 p80,82
「成立」(1933) Wir suchen überall das Unbedingte und finden immer nur Dinge - Novalis 夜の子宮のなかに 私は不眠の蝶を絞殺する 私の開かれた掌の上に 睡眠の星形の亀製が残る ★ 風はすべての鳥を燃した 砂礫のあひだに錆びた草花は悶え 石炭は跳ねた 風それは発狂せる無数の手であつた 溺死者は広場を通過した そして屋根の上で生が猿轡を嵌められたとき 夜は最後の咳をした ★ かの女は夜の嵐のなかに 鉛の糸を垂れて かの女の孤独の影を釣る ★ 泥が泥を喰ふ 石が石を粉砕する 沈黙が沈黙の喉を絞める 不幸が不幸を下痢する 早朝私の影は穴倉から 血の繃帯を顔に巻いて出てくる 蒼白な風の平原 そこで私は風の首を切断する 私の頰は打ち倒された 私は私の顔を喪失する 肉体の周囲に 死は死人のごとく固い ★ 沼が泥の足で入つてくる 壁のなかで蕈が拍手する 肉体は久しいあひだ 寝台の上に忘却されてゐる 肉体それはつねに荒地である そこでは臓物の平原のなかを 血尿の河が流れる 私はながい孤独の雪崩の後に 疲労の鏡を眺めて 顔面に短剣で微笑を鏤める ★ 蛹 それは成立である 蝶 それは発見である ★ 火薬のごとき沈黙があつた 私の唇は砕けた そして背後に打ち倒された私の頭は 襤褸屑になつた手たちを眺めた 足はいつまでも立つてゐた 打ち込まれた斧のごとく ★ 家のなかの見えない岩石 私は衝突する 私は傷つく 私は覆へされる 家のなかの見えない岩石 ただそれが巨大であることだけを 私は知つてゐる
京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p120-124 ※参考……鶴岡善久編(2003)『モダニズム詩集Ⅰ 現代詩文庫・特集版3』 思潮社 p85-86
「襤褸」(1934) 悲しい叫びが起つた 仰天して窓は地上に砕けた 頭髪を乱した洋燈が街路を駆けてゐた 私の喉に 泥沼のごとく狼の咬傷は開いた そこから赤い夜は始まつた 私の眼は地上に落ちた それは孤独の星であつた 私はもはや石炭の中に私を探さない 私はもはや私に出遇はない 私の行くところ 到るところ襤褸は立ち上がる ★ かつて唇に庭園はあつた かつて石に涙の秩序はあつた 笑ひは空井戸の底に 倦怠は屋根にあった 呼吸しない広場で 風の歌が吃つてゐた 私のゐるとき それはいつでも夜であつた 睡眠は壁の中に 星は卓子の上にゐた
京谷裕彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p125-126
感想 「断章」 「宙ぶらり」「地球は円い軽気球です」というフレーズの素朴さ、軽やかさに惹かれました。なんだか優しい響きがあって、口の中でつぶやいてみたい感じがします。心まですーっと軽やかになるような、短いながら素敵な詩だと思います。
「 CAPRICCIO Night, such a night, such an affair happens.」 衝撃を受けた作品です。 「パレツトにねりだされた多彩な絵具族のかなしみ」 「絵の具族」という言い回しがおもしろくて、ぐっと心を惹かれます。 「外套の釦である紫色のビイドロ」 想像するだけでうっとりします。紫色の硝子ボタン、コレクションに入れたい……。
「緑り色」「真紅のサアベル」など、鮮やかな色彩が続くのにも魅力を感じます。
「つねにそれの数万倍である憂鬱の雑兵を指揮してゐる。」、憂鬱を兵に例える巧みさ。
一番好きなフレーズである、「街は黄ろい燈火の海をひろげ、そのあひだに赤・青・緑などのイルミネエシヨンがちらほらし、まるでカアペツトの上に宝石を薔薇撒いたような夜景です。」 色彩の美しさは言わずもがな、「ばら撒く」を「薔薇撒く」と当て字するセンス、華やぐイメージのすばらしさです。
「ふと私は古ぼけたイタリア製の帽子の縁から、青いヒカリが私の全身を捕へたのを気付いたので思はず立ち止まつて見上げると、頭上にアアク燈が天空に向つて蒼い信号喇叭を吹いてゐました。」 「古ぼけたイタリア製の帽子の縁」といったディテールにそそられます。「アアク燈」、街灯が好きです。
「なぜか私はコロロホルムにでも作用されたやうにぐつたりと冷たい架橋によりかつてしまひました」 当時の言い方だったのでしょうか、「コロロホルム」の響きのかわいらしさ。
「ついでシグナルの燈が流れだし、エメラルドグリイン・アムバア・スカアレツトなどの光りがピカ/\飛び散りはじめたかと思ふと、虹のやうな奇麗なテープや模様がメリイゴウラウンドの酔ひごゝち夢みごゝちに走つてゆきます。」 こんなに華やかで、めまぐるしくて、美しくて、夢のような光景があるのかと思えるほど、想像せずにはいられない描写です。
「太陽も、月も、星も、停車場も、アンテナも、汽船も、活動写真館も、街角の花売少女も、バツトの空箱も、ありと凡ゆる私の一切」 挙げる物の好みが、的確に私を突いてきます。棚に並べてコレクションにしたい。
「頭からすつぽりとシルクハツトをかぶせられたやうなほの暗がり」、手品または魔法を感じさせる比喩、世界観を確固たるものにしていて大変好きです。
「ひよつと私が気がついたとき、私は高い、タカイ、TAKAI コンクリイトの城壁みたいなものゝ上で、体をL字型にしながら BONYARI してゐたのでした。」 私も言いたい、「BONYARIしていた」。ただのぼんやりより、何倍も素敵な感じがします。
「招待 a Shigeru Fujisawa」 「ホテルの製服」「舞踏靴」「釦」「エエテル」「煙突」「日傘」「飛行船」…… ロマンチックで癖をついてくるワードの並びだけで、幸せになれます。字面としても良いし、物品としても良い。読むだけでも想像するだけでも両方でも大変良いのです。
「青」「朱」など色彩も豊かで、とてもとても楽しい。
そんな中で「殺害する」という不穏なワードを、ぽんと放り投げるセンス。全体的にストーリー性のようなものもあって、読めば読むほど深みにはまっていけそうな感じがします。
「APOLLON?」 「muse の胸像を乗せた馬が塔の周りを永遠に廻つてゐる」というフレーズが好きです。頭の中で、光景が頭に浮かびます。ぐるぐると廻り続けています。読んだ時に浮かび上がるイメージが、頭の中に留まり続けるフレーズ、それが彼の作品には多いように思われます。
「 LE PIÈGE DE LA POÉSIE」 「月が昇れば彼は MUSE を殺してやらうと考へてゐる」という不穏なフレーズをぽんと入れてくるのが、「招待」の時に言及したように本当に良いなと思います。また、この詩は比較的色が抑えめで、その分、白のくっきりとした美しさが際立っていると思います。「白くなつてゐた」様々なものたち。その姿が明瞭に浮かび上がります。
「可愛想な詩人アポロン 彼の写真機から煙草の煙が出てゐます」 このフレーズが特に好きです。白くなった世界に、すうっと立ち昇っていく煙……。物事の描写が非常に巧みな彼は、視覚重視の物の見方をする人だったのだろうか、と考えたり。
「魔法書或は我が祖先の宇宙学」 タイトルの引力から逆らうことができません。「見よ」、見ずにはいられないのです。
「何ものかが壁のなかで汝のために陳述する この陳述は極めて無愛想であるが私を喜ばせるので有利である」 特に「私を喜ばせるので有利である」というところに、得も言われぬ味があると思います。
「紅縞瑪瑙は慧星の線条ある軌道を通過せんとして真珠の哨兵に発見される 彼は真珠の優美なる射撃を受けて ZÉNITH に於て激しく血液を流す」 紅縞瑪瑙(赤)→真珠(白)、真珠(白)→血液(赤)という、色彩的線対称でありつつ発展的でもある表現の見事さ。
「其処では氷結した人間の影等が氷の喝采のなかを滑走してゐる」 氷結した人間は固まっているけれど、影は滑走している。映像的イメージが、対比とともにありありと目に浮かびます。
「汝の内部は矢車菊と苜蓿と美人草 汝の外部は美人草と苜蓿と矢車菊」 線対称的な整然があって、とても好きなフレーズです。
「北極から還つてきた植物達は私の玄関に到着したとき既に死亡してゐる」 「死」や「殺す」という不穏なワードを乱用するのではなく、ここぞというところに入れてくる感じがします。どきりとする。
「それは彼等の霊魂と等しい色彩をしてゐる」、「霊魂」という、無色透明なイメージのものに付加された、鮮やかな色彩。
「或る初夏の朝 私は品行優良なる薔薇が羅針盤に採用されるのを目撃した」 これもお気に入りのフレーズです。採用する言葉とモチーフのセンスと、その組み合わせの妙を感じます。
「いま私が開いた鏡の底の AVENTURE の窓よ 私が眼にアネモネの花びらを押しあてて手探ぐりで小鳥の備忘録を探しに出かけるのは此処からである」 こんなに美しく繊細な「AVENTURE」なら、始まってもいいかもしれません。
「突然私の口のなかで真珠の如き神が蜂鳥の現行犯に向つて頬笑むや否や忽ち溶けてしまつた」 微笑んだ直後に消えてしまうものに惹かれてしまうのですが、何故なのでしょうか。その儚さに惹かれるのでしょうか。
「然し聞くものは只だ彼の発狂せる毛髪と空の円形劇場にみちた星の紳士の笑声のみである」 美しい独自の擬人法! どうすれば、星を紳士にたとえ、その声を聞くことができるのでしょうか……。
「羽毛の小鳥と鉛の小鳥の墜落の等しい現世紀において最早私に親密なるものは汝硝子の ROMÉO 汝金剛石の JULIETTE 私の磁針は狂ひ出す」 「汝硝子の ROMÉO 汝金剛石の JULIETTE」の響きの良さ。様々な詩において、「彼○○」や「汝○○」という言い回しが多い気がします。語感がよく、口に出したくなる。
「私の夢は私と全く無関係に生きてゐる 私においてさえ屢々彼が私を殺害するのではなからうかと暗示を受ける程である」 すごく面白い視点だなと思います。「私の夢は私と全く無関係に生きてゐる」、そんな気がします。
「成立」 「夜の子宮のなかに 私は不眠の蝶を絞殺する 私の開かれた掌の上に 睡眠の星形の亀製が残る」 作品は全体的に暗い印象です。ばらばらになった蝶がイメージとして浮かびます。
「溺死者は広場を通過した」 一見矛盾しているような一文ですが、映像として浮かぶのが不思議です。時代の行く先か、それとも己の死を予感していたのか、この詩には不穏な言葉が至る所にちりばめられています。
「かの女は夜の嵐のなかに 鉛の糸を垂れて かの女の孤独の影を釣る」 「かの女の孤独の影を釣る」という一文が特に好きです。孤独の淋しさを紛らわそうとしているような、そんな虚しさと、それでいて美しさがあるように思われます。
「泥が泥を喰ふ 石が石を粉砕する 沈黙が沈黙の喉を絞める 不幸が不幸を下痢する」 シンプルながら、ずしんと重みのあるフレーズが並びます。特に「沈黙が沈黙の喉を絞める」がイメージとして強烈だと思います。沈黙それ自体が音のない存在ですが、それが首を絞めることで、さらなる沈黙を生む……。
「蒼白な風の平原 そこで私は風の首を切断する 私の頰は打ち倒された 私は私の顔を喪失する」 初期の頃にあった朗らかさや明るさは、なりを潜め、痛々しさと虚しさと苦しさに満ちているように思えます。傷つけ傷つけられ続けているような、そんな苦しさです。
「私はながい孤独の雪崩の後に 疲労の鏡を眺めて 顔面に短剣で微笑を鏤める」 淡々とした言葉の裏にある感情について、考えてしまいます。
「蛹 それは成立である 蝶 それは発見である」 くっきりと浮かび上がるような、美しいフレーズだと思います。しかし同時に、序盤で絞殺された蝶のことを考えてしまいます。
「火薬のごとき沈黙があつた 私の唇は砕けた そして背後に打ち倒された私の頭は 襤褸屑になつた手たちを眺めた 足はいつまでも立つてゐた 打ち込まれた斧のごとく」 時代の暗さがひたひたと近づいていた頃なのだろうと思います。その影が、この作品にも差しているように思われます。
「家のなかの見えない岩石 私は衝突する 私は傷つく 私は覆へされる」 「私は傷つく」というシンプルな一文が、鋭く刺さってしまいました。苦しい詩ではあるけれども、それだけの力を持っている詩だと思います。
「襤褸」 「頭髪を乱した洋燈が街路を駆けてゐた」 なぜかイメージできるのが本当に不思議です。決して明るいイメージではありませんが、それでも鮮やかに立ち上ります。
「私はもはや石炭の中に私を探さない 私はもはや私に出遇はない 私の行くところ 到るところ襤褸は立ち上がる」 どこか自虐的な響きすらあります。現在は一部しか残っていませんが、彼は「襤褸」というタイトルで、何篇も書いていたそうです。
「私のゐるとき それはいつでも夜であつた 睡眠は壁の中に 星は卓子の上にゐた」 特に、「星は卓子の上にゐた」というフレーズが好きです。この詩も全体的にどこか沈んでいる印象がありますが、この光景は不思議とどこか澄んでいるような感じがします。それが哀しい感じもします。
おわりに 今年の9月で、没後80年になります。私が生まれるずっと昔に亡くなった詩人・冨士原清一。早すぎる彼の詩を悼むとともに、彼の詩が現在も残り、そして私の元に届いたことに心より感謝し、終わりの言葉とします。 ご覧いただきありがとうございました!