夢の中で展開されるストーリーを、起きた後にあまり覚えていない。
しかし、夢の中に何度も登場する場所のことは記憶している。
ある時は小学校。実際に通ったそれとよく似ているのだが、明らかに構造が異なっている。外から見ると「く」の字をしているのに、中に入ると廊下は「ロ」の字型に走っている。
ある時は、温室の天井のような材質で空を覆われた、SF世界を思わせる町。町並みはいたって普通の都会だが、追尾性能のある何かが絶えず人々を襲っている。なぜなのだろうか?
ある時はほとんど何もない。これは熱が出た時に見る夢だ。一面は墨黒で、しかし例外的に、目の前には白い絹のような道がある。その上を延々と行く。その左側を、車窓の光景のように何かが過ぎ去っていく。
夢占いにかけたところでどうしようもない内容ばかりだろうし、考えたところで「何かしらの影響を受けているのだろう」という結論しか出ない。ただコントロールできるわけでもなく不定期に、これらの場所を巡回する。
こうやって振り返ってみると、どうにも閉塞的な場所が多いように思えてならない。小学校の廊下は延々とぐるぐる回り続ける構造になっている。SFの町は日覆いによって空を支配されている。絹の道には出口がない。それに、どこも一様に薄暗い。淋しい夢ばかりだと思う。
そう、閉塞的な場所は影の中にある。光は少しばかり遠くにいる。だから、光の中にあるはずのものを、私は夢の中でうまく知覚できない。
それは「色彩」である。
光があれば色彩が存在を許されているはずなのに、思い出される夢の風景には色彩が乗っていない。そのせいか、小説を書く時、いつも色彩に手を伸ばし続けているように思う。ある作品では青紫に固執し続け、ある作品では橙と桃混じりの空を作り出そうとあくせくしていた。
私は薄暗い場所にいる。そこから光に、そこにあるはずの色彩に手を伸ばしている。薄暗い場所の淋しさを埋めるように、ただ色彩を求めている。
昔、私の小説は透明だと言った人がいた。透明な文章、そこには生々しさの代わりに、乾いた淋しさがある。内面化された瑞々しい色彩が存在しないからだ。
モノクロの夢ばかりで、色彩を外に求めるしかない私は、色硝子の瞳を手に入れたいのだと思う。目から入ってくる色彩を、氷中花のようにそのまま留めておきたいのだと思う。
「彼」のように、夢の中で鮮やかな色彩を見たいのだと思う。
これは、「画家の夢」という詩の一部である。
1925年だから、この詩は"彼"が17歳の時のものだ。「彼」は"彼"と同一か、それとも別人か。私は前者だと思う。"彼"は画家ではないけれど、そうだと思う。
なぜなら、夢に落ちる前の三人称たる「彼」が見た光景と、一人称たる「私」(詳しくは後述する)が見た光景が、よく似ているからである。
「画家の夢」の「彼」は、
と述べている。
その一方で、1927年に発表した「CAPRICCIO」という詩を見てみよう。
語り手である「私」が卒倒する前には、
と語っている。なんだかよく似た光景である。
だから、私は「彼」と「私」が同一であると思う。「私」という一人称で語っているから"彼"と同一だと述べるのは、性急かもしれない。しかし、複数の作品で似たような光景が語られ、しかも一方では一人称で語られているのだから、そう読んでもいいように思われる。
さて、「画家の夢」に話を戻す。
「彼」の夢の中には、様々な色が登場している。例えば「黄い星のようなもの」「黒い天井の様な処」に「赤黒黄白緑青等の凡ゆる種類の色」……。それが「彼」の周囲を取り巻く。夢を覆い尽くさんばかりの、圧倒的な色彩である。
例えば雑踏を歩く時、そこには大量の色がある。しかしそれを見るのとは違う。雑踏の色が、至るところに散らばった色だとすれば、「彼」の夢の色は、集合的かつ濃厚である。色そのものの圧力を感じる。色に対する執着ともいえるような関心がないと、こんな強烈な夢を見ることはできないのではないか。
"彼"の瞳は色硝子だったのだろうと思う。
視界に入れた色彩を鮮やかに保存し、内包し、夢の中で再現してみせる。
夢の中で、そして夢と現のあわいで見た色彩の激しさが、私には羨ましい。色彩の中に迷い込むような夢を見たい。
"彼"の初期の詩には、色彩が溢れている。もし"彼"が本当に画家だったなら、ひとつの絵を描くために何本もの絵の具を使い切っただろう。そして、たっぷりと豊かな色彩の世界を描き上げるだろう。……それと同じことを、"彼"は詩でやっているのだと思う。
序盤、「彼」が夢を見る前、「夢心地」でいる夏の午後も鮮やかだ。夢を見る前と後は明確に区切られているけれども、「細かく茂つた緑葉の影」(p15) 、「青色のペンキで塗られた様に青い」(同) 周囲、「赤黒黄青白等の色の幻覚」(同) なども、夢のように美しく思われる。
特に、「赤黒黄青白等の色の幻覚」(同) は夢の中で見ている「赤黒黄白緑青等の凡ゆる種類の色」(p16) と重なり、夢と現の境界を曖昧に仕立てている。
その一方で、「画家の夢」の後半へ行くに従って、色彩の描写が消えていく。なぜなら、「彼」は「彼」の石膏の腕に魅了されるからだ。
切り落とされた腕は、このように描写される。
冷たく白い腕と、その中に差し込まれる血液の赤。この文を最後に、色彩に関する描写が消える。
詩は「彼」の内面へとフォーカスしていく。切実なまでに続く自問自答。「彼」は、「この美しい腕をモデルにして描いて見たいと云ふ切望の念」(p17) を抱いた。しかし、それを描くための右腕は、「彼」自身が切り落としてしまった。その葛藤を、「彼」はひたすらに語り続ける。
"彼"は1920年代、精力的に詩を発表するが、30年代にはその数を減らし、40年代には1篇も発表していない。
『薔薇色のアパリシオン』(p281-284) に掲載されている、詩の発表年を確認すると、
1925年に1篇、1926年に4篇、1927年に6篇、1928年に14篇、1929年に18篇。
1930年に2篇、1931年に1篇、1933年に1篇、1934年に3篇、1935年に2篇、1938年に1篇。
(ただし、未発見の詩がいくつかあるとみられる。)
加えて、特に1930年代に発表された「襤褸」を中心とする詩は、初期の詩と比べて明らかに色彩が少ない。初期の詩は様々な色名を挙げて具体的かつ華やかな描写をしていたが、後年の詩はそれが鳴りを潜めている。「錆びた草花」「溺死者」……描かれるものも、どこか淋しい。
代わりに、モノクロ映画のような鋭さを放っている。「画家の夢」にも、例えば「暗い牢獄の窓にはまつてゐる太い鉄棒」(p15)といった不穏なイメージが登場するが、しかしなお余りある色彩の強烈さが存在していた。
後年の作品を否定したいわけではない。後年の作品には後年の作品の美しさがある。凄絶さがある。
ただ、私は淋しかった。
色彩の欠けた夢を、見続けているようだったからだ。
薄暗い小学校、攻撃される街、果てのない絹の道。夢を覚えていられない質の人間が忘れられない光景。
自ら腕を切り落とした「彼」。
それと同じように、彼は美しい色を捉える瞳を失ってしまったのだろうか。
美しい色をたたえた硝子の瞳を、色彩の夢を見せるだけの繊細な知覚を持つ、鮮やかな色硝子の瞳を、失ってしまったのだろうか。
切り落とされた石膏の腕に赤い血が流れ込み、そして色の描写が消えた。同じように、色彩を内包した硝子は、"彼"と別れ別れになってしまったのだろうか。
だから、詩に描かれる世界はこんなにも淋しく、モノクロームの響きを持っているのだろうか。世界から色彩が全て奪われてしまった、廃墟のような哀しさがあるのだろうか。
……私は、そうではないと思う。
なぜなら、「彼」はこう言っているからだ。
……やはりこの詩は、先見的だと感じる。先見的というよりは、彼が一本筋の通った詩人であったというべきか。
たとえ暗い時代にあっても、暗い詩を書いていても、"彼"の夢の中には美しい色彩があったのだと思う。それを形にしなかっただけで。"彼"は色硝子の瞳を失ってなどいないし、色彩の夢を失ってもいない……。
"彼"は心の中に美しいコレクションを持っていた。
例えば「魔法書或は我が祖先の宇宙学」を読むだけで、その存在がはっきりとわかる。
色彩は、"彼"が持ち続けた大切なコレクションのひとつだったのだと思う。色彩は後年、引き出しから取り出されることが少なくなっただけで、捨てたり失くしたわけでないのだろうと。
「その作品を生むことよりもその美に眩惑され切つた瞬間」とは、それらを無理に詩という形に乗せるのではなく、自分が美しさをよく理解した上で、自分専用の引き出しにコレクションしておくということだったのだろうと思う。
"彼"の詩が好きな者として、"彼"のコレクションをもっと見たかったという気がしないわけでもない。しかし同時に、そのコレクションの一部を詩という形式で見せてくれたことを嬉しく思っているし、"彼"の詩を知ることができて光栄だと感じている。
"彼"は今、深い海底に眠っているだろう。
美しい色彩の夢を見ていると、私はそう願いたい。
最後に、「画家の夢」全文と、この詩にインスピレーションを受けて描いた絵を掲載して、この文を終わりにしたいと思う。
2024年9月18日
80年前の今日亡くなった詩人、"冨士原清一"に捧ぐ。